第4話 たとえ恋にはならなくても


 真砂の書いた『妖精姫物語』において、彼ユール・ラキスは、ローズィアの二人いる幼馴染みの一人として描かれている。

 ローズィアより三歳年上の現在十九歳。

 錆色の髪を後ろで縛って、日に焼けた肌で、大きくてひょろっとした体でいつも穏やかに笑っている。

 コメント欄での通称は「地味王」「茶色熊」とか。私の推しなんだけど、どっちも言い出したの誰ですか。確かに実際会ったら茶色かったけど。「せめて髪か肌かどっちか色を変えて欲しかったな、作者……」ってコメントも見たことあるけど、それは真砂じゃなくてユール本人に言うべきだったと思う。言うか私が。今度こそ。


 ユールは笑顔になりきれない強張った顔で聞き返す。


「……ローズィア、どうしたんですか急に。ローズィアですよね?」

「大丈夫、私よ。七年ぶり。突然の発言だっていう自覚もあるわ。でも真剣なの」


 できるだけ早く、ってところを重視するとどうしても情報量が犠牲になる。

 でも説明する気はちゃんとあるから。そして彼は、無茶苦茶な話でも聞いてくれるはずだ。


 ユールは、かつて澄んだ空気のこの土地に療養に来ていた子供の一人で、今は旅の歴史家。

 色んな国や街を巡って人助けをしたり、顔の広さで人と人を繋いでる。今ここに同席しているのも、知り合いの貿易商に頼まれて顔繋ぎでだ。

 ――というのが表向きのプロフィールだ。実在の人物に表向きプロフィールって何っていう感じなんだけど。

 それが彼の表向きの情報でしかないと判明するのが『妖精姫物語』で書かれた第七周目。


「お父様、あとは若い二人だけでお話しさせて頂きますわ。お仕事の交渉についてはここをご覧になって。こことここに書いてある数字は絶対譲っては駄目です。いいですか?」

「あ、ああ。うん、わかった……お前もがんばって」

「頑張りますわ」


 彼との婚約が、私の考える最短ルートだ。

 私はユールを誘って中庭に出る。「困ったな」って当惑顔していたユールは、人気のない庭に出るなり私に言った。


「あなたは本当にローズィアですか?」


 ――ああ。

 怪訝そうな、少し心配そうな。

 その低く穏やかな声を懐かしいと思う。前回も私は同じことを同じ声で聞かれたんだ。今回よりずっとちゃんとローズィアらしくしていたのにばれた。

 今はもう消えてしまった記憶。

 私は目を閉じて、溢れかけた感情をのみこむ。

 今は自分のことより大事なことがある。


「一応、本当にローズィアなの。七年ぶりだからそう見えないかもしれないけど」

「そう……ですか。疑ってすみません」


 申し訳ない感二度目だ。彼の知ってる子供のローズィアは私じゃない。ローズィアを継承した私たちは、十六歳のこの時からスタートする。だから私も真砂も、子供の頃の話を伝聞でしか知らない。

 でも、私が知っていて彼が知らない記憶もたくさんある。

 彼が真砂にしてくれたことや、私の前回の記憶がそれだ。


「とりあえず、不審な求婚の理由から説明するわ」

「不審の自覚はあるんですね」

「客観視はちゃんとできるのよ。二の次にしてるだけで」


 私がローズィアであり、彼女の継承者だってことは、とりあえず伏せる。

 それは削っても支障がない情報だから。提示するのはもっと核心だ。


「ユール、まず情報を『核心』『中庸』『小手先』の三段階に分けるとして」

「小手先?」

「核心に近いほど信じがたい話になるわ。小手先だけ聞いても納得できるだけの理由は説明する。どれがいい?」

「なら核心で」

「実は私は未来から戻ってきたの。二年後にこの国が滅ぶからそれを防ごうとしてる」

「…………」

「その顔! 自分で選んでおいて!」


 だから信じがたい話って言ったのに。

 でもここは我慢。ユールはそれを選ぶだろうし、こういう顔をするって分かってたから。だてに前回は結婚してない。


「証明はできる。私は先のことを知っているから。――あなたの本当の身分も知ってる」


 ユールは軽く目を瞠る。

 でもそれはほんの一瞬だけだ。動揺を窺わせるほどじゃない。すぐに彼は苦笑した。


「本当の身分とは? 僕は単なる根無し草ですが」

「浮いている身分という意味では根無し草なのかもしれないけど。あなたはロンストンの次期王、それも『儀式王』。そうでしょう?」


 彼は、隣国ロンストンの次期王位継承者だ。

 もっともそれはも便宜上の王。ロンストンには「十四人周期で王が早逝する」って言い伝えが昔からあって、ちょうど次がその当たりの代。

 だからユールは約一年後、三日だけ玉座につくことが決められている。「儀式王」というのはその通称だ。

 その三日が終わると彼は毒杯で処刑される。

 この事実は彼には伏せられてるはずだけど……本当は彼も気づいているんじゃないだろうか。


 ユールは微笑む。今度は驚かない。

 そのどこか諦めたような寂しげな笑顔が、私は好きだ。


「なるほど。でも僕の正体なんて、知ろうと思えば知れるものです」

「それができる人間はごく少数で、少なくともこんな田舎の貴族令嬢には無理ね。あともう一つ証明になるのは五日後の話。ロンストンの北西部の街で落雷事故が起きるわ。それが原因で納屋が燃える」


