Part 2
恋物語は高い。高級な物語の感想を
——やすっぽい恋愛ファンタジー。さいごまでゆうじゅうふだん。
恋と愛以外をひらがなで書かれた感想文が本に挟まれ、その本は机上にほうりだされる。裏がえしで。雑なあつかい。
「あたしも読んでいいですか?」
師匠はすこし間をおいて、メモをひらく。その感じで見る前から答えはわかった。
——だめ。
「やっぱり自分で買わないとだめですか」
さらさらと鉛筆がまっさらなメモのうえを走っていく。
——おかねないの?
「ないです」
——うればいいのに。
「なにをですか」
——かみのけ。
師匠がみじかくなってしまったそれをなでた。プラチナのいろつやはうしなわれていない。赤いヘッドバンドが映える。肌はまるで透きとおるような白で、軍服の黒とは対照的だった。
「売りませんよ。あれはあたしだけのものにするって決めたので」
左手首に触れながらそう答える。
すると、緋音というひとの心をそのまま反映するかのように、皮膚が紅色になる。彼女は既知のページを開いてからそっぽを向いてしまう。
——わかった。
幾度も見せられたそのページ。同じ言葉でも状況によって受け取る印象は変わる。昔は雪のように冷めて感じたのに。いまではまるでぬるま湯か、あるいは彼女の頬の温度さえ錯覚させる。
やすっぽい恋愛ファンタジー。その文字列を思いかえした。とてもやわらかな筆致だ。師匠の感じたやすっぽさとはいったいなんなのだろう。どうして恋愛だけ漢字で書かれているのだろう。ファンタジーって、どこがファンタジーだったんだろう。そんなことが気になる。作品のタイトルを背表紙から読み取る。実に長い。メイドの少女が悪のお嬢さまに溺愛されるらしい。値段の書かれている場所を見た。見なったことにした。
室内の時計がちいさな鐘を鳴らす。日課の時間だ。AST1600は極光雪原標準時刻の夕方にあたる。
無言でバックパックふたつと二種の狙撃銃を持って屋外訓練場に出た。極光雪原にある施設のひとつで、今日も雪がちらついている。師匠ならいつでも使えた。他人が使っていても追い出せるのだから、特例上位ランカーの特例っぷりは徹底してるなあって感じがする。
荷物を開けると対ディズ用模擬弾50発と弾倉10個が入っている。師匠の分と合わせてこれが2セット。模擬弾は安価な企業製のもので、正式にはアンチディズダミーカートリッジ、ADDCって略す。要は本物とおなじ形と重さに調整された訓練用の弾で、発射はできない。派手な青色のしましまが入っているのでうっかり本物と見間違えるなんてのはない。あと、細かい違いとしておしりのあたりにダミーだと示す点字が打たれてたり。緊急時には弾を見ないで装填することもあって、それを考慮しての設計らしい。逆に手触りで判断できるのは必須だ。
さて、あたしはひとつの弾倉につき5発を装填し、それを10回くりかえす。師匠もおなじことをする。彼女のほうがずっと手つきが洗練されていた。こちらがマガジンから弾丸を抜き出すのに着手したころには、もうすでに全工程を終了している。同期との競争では負けたことがないけれど、師匠にはとうてい追いつかない。
この装填練習は毎日やってる。手持ちの弾倉のなかが空で予備の弾丸だけあるなんて状況があるかと言われると、普通はない。そもそも弾丸はマガジンに入れた状態で持つものだ。そうでなければリロードに時間がかかるわけだし。でも、師匠の使っているような高威力長射程の銃は弾倉だけでもかなりかさばるので、弾丸を一発でも多く持っていきたい状況ではほぼ裸でリュックに詰める。秘伝の入れかただったり、パーテーションで区切ったり、鳥によってやり方はそれぞれだ。師匠のやりかたは、うえから適当に流しこんでいれてあるだけにしか見えないんだけど、たぶん秘伝に分類されるほう。
マガジンを経由せず、銃に直接装填して撃つことも構造上可能だから、その練習もやる。金属は寒いとめちゃくちゃ冷たい。模擬弾なんだから外でなくてもいいじゃない。とかなんとか思うこともあります。
