Part 2

 目を覚ますと、となりにアリアの寝顔が見えた。だからここは戦場ではない。ベッドのうえだ。錆のような赤い髪をなでる。肩ほどまでの長さがある。さらさらしていた。肌の色は白い。多くがそうだ。違う色のものもいる。記号的な認識はあるが、名前と外見が記憶上で一致している相手はほとんどいない。無用なことは覚えられないたちだ。

 頭痛はなかった。喉の痛みも。赤いヘッドバンドもはずれずにいる。毛布から抜け出すとシンクの前に立った。コップに水を注いで飲む。冷たく、意識が冴える。

 寝具を脱ぎ捨ててシャワー室に入った。全身を映す鏡がある。なぜだろう。自分の身体をうえからしたへと見渡していた。たぶん、夢に見たからだろう。あのときの戦いを。それに、アリアの顔を見てしまった。だから比べる。彼女と自分を。

 背が低い。150に届かない。頭部には赤いヘッドバンド。外せる環境は限られている。白金の髪は腰ほどまで伸びていた。まとまっていない。喉と右肩におおきな傷跡。乳房は小さい。欠けていると勘違いする。戦傷を受けたわけでもないんだけど。他にも細かい痕が全身にある。あまり綺麗に見えなかった。

 それらは傭兵として生きるからにはどうすることもできないものではあったが、うまく立ち回れば回避できる。そのような知性が自分にはない。愚かだった。愚直と表現すればもうすこしまともな印象になるだろうか。

 汗を洗い落として身体を拭き終えても、アリアが目覚める気配はなかった。着替えてから机に向かって日記のつづきを書く。その前に、昨日の内容を読み返した。夢のせいで時間感覚に自信が持てなかった。

 そうだ。語尾がヤンスの女の子がいたんだった。彼女たちもふたり組だった。名前はメモされていない。けれど、自分のファンだと言っていた。そういう酔狂なやつらもいる。英雄とやらになるというのは、どうもそういうことらしい。アリアもそのうちのひとりだ。だけど、彼女には別の目的がある。わたしの身体が目当てなのではない。それは確信であり、残念な事実だった。

 もし声が出せたら。あるいは自分が蜘蛛崩しなどでなければ。

 仮定はむいみだ、そう文章を始めた、わたしがくもくずしのアカネでなければ、アリアはわたしにしじしようと考えなかったはず。過去が未来につながる。大切な言葉だろう。過去があり、未来がある。その未来がいまだ。明日にどうなるかは、わからない。

 これ以上はやめよう。日記を閉じ、本を取った。絵物語が書かれている。都合のいい刺激を与えてくれるファンタジー。高い戦闘能力を持った少女に、多くの美女が心惹かれる。主人公の力を裏づけるのはシステム。それがただの設定にすぎないことが透けて見えた。でもそれでいい。余計なことを考えなくて済むから。努力するところなんて求めてない。ただ恋が成立する過程を読みたかった。

 その物語によれば、力があれば耳目を集め、近くにいるから魅力が伝わるのだという。様々なきっかけがあった。敵対や嫉妬も入り口になりうる。そして自分自身の人格を破壊されたかのように少女に惚れて、恋におちる。一度好きという感情に火がつけばそれが消えてしまうことはなかった。最終的にはだれにも嫌われることなく、特定のだれかと結びついたり、強欲であればみなとの関係を維持したまま、ストーリーは幕を閉じる。あるいは、終われないまま以下続刊だ。

 過去の作品を印刷したものは完結・未完がはっきりしている。だからそれを承知で、娯楽用として買う。現在書かれているものはどちらかはっきりしない。作者が死ねば未完とも言えないし、逆に生きているから完結する保証もなかった。別に作り手が怠惰なわけではない。みな生きるために必死にやっている。他人を楽しませられない書き手など、いまの社会では生きていけないのだから。

 読み終える。嘆息した。

 アリアはまだ目覚めない。

 起きた第一声を予想してみる。

 おはよ、アカネ。

 ……そんなわけ、ないだろ。

 頬をつつく。何度も、そうした。

「ん、んう」

 彼女が顔を歪めながら声を漏らす。

 ほっぺたをつまんで引っ張ってみた。

「んにゃ。なんれすか、ししょー……」

 アリアは目を覚ますと、すぐに居住まいをただした。ベッドのうえで正座して、こちらのことをまっすぐ見る。

「おはようございます、師匠」

 師匠。それが私に対する呼称であり、関係だ。

 きっと、これからも変わることはない。

 アカネはメモを取り出すと、おはようと書かれたページを見せた。

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