第21話 近くて遠い世界




 真っ赤に染まる荒野は、見渡す限り何もない。


「ここ、多分魔女の庵から見えてた荒野だよね……」


 窓に投影させてるだけの景色と思ったら実在するのか。まじでか。


「100年? 100年って……」


 そんなの50周回分だ。もっとも「時間の流れが違うから安心して」って言うってことは、現実時間はそんなに流れていないんだろうな。今までの逆か。できるなら最初からやって欲しかった。


「さて……とりあえず歩くか」


 することもないから動いてみる。

 外と違うなら、ここではいくらでも時間が無駄にできる。

 アシーライラから妖精の羽は取り上げたし、今は最悪というほどのことではない。


 どちらの方角に行くかは……おそらく関係ない。

 きっとここはアシーライラにしか出入口の作れない空間なんだろうから。

 そして彼女が私を懲罰としてここに入れたなら、しゃがみこんでいられるよりも歩いている方が溜飲が下がるだろう。


「ループを起こしているのはティティで、ローズィアが影響を受けないのは妖精の羽のおかげ、か」


 私自身はティティの背中を見たことがない。

 成長した妖精姫は羽の形の痕が背中に残ってるらしいけど、普通にしてると人の背中とか見ないし。

 でもそれは問題解決には特に関係ない要素に思える。

 どちらかと言えば、ループを引き起こしているのがティティと言う方が重要だ。


「……ティティと話したいな」


 今まで妖精契約についてティティと話したことは何回もある。

 でも「この契約は失敗する」って言ったことはなかった。ティティが使命感を持って挑もうとしているのは分かってたから、その集中を削ぎたくなかった。

 ただ……踏みこんで話すべきはやっぱりティティだったのかもしれない。外側で右往左往してる私がこのありさまなわけだし。


 歩いても歩いても、景色は変わらない。

 真っ赤な空は残照によるもので、太陽も見えない。

 ただ体も疲れない。お腹も減らない。

 この辺りは現実の時間準拠なんだろうな。助かる。


 私は、いいのか悪いのか時計を見ずに時間を把握する能力はない。

 だからただ歩く。疲れもしない体で考える。



                 ※



 人にとって「生きる」とはどういうことなのか。

 私は他人のそれを聞いたことがない。

 ただ自分については「記憶が増える」ことだと思っている。

 減らないものが増え続ける。自分の中に積み重なっていく。

 その積み重なった量で、私は自分がどれだけ生きてきたのかを測る。


 ローズィアは、16歳から18歳の2年間だけを生きる。

 その間、記憶は積み重なっていくが、年は取った気はしない。

 私は私だ。

 生きている記憶だけが増えて行く。積み重なっていく。



                 ※



 思えば八瀬咲良は、26年の人生において人と深く付き合うことをしてこなかった気がする。

 必要な時に必要なだけ、人と付き合う。

 仕事で付き合う以上、どの人がどんな話を好むかは、調べれば分かる。分からなくても、会って様子を見ていれば察しがつく。だから必要な分だけの付き合いをすることは難しくない。


 それ以上、というと意欲より面倒くささが勝った。

 だって、一線を越えて人と付き合うのは難しい。

 その人がどんな人間か、踏みこんで知る気は起きない。知らなければ踏みこむ気もない、の堂々巡りだ。

 踏みこんで知ってしまって、相手に落胆するのが嫌なのかもしれない。

 社会においては程度の差こそあれ、大体の人間が型の範囲内に入る程度には善良だ。それは「善良」の定義を最大限緩く取った上でのことだけど、普通に生きて行くだけなら、大多数の人がお互いに不都合なく付き合っていくことができる。


 でも相手に踏みこんで距離の近い付き合いをすれば「お互いに不都合なく」のハードルは高くなる。嬉しいことも増えるだろうけど、許せないことも増える。そこまでのコストをつぎ込んで人と付き合う能動性を、私は持っていなかったんだろう。


