掌編 旅立ち
自分の体が自分のものではない、という経験は二度目だ。
身支度をして、私は鏡を覗きこむ。
そこに映る姿は、ローズィア・ペードンによく似ていて、でも少し違う。
瞳の色が前より薄い。曇りガラス越しみたいな薄青だ。
体の感覚もふわっとして少し違和感。真砂からローズィアを引き継いだ最初の時も、新しい体に慣れなかった。
今の私の体は人間じゃなくて妖精姫のものだから、当分は仕方がないかも。
「お待たせしてごめんなさい」
「これくらいは待ったうちに入りませんよ」
宿の部屋を出て下に降りると、そこで待っていたユールは微笑する。
相変わらず鷹揚な人だ。私がこっちの世界に落ちてくるかどうかなんて分からないのに、アシーライラに私財を払ったあたりもそう。今回の件、魔女がめちゃくちゃ儲かってるんじゃ。汚いな、魔女。
「さて、じゃあ出発しましょ」
ユールの足下にある荷物の一つを持つと、彼は物言いたげに私を見てくる。
なんだよ。言ってよ。
「本当にネレンディーアを出ていいんですか?」
「あ、そのこと? この国にいた方が問題になるでしょ。一度ジェイド殿下に捕まりかけてるんだし」
無許可の妖精契約から、今は半年が経過している。
その間、大体のことは「なるようにしかならなかった」という感じらしい。
あの柱はゆっくり消えて、ノナとローズィアは死亡。ティティはまがりなりにも契約を果たした、ということで、ジェイド殿下との妖精契約はなくなった。今は、デーエンの婚約者になっているそうだ。
そこに至るまで、相当ごたついたらしいんだけど、ユールが責任追及されながらも上手くとりなしてくれたらしい。気分は炎上プロジェクトを引き継ぎなしで彼に渡してしまった、って感じだ。頭が上がらない。
「いいの。ティティが幸せに暮らしてるなら、それで充分だから。落ち着いたら手紙を書くわ」
ほとぼりが冷めたらティティや父に会いにもいけるかもだけど、今はちょっと避けた方がいい。下手したら指名手配されててもおかしくないし。
私は右手に嵌めた指輪を見る。それはティティとの契約の指輪だ。あの柱の前に落ちていたのをユールが拾ってくれていた。今はこれだけが私に残ったもので、それで充分だ。
隣から伸びてきた手が、私の抱えていた布袋を取り上げる。
「あなたがいいなら構いませんが」
「それに、伸びしろのある小さい国の方が仕事を取りやすいわ。最終的にはインフラを掌握したい……」
「あなたには本当にほどほどがないんですね」
なんだよ。目標は高い方がいいでしょうが。
ネレンディーアの田舎町を、乗合馬車が待つ広場に向かいながら私は嘯く。
「あなたに不自由な暮らしはさせないわ。あなたが支払った以上のものを返すから」
ユールは、本来なら即位があるはずだったんだけど、妖精契約の騒動があって延期になっていたらしい。けどそこでアシーライラが「即位しても大丈夫。処刑は自分で何とかして」って口を挟んで儀式を終わらせてきたそうだ。
前回はその後に肺病を発症してたけど、多分今回は平気。私が歩いていたから。アシーライラはそれを知って言ったんだろうな。ちゃっかりユールが得た財産を持っていった。だからその分、私が返さないと。
ユールはそれを聞くと、声を上げて笑い出す。
「……なによ」
「あなたは、なんにでもその調子なんですね。自分一人で何とかしようとする」
「できることはやるでしょ」
「僕がいますよ」
「…………」
「なんですか、その顔は」
何ですかって言われても。
「あなたにはもう充分すぎるほど助けてもらったわ。私が借りを返す番でしょう」
「そうですか? 僕が無事でいるのはあなたが重荷を引き取ったせいだと、魔女に言われたのですがね」
「アシーライラァ!!」
何余計なことを言ってるんだ、あの魔女。
次に会った時は財産徴発できないか試しちゃうぞ。
「……それはそれ、これはこれだわ。私は前のあなたにずいぶん助けてもらったのもあるし。でも今のあなたには関係ないわ」
「関係ないんですか」
「関係ないの。記憶を保持してないでしょう」
「あなたが愛しているのは前の僕ですか?」
「そっちは関係ないわ。あなたの人柄が好きだから」
「都合よく使い分けてませんか?」
「さあ?」
あ、なんかちょっと釈然としない顔してる。
「私はあなたのことを一方的にたくさん知っているけど、逆はそうじゃないでしょ。拾ってもらっただけで充分だし、付き合いの短さに比べて手をかけてもらう不均衡さは落ち着かないわ」
「……あなたは、甘え下手ですね」
痛いところつくな!
