第22話 成り代わり令嬢の帰還



 歩く。

 歩く歩く歩き続ける。

 思考する思考し歩く思考し続ける。

 止まると私は私ではなくなる分からなくなる。

 歩く歩き続ける歩く歩く歩く歩く歩く。

 思考する私は私は思考す歩く歩く歩く歩く。

 考える考える

 妖精の歩く淀み歩く歩く流れれれ歩く歩く




 ああ次にあなたに会う時、私は私でいられるだろうか。





「……っあ!」


 天井が見える。赤くない。天蓋でもない。

 ベッドに寝かされている。どこ。見覚えない。わたし。


「あ、あ、」


 声がひとりでに漏れる。喉を押さえる。止まらない。


「あ、あああ、ああ!」


 がくがくと手足が震え出す。涙が零れる。

 自分の体が言うことを聞かない。思考と体が乖離してしまったみたいに。

 私は、私は、わたしはわたしは、


「――ローズィア!」


 ドアが開く。

 あああ、あああ、

 駆けこんで来たひとに、よく知るそのひとに、わたしはすがるように手を伸ばす。

 彼は一瞬おどろいて、でもわたしにあゆみよると、のばした手ごと抱き取ってくれる。

 背中をそっと支えて、やさしい声が聞く。



「ローズィア、僕が分かりますか」

「わか、る」



 あなたのことを考えた。考えていた。

 次に会えたならきっと。



「あなたを、あいしている」



 その目を、まっすぐにみつめる。

 彼が大きく目をみはる。その目を見て、逸らさない。


 今言っても遅いのだろうけど。

 それでもわたしのこの感情は本当だから。

 歩みを止めないこのループラインは、後悔を拾い上げて進む旅だ。


 だから、ごめんね。助けられなくて。何にも気づけなくて。

 そんなことさえ100年以上もかけないと言えないなんて、

 ああ、わたし、あるかないと。歩く。あるくあるく。てばなさないように。



「ごめ、ん、ユール」

「……大丈夫ですよ」



 彼の手が、ゆっくりと頭を撫でる。

 彼にはもう記憶がないはずなのに、やさしく。ただやさしく。



「ご、めんなさい」

「大丈夫です。もう安全ですから、眠っていていいんですよ」

「あるかなくて、も?」

「いいです。ほら、横になって」



 彼の手が、私を寝かしつける。

 その顔を見上げる。

 彼は、だいじょうぶ、と言い聞かせるようにうなずいた。

 ほっとする。やすんでもいいんだって。

 本当に?

 でも、彼がいうなら。彼がいてくれるなら。

 ねむってもいいのかも。すこしだけ。


 これが夢なら、次に起きた時にはちゃんとしないと。

 ちゃんと、歩いて、考えないと。


 でも、うん

 あなたの顔が、みられてよかった。

 これでわたしは、また次の朝を歩き出せる。



                 ※




 次に目が覚めた時、私がいたのはやっぱり知らない部屋だった。


「ん、うーん?」


 ベッドの上に起き上がって伸びをする。

 ずいぶん長い間、眠ってしまった気がする。そしておかげで今の状況が不明だ。


「体は、平気。記憶はなんか……何これ」


 ずっとどこでもない赤い荒野を歩いていた記憶がある。

 アシーライラを怒らせたせいなんだけど、この記憶は膨大だけど代わり映えがなさ過ぎて時間の経過が分からない。

 その後は、浅い夢みたいな記憶がある。ユールに「大丈夫だから」と寝かしつけられた記憶はなんだったんだろう。脳内麻薬の見せた幻かも。


 私は軽く頭を振ってベッドから降りる。あ、足に違和感が。歩きすぎて強張ってるみたいな。

 それでも歩幅を狭くしてちょこちょことドアにまで行きついた時、ドアは向こうから開かれた。

 水桶を持った侍女と、ユール。

 ドアの先にいた二人は私を見て目を丸くする。私も丸くした。


「あれ……ユール?」

「起き上がって大丈夫なのですか」

「大丈夫、だわ。何がどうなっているか分からない、のだけれど」


 ローズィアがどう喋っていたか、思い出すまで一瞬タイムラグがあった。危ない危ない。

 まだぼうっとする頭を押さえる私に、ユールは言う。


「あなたは王都で約半年行方不明になっていたのですよ」

「は、半年!?」


 おい、アシーライラおい。「安心して永劫さまよえ」じゃないよ。半年も経ってるじゃん。とんだ神隠しだ。

 呆然とする私を見て、ユールは苦笑する。


「詳しいことはあなたが落ち着いてから話しましょうか。ここは僕が借りている屋敷ですから、少しゆっくりするといいですよ」


 ユールは侍女に目配せすると背を向ける。寝起きの私に身支度をする時間をくれようってことだろう。去っていく彼の背に、私はあわてて声をかけた。


「ありがとう! ごめんなさい!」

「お気になさらず」


 穏やかな声音は、彼のいつものものだ。

 ――ああ、私はちゃんと帰ってきたんだ。

 その実感が胸を熱くさせて、私は潤みそうになる目を閉じた。




                 ※




 それから私は、お風呂に入らせてもらってスープとパンを取って、それだけでどっと疲労が押し寄せてきたけど、何とか話すくらいの気力は残った。

 入れてもらった白湯のカップを手に、小さな応接間でユールと向かい合う。


「半年間も経ってたとは思わなかった。魔女に出会って彼女の庵に閉じこめられてたの」

「……さすがに予想外な話ですね」


 ユールの方の話では、私が行方不明になったことにミゼルが気づいて、父のところに話がいって、それを知って父から頼まれたユールが王都で捜索をしていたらしい。

 曲がりなりにも貴族令嬢だから、名誉を慮って秘密裏に。私が消えた時は町娘の格好をして宿を抜け出してたから、目撃情報も何もなくて「部屋から忽然と消えた」って感じだったらしい。

