第18話 最初の朝
「真砂は誰からどうしてローズィアを継いだの?」
そんな会話を彼女とした。
私は真砂とティティたちのためにローズィアを継承するけど、真砂はどうしてローズィアになったんだろうって気になったから。
彼女は遠慮がちに、少しだけ気まずそうに言った。
「わたしは、もともとの自分の人生から逃げたかったの。呆れるでしょ?」
「呆れはしないけど……」
生きづらさは人それぞれだ。少なくとも他人のそれを自分の物差しで測らないくらいの良識は、私にもある。
「この人生から逃げられるならなんでも頑張れるって思ってた。新天地でやってみせるんだって。それをやってるうちに、周りの人たちが好きになっていったの。だから頑張ろうって……結局、駄目だったけど」
「駄目じゃないよ」
口をついて言葉が出る。
「真砂はちゃんとやり遂げたよ。十五回なんて三十年でしょ。それをちゃんとやって、記録を残して私に継いだ。充分過ぎる」
並大抵のことじゃない。十五回終わって十五回始めた。それを「駄目だった」なんて言う人間がいたら、私は絶対黙ってない。
感情のあまり声を大きくしてしまった私は、我に返ると「ごめん」と謝った。
真砂は少し困ったように、それでも嬉しそうに笑う。
「ありがとう。咲良がそう言ってくれるなら充分」
充分じゃないよ。全然真砂の頑張りに足りてない。
でも実際、『妖精姫物語』の世界の人は、誰も真砂のことを覚えてないんだ。あの話を小説として読んだ人間しか知らない。
そしてこれからは、私が代わる。
「参考までに一つ聞いてもいい?」
「なんでもいいよ。言ってみて」
「何が一番辛かった?」
15回繰り返すうち、何が一番真砂の心を折ったのか。
あらかじめ心構えをしておこうとする私に、真砂は淋しげな笑顔を見せる。
「――最初の朝が、一番辛かったよ」
ああ、真砂。
それでもあなたはこの朝を15回も越えた。
なのに私は
※
「失敗した」
自分の声で目が覚める。視界にベッドの天蓋が広がる。
たちまち視界が涙で滲んで、私は自分の顔を手で覆った。
「あ、あああああ、あああ」
声が零れる。
何も分からないままの終わりが改めて押し寄せる。
まだ血の匂いが鼻をつく。
なんで
どうして
そんなことばかりがぐるぐると頭の中を回る。
声が、嗚咽が止まらない。
私は本当に失敗したんだ。失った。
何も分からないまま、こんな。
彼も、ティティも、助けてくれた人もみんな、全部なくして……
「……違う」
駄目だ。まだ3回目だ。
折れてしまうには早い。
何も分からないなんて、そんなことはなかった。
分かったことはちゃんとあったんだ。
「起き、ないと」
ベッドに手をついて、よろよろと起き上がる。
涙を拭いながら鏡台の前に立つと、そこにはひどい顔をした自分がいた。
鏡面に手をつく。指の形に涙の跡ができる。
「次は、ちゃんと理想の結末にする……ごめんね、真砂」
私たちローズィアは一人だけど、一人じゃない。
きっとみんなこの朝を通り過ぎた。この鏡を見つめた。
それだけを頼りに、託されたものを握りしめて、走り出すしかないんだ。
たとえ全てがまっさらになったのだとしても。
※
「ローズィア、顔色が悪いよ。大丈夫かい?」
朝食に現れた私に、父はそんな言葉をかけてくれる。
化粧でごまかしたつもりだけど、ごまかしきれなかったみたいだ。
私は苦笑して見せる。
「少し調子が悪くて。お父様、今日はせっかくの買い物の予定でしたが、部屋で休んでいてもよろしいでしょうか」
「あ、ああ。もちろん構わないよ。実はお父さんの方も急に予定が入ってしまってね」
そう。今日は新しい貿易商と、彼がうちに来る日だ。
新しい二年間を始める最初の日。
前回のこの日、私は彼に事情をぶちまけて二回目を始めたんだ。
最短の道が、最善であると思って。
とんだおこがましい話だった。
「そう言えば、ローズィアにとっては懐かしい人も来るようなんだが――」
「私は部屋におります。体調が優れないので」
その名を聞く前に断る。
私は最低限の朝食を済ませると、心配するお父さんに謝罪して部屋へ戻った。
そして、机の上にノートを広げる。
「分かったこと、は――」
妖精契約の失敗について、大きく二つが分かった。
・契約相手をデーエンに変えても変わらない。
・指輪を変えても変わらない。
これは重要な情報だ。
少なくともあの赤黒い柱が出現する直前、ティティの表情は嬉しそうだった。だから契約の失敗が彼女のコンディションによるものでもない。
「なら原因は何……?」
ノートに要点をおさえていく。
本当はブレストは打ち返す相手が欲しいけど、今は駄目。