 真砂は、彼女から踏みこんでくれた。それが嫌じゃなかった。

 この世界に来ることを選べたのは、読者として彼らのことをよく知っていたからだ。一方的に知っていて、好感を持った。踏みこんでも大丈夫な相手だと判断した。


 私が自分の人生を賭けてもいいと、世界に来た最初の時から確証を持てていた。

 それは真砂の努力にフリーライドしたズルの確信だ。

 自分を開示せずに、相手のことだけ知っている。そんな私が彼らの前に立つのだから、せめて逃げ出すことのないように。全力を尽くす。それくらいしかできない。


 私が傷つくことがあっても、それは少しも彼らのせいではない。

 私は彼らを愛している。



                 ※



 歩いていく。

 体は疲労しない。

 周囲の景色に変化はない。

 思考だけが回り続ける。



                 ※



 ずっと同じ方向に歩き続けていれば、果てがあるかどうか分かるかと思ったけど、果てはない、気がする。

 それでも私は同じ方向へ歩き続ける。

 考える。

 与えられた断片と、そこから導ける可能性を考える。



                  ※



 言えばよかったなんて後悔は、幼いものだった。

 少なくとも私には次の機会も与えられている。



                 ※



 どれだけ時間が経ったか考えるのは無意味だ。

 全てはアシーライラの裁量だ。

 ただ体がこれだけ疲労しないんだから、私がどれだけ歩いていても現実時間は大して過ぎていないんだろう。妖精契約の日に遅れなくて済む。



                 ※




「あ、あー」


 たまに声を出す。声の出し方を忘れそうになるから。

 腕を上げて伸ばしてみる。

 足は止めない。




                 ※




 誰かと話したい。

 人に会いたい。

 あの人、は。


 ああ、もっとちゃんと


                 ※




 全てが遠い。

 懐かしく、愛しい。




                 ※




 思考を止めてはならない。





                 ※





 私は思考し続けている。





                 ※




 …………

 ……





                 ※











                 ※










                 ※






「――君は、強情だね」


 その声を、最初は幻聴だと思った。

 だから歩みを止めなかった。


 少しして、目の前に突然人影が現れる。

 ローブをかぶったそれは、懐かしい魔女のものだ。


「あ、し、ぃら?」


 あ、駄目だ。うまく声が出ない。

 時々出してたつもりだったんだけど、時間の感覚がなかったから思ったよりさび付いていたみたいだ。軽く咳払いをして声を出す。喉の調子を確かめる。

 アシーライラは、足を止めた私を顔を斜めにして見上げる。


「今、君の主観でどれだけ時間が経ったか分かる?」


 私は考える。

 正直、全然分からない。

 分からないから適当に言った。


「1年くらい?」

「君は馬鹿なの? あと99年追加してあげようか?」

「本当に分からない。ごめんなさい」

「126年だよ」

「そっか」


 そんなに経ってたのか、気づかなかった。

 どこかぼんやりと答える私に、アシーライラは呆れ顔になる。


「気持ち悪いね、君。それとももう正気じゃない?」

「自分じゃ分からない。普通だと思うけど」


 私は右手で自分の頭を押さえる。


「私は、時間の経過を記憶の増量で認識してる。ここは記憶が増えないから、時間がどれくらい過ぎたか分からない」


 ここにいる限り、私には何も増えない。ただ在るものを回し続けているだけだ。

 だから、そんなに時間が経ったのか、とも思うし、アシーライラの嘘かもしれない、と思う。

 どちらでも構わない。全ては魔女の気まぐれ次第で、私はそれに従うしかない。


「私は、君の泣き喚いて取り乱す無様な姿が見たかったんだよ」

「あんまりしないかも。自分のことでは」

「たださすがに、ちょっと前の君とは感じが違うね」


 感じが違う? そうかな。

 自分が剥き出しになってるのかもしれない。ずっと考え事だけをしてたから。


「さて、君には今の窮地を脱する方策はある?」

「特には。あなた次第」

「何それ。じゃあ何を考えてたの」

「妖精のこと」

「何か思いついたとか?」

「妖精は、死者のことだと思う」


 私が持っている断片から導いた仮説がそれだ。


 目に見えないもう一つの世界には淀みが生まれ。

 そこから妖精姫が人間の世界に生まれ落ちる。

 妖精姫は死んだ人間の姿を取る。

 ロンストンの儀式王の呪いは、積み重なった死者の念によるもの。

 妖精契約が行われない時は、謎の肺病で決まった数の人間が死ぬ。


 これらから察することは「妖精の国は、いわゆる死者の国ではないか」ということだ。

 生きている人間の世界と表裏一体になっている死者の国。

 そのバランスが崩れそうになると、人間の世界に影響が出る。

 その影響を最小限に抑えるために、妖精契約や儀式王の制度がある。


 ――私がこの仮説をたどたどしく説明すると、アシーライラはニッと笑った。


「さすがに126年もあれば素人でも行きつくか。正解だよ。死者の魂が流れているのが妖精国だ。時間の流れも空間の繋がりも人間の世界とは違う。ここはその一部を間借りして作ってるんだよ」

「え」


 私はさすがに驚いて真っ赤な大地を見回す。

 今まで目に見えない世界をどうこうするなんて難しい、って思ってたけど、100年も目にすることになるとは思わなかった。でも見えてもどうしようもないんだけど。どうしよう。


「どうすればいい?」

「さあ? 私には分からないよ。もともと妖精契約なんてその場しのぎの綱渡りだ。淀んだ池の一番淀んでいる部分に穴を開けて水を抜こうっていうんだからね。失敗するのも無理はない」


 淀んだ池。なるほどそういう感じなのか。

 新しい記憶にまた考えこむ私へ、アシーライラは手を伸ばす。


「分からないけど、君をここに置いていても別に面白くないことは分かったよ」

「じゃあ、」

「協力はしない。でも、君が成功することを祈ってるよ。――私の、500年分の記憶のためにね」


 顔に突風が吹きつける。

 突然のことに、私は腕で顔を庇う。

 久しぶりに味わう風にまごついている間に、いつの間にか私の意識は遠くなっていた。

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