 この知らせがうちにまで届くには更に二週間かかるんだけど、仕方がない。

 ユールの信用を得るまでは別のことを進める。やらなきゃいけないことは他にもある。


「この国が滅ぶのと僕と婚約するのにどういう関係があるんですか?」

「できるだけ早く貴族学校に入学したいわ。二年後の妖精契約の儀式に出席したい。そのために人脈を作って成果をあげないといけないの。あなたの婚約者なら推薦がもらえる」


 前回最大の失敗は、妖精契約の儀式に立ち会えなかったことだ。

 この国の滅亡は、必ずあの儀式を発端に起きる。


「妖精契約……ネレンディーアの祭事か。二年後にあるんですね」

「発表されるのは一年後だけどね。今の段階で知っているのがばれると捕まるから黙っていて」

「妖精契約の儀式に出席してどうするんです?」

「妖精姫と第一王子の契約の場に居合わせたい。事故が起きるから」

「事故?」

「赤黒い魔力の奔流がどこからともなく湧き出てきて国をのみこんで終了」


 投げやりな言い方になってしまったのは否めない。

 何十回も小説として読んでいた終わりに自分で向き合うのは、想像を絶する恐怖だった。思い出すと足が竦む。私も「真砂から任された」って理由がなかったら逃げたかったかもしれない。


 でも、たった一回だ。真砂は今まで十五回失敗して、そのうちの十一回死んでる。

 私が一回で投げ出すなんてありえない。

 それに――助けたい相手は他にもいる。


「犠牲になる妖精姫は、ティティよ」


 ユールが虚をつかれた顔になる。彼もティティを知っているからだ。

 ローズィアのもう一人の幼馴染。

 私の大事な友達。不器用で涙脆い妖精姫。

 彼女を救うためにも絶対に退けない。今度こそあの惨劇を防ぐ。


 そこまで言って、私は深く息をついた。


「以上が私の出せる情報です。嘘はついてない。協力してくれることを期待するわ」


 両手を前に揃えて、頭を下げる。

 日本式の礼だけど、これは私の身に染みついていて未だにやってしまう。前回はユールに「あなたがか弱い人間に見えて落ち着かない」ってよく言われた。どういう意味だ。か弱いでしょうが。

 でも実際、私が尽くせる礼はこれくらいだから。

 顔を上げ、ユールに背を向けたところで、どっと疲労感が押し寄せてくる。

 いやいやまだ一日目ですけどね。あと二年ある二年。


「ローズィア」


 私の背に彼の声がかかる。

 首だけで振り返ると、ユールが私を見ていた。


「どうして僕を選んだんです?」


 手の内を明かして、助けを請う相手。

 それは何も彼でなくてもよかった。

 ティティの現在の居場所は分かってる。彼女のところに行くでも、第三王子であるデーエンに訴えるでも、宮廷騎士のフィドに手紙を送ることもできる。或いは、この国唯一の魔女、アシーライラに取引を申し出るでも。

 でも私は。


「あなたが一番、柔軟な思考を持っている。どんな話でも突っぱねないで考えてくれる」


 この世界のキーキャラの中で、一番彼が柔らかい頭を持っている。

 既存の発想に捕らわれず、思いきりがよく、誰かを助けるためなら枠外の手段だって取ってくれる。


「機転が利いて、隠してるけど高潔で、信用がおける」


 彼があちこち回って歴史家をしてるのは、「どうせ早逝する人間だから」って自由が与えられているからだけど、その自由を彼が見知らぬ人のために使おうとしているからだ。

 各地を回って人の話を聞いて人を助ける。地味かもしれないけど、私はそれができるこの人を高潔だと思う。


「頼るならあなただと思った。あなたは、前も私を助けてくれたから」


 前の回で、彼は呆れながらも私を助けてくれた。

 非現実味しかない話でも信じてくれた。失敗したのは私だ。


 彼の処刑を回避しようとして、彼と結婚した。

 そしてロンストンの政治に介入した。

 その結果、私は妖精契約への出席資格が取り消されたんだ。

 自分は何パターンもの未来を知っているから、全部どうにかできるだろうなんて油断していた。

 結局、何も救えなかった。愚かな結末だ。


 ……あ、思い返すと自己嫌悪に陥りそう。

 肩を落としながら帰ろうとする私に、ユールは言う。


「分かった。その婚約を受けます」

「え」


 なんで。

 そう思ったのを思いきり顔に出す私に、彼は笑い出す。


「あなたがそんな嘘をつく意味はないでしょう。それに、自分から核心を聞いておいて『荒唐無稽だから信じない』は誠意に欠けます」

「そうだけど……」


 涙が滲みそうになって目を閉じる。

 彼は、絶対味方になってくれる――そう信じてるけど、こんなすぐに受けてくれるとは思わなかった。

 私は幸運だ。


「あらためてユール・ラキス・ロンストンです。よろしく婚約者殿」

「ローズィア・ペードン。それ以外の名前は今はないの」


 軽く膝を折ってカーテシーを。これはこの世界にもある作法だ。

「ありがとう、ユール。あなたの信頼はこれから築くわ」


 だから、願わくば今回も彼の命を救えるように。

 これが恋にならなくていい。ならない方がいい。

 微笑んで顔を上げた私を、ユールはまじまじと見つめる。


「……そうされると、あなたがまるでか弱い人間に見えますね」

「か弱いでしょうが」


 魔力徴発して国に飛ばしますよ、旦那様。

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