前回は、ユールが付き合ってくれた。でも今回は無理。もう彼は巻きこめない。
彼は、私がループをしていることを知れば、私に肩入れしてしまう。
ずっと終わらない二年間から、私を解放しようとしてしまう。
それは、駄目だ。だからもう二度と打ち明けられない。
仕事と感情を切り分ける。それは当たり前のことだ。
むしろ前回までがどうかしてた。真砂が駄目だったことを、後発の私ならできるなんてどこかで甘く見ていたんだろうか。恥ずかしい。
「あと試してないのは場所、と時間……?」
でも妖精契約はずっとあの聖堂で行われているんだよな。
時間も決まってる。それを動かしたいなら聖堂を爆破でもしないと。
「……いや、そもそも妖精契約についてだ」
前回のループで、分かったこととユールが調べてくれたことは多い。
妖精とは、死者の姿形を取って生じること。
見えない世界とこの世界を流れる潮流の正常化のために行われるんじゃないか、ということ。
妖精は、古くは地方で「災厄」や「穢れ」と看做されていたこと。
「これ……印象的には妖精契約って忌み事だよね」
よくないものを貴人が引き取って鎮めるという儀式。
これが失敗して国が滅んでるわけなんだけど、じゃあ儀式を行わなかったらどうなるんだろう。
知りたいけど、実際に試せないな。
多分確実に駄目なことになるし、駄目なことになると分かってる二年間を過ごすのも辛い。決め手が分からない以上、自分のメンタルをこれ以上損なうことは避けたいし、失敗確定の儀式をどう成功させるかを試す方が建設的だ。
「建設的、か」
子供の頃、家族で南伊豆に遊びに行ったことがある。
その時、2重にループする道路を通った。
綺麗に輪を描いて走りながら山の上に上る道。
私たちローズィアがやっているのもきっとあれに似たことだ。本来届かない場所に到達するために、少しずつ回転しながら先を目指す。私はその上の方側を走っていると思っていたけど、本当はまだずっと下側なのかもしれない。
だとしたら私はやっぱり、いつか自分からこのループを降りるのかも。
でもだったらなおさら、次の人のためにできるだけのことは残しておかないと。
――駄目だ、気が沈む。
沈むと思考が鈍るから嫌だ。
その時、ドアが叩かれた。父の声がする。
「ローズィア、お見舞いに来られた方がいるんだが」
「…………」
誰かは分かる。
ああ、やっぱり屋敷から出ていればよかった。
私は「少しお待ちを」と返事をすると、机の上のノートを閉まってベッドに座る。
外に声をかけると、父ともう一人が入ってきた。
彼は私に心配そうな目を向ける。
「具合が悪いと聞いて申し訳ないとは思ったんですが、心配で顔だけでもと思って」
「……お久しぶりですわ」
「僕のことが分かりますか」
そんなことを、彼は言う。
分からないはずがない、さっきぶりの顔を私は見つめる。
「ええ、お会いできて嬉しいです」
もう、彼には何も言わない。
私の大好きな人。大好きだった人。
私を見るその目は、前回の呆れたような、それでも慈しんでくれた目とは違う。
――人は、何を以て同一の人間だとするのか。
私たちローズィアは皆ローズィアで、でも中身は違う。
昨日までのローズィアと私は不連続で、私と真砂も違う。
それをどこで区別するのかと言ったら、精神と記憶だ。
私はこの記憶がある限り咲良でい続けるし……前回の記憶がない彼は、もうあの彼とは違う人だ。
この旅を、私は繰り返していく。
「わたくしも、来年にはネレンディーアの王都に参りたいと思っていますので、またそちらでもお会いできたら嬉しいわ」
泣きたくなるから微笑む。
笑顔は仮面で、鎧だ。八瀬咲良を隠し通す。
彼の髪色が違うことは幸いだ。「違う」んだとよく分かる。
彼は、私の挨拶に微苦笑した。
「あなたはあっという間に私に手の届かない淑女になってしまいそうですね。でも、昔と変わらない様子で安心しました。突然来て申し訳ない。これで失礼します」
「ええ、お見舞い感謝いたしますわ」
こうして、私たちは何にもならないまま別れる。
私の愛した人はどこにもいない。誰も彼の代わりにはなれない。
私は私で、やらなければならないことがある。
ドアが閉まる。
「さよなら、ユール」
零れなかった涙をのみこんで。
さあ、ここからは次の回だ。
振り返らない。ループラインは同じに見えて同じ道を辿らない。戻らない。
だから、次に向かうべきは、王都にある大図書館。
――妖精契約が生まれる以前のことを調べたい。
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