第20話 黄昏時のお茶会



 アシーライラは前回の記憶を保持してる。


 それはここに来るまで考えてもいなかったことだ。

 でも、壁のグラフを見てすぐに気付いた。

 以前よりもグラフの記述が進んでいる。前にこの庵に入ったのはもっと後の時点だったにもかかわらずにだ。彼女はその時グラフについて「長い時間がかかる実験の記録だ」と言っていた。

 それが進んでいるなんてこと、普通はありえない。

 ――前回からの記憶を持ちこしているのでもなければ。


 アシーライラは、悪い笑顔を見せる。


「なんだ、君もそうなのかい?」

「あいにくとそうね。魔法を使うと周回の記憶を保持できるとかあるの?」


 前回は全然気づかなかった。疑いもしてなかった。

 真砂の時は蒸発してたりしたアシーライラだけど、まさかずっと記憶があったんだろうか。

 アシーライラは止めかけた手を動かして、お茶を淹れ始める。


「なんだ、君は知らないのかい。天然なんだな。ああ、でも今代の妖精姫と幼馴染みだと言ってたね。だからか。気の毒に。それで妖精契約を調べてたんだね」

「ちょっと待って。ついていけてないんだけど」


 自己完結しないでちゃんと会話して欲しい。

 私がそう頼むと、アシーライラは「ごめんね」と舌を出した。はいはいかわいいかわいい。


「まず、私が記憶を保持しているのは魔法のせいじゃないよ。君はこの周回が、妖精姫によって行われていることは知ってるよね?」

「え」

「おや、それも知らなかったのか」


 知らない。というか、私が死ぬと戻るんだと思ってた。


「……それってティティがこの2年間をループさせてるってこと? そんな素振り全然ないのに?」

「彼女がループさせてるのは事実だね。ただ彼女自身には記憶がないと思うよ。毎回妖精契約の失敗でパニックになって時間を戻しているんだろう。妖精は時間の制約がない世界から来た存在だから、全力を振り絞ればそれくらいできる」

「……ティティが」


 そんなこと、考えてもみなかった。

 いつもあの赤黒い柱はティティの前に現れてたから、ティティは真っ先にのまれちゃうんだと思いこんでいた。

 でも本当はちょっと違って、ティティはあの柱を見たことで、時間を巻き戻していた。


 それは結局、悲劇的な終わりなのかもしれないけど……でもちょっとだけ救いがあるって思うのは私だけだろうか。

 ティティはあの柱の中でバラバラになっていなかったし、あの惨状を何とかしようと頑張っていた。ティティ自身に記憶はなくても、私は彼女の願いを受けて2年前に戻されてたんだ。


 それなら……なおさら頑張らないと。


 アシーライラは私の前にお茶のカップを置く。


「妖精の力で時間が戻っているからね。同じ妖精の力で記憶の白紙化を免れられるんだ」

「妖精の力って……心当たりがないけれど」


 ローズィアは聖堂にいなくても記憶を持って巻き戻るんだ。ティティが直接何かをしてくれたって感じじゃない気がする。

 けどそう言うと、アシーライラは棚から一本の瓶を持って来た。

 前回、魔女の庵に来た時にはなかった瓶。その中に入っているのは――


「羽?」

「妖精の羽だよ」


 薄青い、透き通る羽。形的には蜻蛉のものに近いかも。

 15センチくらいの小さな羽は、角度によって色が変わって見える。まるでオーロラみたいだ。

 まじまじと見つめる私に、アシーライラが笑った。


「どうしたんだい。君も見たことあるだろう? 妖精姫が幼少期だけに生やしている羽だ」

「あ、え、ええ」


 アシーライラはローズィアの中身が違うとは気づいてないのか。危ない危ない。


「この羽を食べると、妖精の力で時間が巻き戻っても記憶は消されない。私のこれは昔の妖精姫のものを買ったけど、君はおそらく幼少期にティティリアシャからもらったんだろうね」