 それで先日ようやく路上に倒れてる私が見つかって、ユールが急いで回収してそこから三日眠っていた、そうだ。


「アシーライラは『現実世界の時間は大して経たない』みたいな口ぶりだったから油断してて……ごめんなさい。あなたにまで迷惑をかけてしまうとは思わなかったわ」

「大したことはしていませんよ」


 って言われても、王都で屋敷を借り上げてるってただの旅の歴史学者じゃできないことだから、ロンストンに許可を取って身分開示と資産の凍結解除をしたんだろうなっていうのは分かる。

 ユールの即位までもう半年もないわけだから、当然と言えば当然なのかもしれないけど、その後押しをしてしまったみたいで申し訳ない。

 今の彼からすると、ローズィアはただ昔一時期一緒だっただけの幼馴染のはずだから、本当に……優しい人なんだな。


 ユールは私をちらっと見る。


「それで、どうして魔女なんかの怒りを買ったんですか」

「ネレンディーアの妖精契約とロンストンの儀式王をなんとかできないかと思って。助言をもらいにいったの」


 あ、ユールがお茶噴いた。

 そうだよね、儀式王のこと私は知らないと思ってるんだもんね。


「な、なんでそんなことをあなたが……」

「私の大事な人のため。世界の贄にあげたくないの」


 この二つは同じ原因で動いているんだ。そしてどちらも私の大事な人を犠牲に終わる。

 ユールは、それを聞いてなんだかとっても微妙な表情になった。気まずそうな、困惑の目が私を見る。


「……あなたは」

「はい」

「一度目を覚ました時、僕に何を言ったか覚えていますか」


 あ、そこつっこむんだ。

 ってことはあれは夢じゃなかったのか。

 気まずそうな顔をされるのは仕方ない。けど、誤魔化す気はない。

 私は彼を正面から見つめる。


「覚えているわ。本当のこと」

「……何故?」

「私があなたのことを一方的に知っていて一方的に好意を持っているだけ。あなたに何かしてもらいたいわけじゃないから安心して。物理的に追いかけてこないストーカーとでも思ってくれればいいわ」

「恐ろしいことを自分で言い出さないでください」


 ドン引かれているけど、その程度大したことはない。ここをちゃんと申告するのはケジメだ。

 前回の彼と今の彼は違うけれど。それでもそもそも私は彼も助けたくてここに来た。その思いは嘘じゃないし、彼は誰とも繋がらない根無し草でもない。大事なことだから嘘はつかない。



「無害は無害だからそれは置いておいて。――別件でお願いがあるわ」



 また彼に頼るなんて、と思うけれど、これは彼にとっても意味があることのはずだ。

 ユールはまじまじと私を見ていたが、不意に大きく溜息をつく。彼らしくない荒い仕草でがしがしと頭を掻いた。


「あなたは……よく分かりませんね。子供の頃のままかと思ったら全然違いますし……ペースが崩されます」

「ごめんなさい。迷惑はかけたくないのだけれど、あと少しだけ我慢して。やるべきことを終えたらあなたの前から消えるわ」

「僕は何をすればいいんですか」

「ティティ――ティティリアシャ・シキワと面会したいの」


 つまるところはそれだ。

 このループの発生源、私の妖精姫。

 彼女に全ての情報を開示する。そこに足りないピースはきっとある。


 ユールは眉を寄せて私を見る。ティティがシキワ侯爵家に引き取られたっていうのは彼も知っているんだろう。私みたいな田舎の令嬢じゃ面会は通らないだろうけど、彼なら多分可能。

 貴族学校に入る必要はない。ティティと話せればいい。


 ユールは長く考えた末、息を吐き出した。


「あなたの話し方からすると、ティティが妖精姫なんですね」

「察しがよくて助かるわ」

「その分だと僕のこともご存じなんですね。魔女に捕まっていたというくらいですから、納得ですが」


 情報源はアシーライラじゃないんだけど、まあいいや。懲役126年のお釣りとしてそれくらい背負ってもらおう。


「分かりました。伝手を探してみます。ただ、僕も同席が条件です」

「構わないわ。ご寛恕感謝します」


 ユールとティティも一応幼馴染みで面識があるはず。いてもらった方がいいだろう。

 私は膝の上に手を揃えて、深々と頭を下げる。

 そんな私に彼は気まずそうな目を向けた。


「あなたは……変な人ですね」

「はっきり言いすぎやめて」

「すみません、ちょっと捉えどころがなさすぎて反応に困るというか」

「事務的会話だけしてくれればいいから」

「……もうちょっと期待してくれてもいいですよ」

「じゃあ私と結婚してくれる?」

「………………考えさせてください」


 はいはい、考えてて。私と変な探り合いしないでそっちにリソース使ってて。私もやることが多いから。


 ここに至るまで充分過ぎる時間はあった。私に捨て回はない。

 今度こそ何ひとつ失わずに済むように。

 歩く。歩き出す。

 そのための私なのだから。

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