Part 6

 岩如翼イワノゴトキツバサ

 昇蜘蛛ノボルクモと同じく、災害級として名を持つ寄星獣の一体だ。

 その特徴は巨大であること、高速で飛行すること、そして食欲旺盛であることだ。イーターという呼び方は適切だろう。この星に周回する人工衛星をすべて喰らい尽くしたのも、岩如翼だとされている。真贋はともかくとして、GPSなどの技術が使えなくなったのは事実で、新規打ち上げもディズの襲撃により進んでいない。だから、やつがいる限り人類に制空権はないも同然だ。

 そして周囲の鳥たちが次々と倒れていく。みなが頭痛を引き起こしているのは間違いなかった。それも昇蜘蛛のときとは桁違いのものだと想像できる。わたしにもヘッドバンドを貫通して音が聞こえているのだから。

 キィン、キィン、とそれは繰り返されていた。甲高い音だ。なにかを探している、というように感じた。この場で立っていられたのは、わたしとアリアだけだった。

「師匠……銃、を」

 彼女はわたしから武器を奪おうとする。自分のものでは有効弾を与えられないと考えているのだろう。岩如翼との距離は近い。目算。三百メートル弱。しかもゆっくりと下降してきている。

 許可できない。わたしは銃を離さなかった。

「……それ、なら」

 再びの独断専行を阻止するため、わたしはアリアをその場に押し倒した。雪を背に彼女がもがく。

「師匠、はなしてっ!」

 だめだ。死ぬとわかっている行動を許可できるはずがない。災害級というのは生身の人間だけで勝てる相手じゃないんだ。経験で知っている。クソッ。わたしの英雄譚は鳥たちに余計な幻想を与えている。わたしは彼女の頬に平手をたたきつけた。グローブごしではあるが痛かったはずだ。

 アリアは泣き始める。あふれる雫があっという間に凍りつくような場所で。

「あいつは……あいつがあたしの家族を……」

 そのありふれた事情のことをわたしはわかっているつもりだった。アリアはもがく。とまらない。とめられないのか。力づくで押さえつけている。物理では止まっている。でも心まで押さえつけることはできない。

「師匠……あたしは、あたしはっ……」

 嫌になる。こんな感情は。

 アカネの表情は愛らしかった。弱く、守らねばならないと思わせられる、そんな子供の顔をしている。そんな彼女の唯一強く輝く部分が瞳だ。復讐の心がそのまま表出しているかのような眼。ほとんど見えないのに、そこが光って見える気がした。

 だからわたしは帽子を脱ぎ、ヘッドバンドを外した。

「師匠……?」

 ねじるだけねじって押し込んでいた白金色の髪が風のなかでばらばらになっていく。こんな邪魔なもの、切り離しておけばよかった。いまからでも遅くあるまい。サバイバルナイフを取り出し、左右と後ろを雑に切り離した。

 そんなにやつが傷つくところが見たいというなら、わたしがやってやる。やってみせればわかるだろう。

「師匠、待って」

 遺髪になるかもしれない。持っておくといい。蜘蛛崩しの緋音の髪の毛だ。好事家に高く売れ。よりよい師匠を見つけ、装備と仲間を揃え、経験を積む。そうすればいつかきっと、アリアだってやつを殺せる力を持てる。

「違う。やめてください、師匠!」

 わたしは荷物を捨てると、いつか蜘蛛にとどめを刺した銃を携えてフロートボードを走らせた。岩如翼の影から抜ける。月に照らされるやつの身体はおおきく見える。眼があり、口があり、巨大な胸ビレがあった。

 目標までの距離を直線で1000まで離すと、すぐに立射の体勢に移った。相手はこちらに意識を向けていない。

〈ミール。ミール。ミール。ミール。ミール〉

 音はついに声へと変わった。やつは食料を求めている。飢えているんだ。もしかすると力が衰えているかもしれない。自分ははやっているか? それとも自暴自棄にでも陥ったか? どちらでもあるだろう。

 胸ビレの付け根を狙った。

〈貴様を殺す。そこで黙って浮いていろ〉

 岩如翼がわたしの声に呼応し、停止する。

 音が聞こえなくなった。

 トリガーに指をかける。

 息を吸い込んだ。

 冷たい。

 わかっている。

 撃つ。反撃されれば死ぬだろう。

 今度こそ、だ。

 怖かった。

 死ぬことが、ではない。

 このまま、恋もできずに死んでしまうことが。

「やめてください、師匠!」

 前方からフロートボードが突っ込んできた。

 わたしは反応できない。衝突する。

 叫びたかった。しかし音はでなかった。

〈パン‐パン、パン‐パン、パン‐パン〉

 翼が広がり、そして浮きあがる。巨大な敵がゆるりと上昇し、やがて一気に推力を増して飛び始めた。一度加速しだすと、雲を切り裂くようなスピードで離れていく。数秒とせず、やつは射程外に消えた。

 アリアがわたしに抱き着いている。

「やめてください、師匠……ごめんなさい。もう、もうわがままなことは言いません。だから……アレとは戦わないでください」

 なんて綺麗な泣き顔だ。

 わたしは彼女がヘッドバンドを握りしめていることに気づいた。それを奪い取って、つけ直した。

 ごめん。そう心でつぶやきながら抱きしめる。

 あたたかいと感じた。

 アリアではなく、

 自分の胸が。


 それがもしかすると、わたしの恋のはじまりだったのかもしれない。




*




 わたしはずっと独りだった。

 家族が死んでからずっと。


 だから鳥になった。

 独りきりでも生きていけるように。


 でも、どうしてなんだろう。

 安物の恋愛ファンタジーに胸を高鳴らせてしまうのは。

 それはわたしが、さみしいやつだからなんだろうか。


 もしそれが、さみしさに由来しないものであるなら。

 それがもし、わたしに運命があるということならば。


 なら、わたしはそれに殉じたい。


 恋をしたかった。

 死んでも悔いのない、恋を。


 だから死にたい。

 戦場に独り立つ傭兵、鳥としてではなくて。


 だからなりたい。

 蜘蛛崩しSeeker Breakerなどという名前を捨てて。


 恋に焦がれる愚かな女、

 この世界でたったひとり、だれかだけの緋音アカネになりたい。




 独り立つ傭兵 / The Seeker Breaker ————END

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