「そう、ね」


 いやちょっと初耳。オリジナルローズィアのことがますます分からなくなった。

 でも山で徘徊してて熊に間違われるくらいなら、幼馴染の背中の羽をもらって食べたりするのか……? わ、分からない。その辺の花をむしって蜜を吸うみたいな感じなんだろうか。


「君のその様子だと、ひょっとして妖精契約の失敗はもう何回も起きているのかな」

「そう、ね。あなたはそんなに繰り返してないの?」

「この羽をたまたま買って飲んで6回目かな。最初は驚いたけど、興奮したよ。まさか2年前に戻るとはね。実験で失敗して失った素材も戻ってきた」


 あー、魔女からするとそんな感じなのか。よかったね……こっちはよくないけど。

 でもおかげで話が早い。前の続きで協力が頼める。


「あなたが前のアシーライラというなら相談なのだけど、前回も妖精契約は失敗に終わったわ。ロンストンの方のユールも肺病を発症してた。妖精国側の淀みの解消を別の手段で行わないといけないの。――何か案はないかしら」


 これに関してはそっち系の知識がある人に頼らないと駄目だと思っていた。

 正直、アシーライラが捕まってよかった。 

 

 でも、私の質問にアシーライラはきょとんとする。


「え、教えないよ?」

「え?」


 あまりにナチュラルに言われたから、一瞬思考停止してしまった。

 私は動揺しかけて、でも心を立て直す。


「教えてもらうための条件は何かしら。できる限りのことはするわ」

「いやだから教えないよ? 同じ2年間を過ごすなんて最高の環境だよ。時間が足りないと思ってた実験もできる。記録が消えても、私自身には記憶が残るからね」

「え、ちょっと待ってちょっと待って」


 私はもう一度壁に貼られたグラフを見る。

 それは確かに進んでいる。前回の時よりも。


「それはつまり、あなたはこのループを続けたいってこと?」

「そうなるね」

「だから、前回妖精契約の時に私が呼んでも来なかった?」


 私の問いに、アシーライラは答える代わりにニッと笑う。

 

 魔女の笑顔。

 それは、人の理解を拒むものだ。

 私はそれをもう可愛いとは思えない。

 彼女の望みは、私の目的と反している。

 

 これは、まずい。

 私は強張った手でお茶のカップを置く。


 アシーライラが王城に閉じこめられた私の呼びかけを無視したのは、妖精契約を成功させたくなかったからだ。

 彼女は私の一番の目的に協力する気がない。

 