まあね。わかる。わかってます、師匠。どの訓練もそうだけど、ナインステラのうち、鳥が、人類が行動できる場所はみな寒い。極光雪原なんてだいたい零下だし。その環境、手がかじかんだり、寒くて震えたり、そもそも銃自体が冷たすぎて嫌だったり。そんな本番に近いところで練習しないと役に立たないのはわかってますから。
暗くなってから射撃訓練をやる。ゴーグルをつけてスコープを覗いた。このところは遠距離の、移動目標に対するものを徹底してやってる。特に飛行するやつ。通常弾頭。はずすとスコープにライトを当てられる。師匠に。現実において、質量のある光を頭部に直撃されたらどうなるでしょう。答えはだいたい即死。だからあたしはトリガーを引いた瞬間、しくじったと直感したらすぐに顔を離すようにしている。そうなるように仕込まれた。つまりこの訓練において重要なのは、目標に命中させることは前提としたうえで、はずしたかはずしてないかを直感的に判断することだった。
まあ、うまくいってない。目がちかちかする。集光と遮光とを選択的に発揮するこのゴーグルがなければ、訓練だけで視力がおちそうだ。鳥の標準装備として支給されるだけのことはある。
ためしに緋音師匠に見本を見せてもらうと、これがね、はずさないの。で、あたしが油断してるとわざと標的をかすめるような撃ちかたをする。ちゃんと見られてるってわかる。油断してるあたしは、ライトを当てるのが遅くなってしまう。すると足払いを喰らって転倒させられる。防寒具でふわふわなのをいいことに、ひどい体罰だ。でもこれが鳥のやりかたで、それも割とぬるいほうなのを知ってる。厳しいひとは銃床でぶん殴ってきたりするらしい。実戦で油断するやつは死ぬので妥当なんだけど。
銃関連のトレーニングを終えて肉体的な課題も済ませると、シャワーが使える。
それがここ最近の、あたしのひそかな楽しみだったりする。
赤いヘッドバンドをつけたままの師匠ととなりあって浴びる湯はあたたかい。視線を向けると見えるのは、彼女の受けたおびただしい戦傷だった。自分より年下だなんて信じられなくなる。左肩と喉、それ以外にも多数。質量のある光によって吹き飛ばされたはずの場所がしっかり埋まって、そのことが怖い。それが師匠の超人的な回復力によるものなのか、高性能な医療キットの作用によるものなのか、あたしにはわからなかった。
自分の身体を見る。新米のものだ。訓練によってできたかすり傷と、家族をうしなったとき右肩にできたこじんまりとした古傷、それくらいしか存在しない。この場合、綺麗というのは自分が戦士として未熟で、鳥として羽ばたく力が弱いということの証明でしかないんだと思う。たとえ彼女より頭ひとつくらい背が高かろうと、女という生き物としてそれなりに絵になるんじゃないかなあみたいな自惚れを抱くことができたとしても、それは戦うという行為に結びつくものじゃなかった。身体に傷を増やしてそれを自慢したいという、コレクターみたいな心理があるわけじゃない。純粋に、もっと戦いたかった。
あの翼へと届くために。
ちらっ。
どうしたらあなたのようになれますか?
ちらっ。
あなたについていけば、その力が手に入りますか?
ちらり。
なんて思っていると目があってしまって。
声の出せない師匠は、声が出せないなりについっと顔を背ける。
白から紅へと移り変わるその肌に触れてみたいと願うのは、もっと強くなりたいと
ふたつの肉の塊のはざまにてのひらをかぶせる。
おおきな音がしている。
くりかえしくりかえし、その振動が伝わってくる。
なにを考えているんだか。
あたしは左の手首に巻かれた彼女の髪に触れた。
そしていまだ身体に接続されたままでいる彼女の短髪に触れてみたいなんていう、どうしようもない邪念を胸のうちで膨らませていることを自覚する。
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