今だって荷物持ってもらってるのめっちゃくちゃ落ち着かないからな!
手ぶら……手ぶら困る……私に荷を持たせて欲しい……。
「前に暮らしていた世界では、人に頼る必要がなかったのよ。特にそれで困らなかったし」
だから人に何かを依頼する時にはフェアに、対価を以て。
そういうことが当たり前だったから、ユールみたいに自分を削って優しくしてくれる、っていうのはなんかこう、素直に受け取れない。
「ではそのあたりは、のんびりすり合わせていきましょうか」
「別に……放置しておいていいわ」
「そういうことを自分で言わないように」
「ハイ」
くっ、やりにくいな。落ち着かないな。
広場に入ると、乗合馬車の受付は始まっている。ユールは隣国まで行く馬車を選ぶと、案内人のところで会計を済ませた。
「夫婦二人で」
「あいよ」
平然と嘘つくな、この人。人のこと言えないけど。
戻ってきた彼は、私の呆れた視線に微笑した。
「そういうことにしておいた方が話が早いんですよ」
「そうね。扶養控除がある国かもしれないしね」
「なんですか、それは」
扶養控除は多分ないね、ハイ。
私たちは荷馬車に乗ると並んで座る。半ば癖のように右手の指輪を見る私に、彼は言う。
「いずれはあなたも、あなた自身が妖精契約をしないといけないのでしょう?」
「そうね」
ティティの分を時期をずらしてやって、残っていた澱も一掃してきたけど、何度もループの原因になったあの巨大な死のいくらかは、私の妖精契約によって流さなければならない。時間の猶予はあるだろうけど、安全のためにはいずれ必ずやった方がいい。
「ならその時は僕が指輪を作りますよ」
当たり前のように、彼はそんなことを言う。
私は彼を、組んだ足の上に頬杖をついてじっと見つめる。
物言いたげな視線に、彼は気づくとおかしそうに笑った。
「どうしました?」
「……奇特な人だと思っただけ。でもあなたはいつもそうね」
「あなたは僕の妖精姫なんでしょう?」
「そうだけど、そういう意味じゃない」
「どういう意味なんですか」
「……正直、あなたに愛されるのは……解釈違いというか……」
本当に正直なところを口にすると、ユールは信じられない生き物を見る目で私を見ていた。
くっ、不本意。だけどそういう顔される理由もわかる……わかるけど……!
何と言い訳しようか迷っているうちに、彼は優しい目になる。
「あなたの愛情は献身なんですね。本当に受け取り下手だ」
「……愛される因果関係が明確なら納得するわ」
「ではそれを築いていきましょう。あなたが愛されることに慣れるように」
ええー、逃げたいー。
がたん、と音がして馬車が動き始める。私は動き出す景色を眺める。
隣に座る彼が言う。
「もう走らなくていいですよ、さくら。僕が隣にいる時くらいは」
そんなことを言われるのは、初めてだ。
私は赤くなる顔を背けて、遠ざかる街の景色だけを見る。
何もかも落ち着かない結末だけど、私はこの人を愛しているから、きっと一瞬みたいな残りの一生をこの人と過ごしていくんだろう。
もう回らない道を、この人と緩やかに歩いていく。
それはきっと充分過ぎる、幸福な結末なのだ。
【完結】成り代わり令嬢のループライン 古宮九時 @nsfyuki
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