 ――いや、まだだ。粘ってみないと。


「条件次第でループ中止に手を貸してもいいということはない?」

「ないね。時間は貴重だ。お金よりもね」


 きっぱりとした答え。

 駄目だ。

 アシーライラは障害になる。それも、周回を持ちこしても消えない最悪の障害だ。

 思わず立ち上がった私を、アシーライラは顔を斜めにして見上げた。


「どうしたんだい? 君も楽しめばいい。永遠に若く美しいままいられる」

「……今日び御伽噺でも聞かない言葉ね。私は友達を助けたいの」

「妖精姫を? 元婚約者くんを? 彼らの破滅はほんの一瞬だ。時間が戻ればまた幸せな2年間を過ごせる」

「それを知ってる私が幸せじゃないの」


 ――今のこの状況は、崖っぷちもいいところだ。

 魔女の庵の出入り口は、アシーライラにしか作れない。

 ここに閉じこめられたら詰むけど、アシーライラも自分の研究室にいつまでも他人がいるのは嫌だろう。


 圧倒的不利な立場で、私は慎重に、焦りや緊張を見せないように言う。


「残念ね。なら私は私で調べものをしていくことにするわ。ああ、妖精契約に関係ない頼み事ならまたお願いしてもいいかしら」


 自然に、相手を警戒させないように。

 アシーライラは、私の真意を探る目でじっと見てきた。

 値踏みをする目は上からのものだ。力のない人間に対する侮りの目。

 腹立たしくないわけじゃないけど、今は侮ってくれた方がいい。

 やがて、アシーライラはふっと私から視線を逸らすと笑った。


「君がそれでいいなら構わないよ。肝心なところは手伝えなくてごめんね」

「仕方がないわ」


 私は座り直すと、カップを手に取って口に運ぶ。

 その動作に、アシーライラの注意が一瞬緩んだ。


 手を伸ばす。

 カップが落ちるより先に、私はテーブルの上の瓶を取った。

 瓶を開ける。

 中の羽を掴む。


「君、何を……!」


 アシーライラが叫んだ時には、青い薄羽は私の喉を通って溶けていた。

 体の中が一瞬ふわっと熱くなり、けれどその熱もすぐに引く。

 緊張で、汗が遅れてどっと噴き出す。

 魔女は呆然と、信じられないものを見る目で私を見ていた。


「……よくも、やってくれたね」

「これであなたはもう、次に記憶を持ちこせないわ」


 テーブルに落としたカップからは、お茶が広がっていく。

 私はカップの持ち手を摘まんで戻した。膝の上に熱い滴がしたたってくるが、気にならない。もっと怖いものが目の前にいる。


「魔女の庵でずいぶん命知らずだよ」

「そうね。でも、私を助けて妖精契約を成功させてくれたら、少なくともあなたが今持っている記憶は未来へ持ち越せるわ。今が6回目のループなら、5回分の10年の記憶ね」


 アシーライラはさっき、瓶を見せながら「この羽を飲んで記憶を保持できるようになった」と言った。

 つまりそれは、今の周回ではまだ羽を飲んでないってことだ。前回魔女の庵を訪ねた時、瓶がなかったのがその証拠だろう。

 アシーライラは周回が始まると、適度なところでこの羽を飲んで次の周回に備えていた。それがなくなった今、次に彼女が戻るのは、周回の記憶を全て失った自分のところだ。

 けど、今回妖精契約が成功すれば、少なくとも今持ってる記憶は失わないで済む。



「騙し討ちのような真似をしてごめんなさいね。でも私も後がないの」

「……君にはいくらでも時間があるはずだ」

「何度も繰り返したいわけじゃないの。この周回に乗るために命を賭けているわ」



 アシーライラは私を睨む。

 その視線に恐怖を覚えながら、けど面には出さない。ここでは退けない。


 たとえ殺されても、アシーライラにこれ以上記憶を引き継がさせてはいけなかった。だからこれが最善だ。妖精の羽がなくなった以上、次の周回にアシーライラがこれを飲む可能性は格段に減った。毎回私がこのタイミングで駆けつけて奪えば済むだけだ。


 その度ごとに、私は殺されてしまうのかもしれないけど。

 でもアシーライラは利害で動く人間だから。

 まるっきり可能性のない賭けではないと、思っている。



 お互いに見つめ合ったまま、十数秒が経過する。

 背中を汗が伝っていく。

 アシーライラは不意に、ふっと笑った。



「したたかだね。確かに、君に与して今の記憶を保持した方が、マシと言えばマシだ」

「なら……」

「でも、だからと言って何の咎めもなく君の手は取れないな」


 ぱちん、と。

 アシーライラが指を弾く。

 次の瞬間私は、何もない夕焼けの荒野に放り出された。


「っ……!?」


 辺りを見回しても、見えるのは草木もない地平線ばかりだ。

 アシーライラの声だけが聞こえる。


「少しはそこで思い知るといいよ。時間の流れが違う場所だ。安心して永劫さまよえばいい」

「待っ……、アシーライラ!」

「100年経って、それでも君が正気でいたら、その時は手を貸してあげるよ」


 皮肉めいた声が消える。

 私は何もない真っ赤な空の下に立ち尽くす。

 背中の汗は、いつの間にか冷え切っていた。

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