Part 6

 組織が大規模な攻撃作戦について発表し、参加者の募集が始まった。出資者はナインステラ国家連邦および企業連合アライアンス。報酬の半分は前払いされ、残りは成功時に支給される。比較的安全とされる後方支援部隊にさえ破格の値が提示された。

 その作戦目標は災害級ディズ・岩如翼の撃墜。

 あたしにはその参加資格があった。

 ——いきたい?

 師匠とふたりきりの部屋で、そう問われる。彼女の眼差しは真剣なものだった。参加するからには安全に済む保証はない。どんな依頼でもそうだけど。でも、今度のは本当に危険だとわかってる。

 緋音師匠が参加した昇蜘蛛討伐作戦のときも安全な場所はなかった。災害級ディズに対抗するため、国家連邦・企業連合・組織の三大勢力が集結した。1000人以上の兵士と大量の新・旧世代兵器リインベンションウェポンが惜しみなく投入され、攻撃隊はひとりを除いて全滅という結果になったのはだれもが知っている。

「いきたいですよ、そりゃ」

 偽りない本音で答えた。でも、あたしのランクでは後方支援部隊にしか参加できない。たった一発の弾丸でもいいから直撃させたいというこの気持ちは、いまはただ邪魔なだけだ。死ぬ。多くを巻き添えにして。わかってる。ランクはあがったけれど、小型のディズと戦うときでさえ、まだ、怖い。あの巨大な翼に対してもおんなじだ。

 彼女はあたしの答えを聞いて、うなずく。それから本に目をおとした。頬をほんのり紅くして、なにを読んでるのかすごく気になる。表紙にはカバーが取りつけられていた。だからタイトルさえわからない。寝る時間になると、その本は棚に戻された。ずいぶんとていねいなあつかいだなという気がした。

 夜中、あたしはこっそりと起きてベッドから抜け出す。寝息に耳をそばだてて、ひどくやましい気持ちでいっぱいだった。それでも要らぬ勇気をにぎりしめてカバーつきの本に手を伸ばした。

 最初の数ページで、あたしはこの本の秘密に気づく。ひどい背徳感で頭が混乱する。あたしは師匠の信頼を裏切ったんだ。呼吸が乱れる。胸がうるさい。師匠の音が聞こえなくなるじゃないか。それなのに、ゆっくりと紙片をめくっていた。

 あたしの身体のなかには、特別な器官がある。子供を為すための場所だ。その部分が熱をもつ。気のせいかな。そんなことない。おなかをさする。慎重にページを閉じた。これ以上読んでいるとおかしくなってしまう気がした。棚の空きに戻す。どうしよう。正しく元の場所にいれられたか自信がない。

 水多めの配分にした冷たいシャワーを浴びにいく。自分の顔を見つめて興奮を鎮めようとした。他人の顔なんて見られない。まして師匠の顔は。髪の毛をぎゅっとつかんでいた。自分のものじゃなくて。手首に巻かれた師匠の。もう香りなんて残ってない。鼻に押しつけても、汗と石鹼せっけんと塩素の入り混じったような、なんと形容したらいいのかわからないものしか感じ取れない。ううん。それ以外も、ある。口にしたくない。頭のなかに浮かんでくる言葉を必死に消した。石鹼の泡を身体にこすりつけて入念に洗う。身体をぬぐい寝具を身につけおちついてから部屋に戻った。はずだった。

 全身から血の気が引いて、心臓が強く跳ねあがる。

 パジャマ姿の師匠が起きていた。こちらのことを見てるのがわかる。

 手元には例の本。

 あ。だめだ。ばれてる。たぶん。おそらく。絶対に。

 師匠は指で机をつつく。

 とん・つー・とん・とん・とん・とん。

 とん・つー。

 とん・つー・とん・つー・つー、とん・とん。

 うん。うん。こくこく。そんな反応をして彼女の前へ。

 オイデ、っていわれた。和文モールス信号で。ライトで連絡するときに使う。

 そのあと、指が高速で机をつついた。

 ヨンダ?

 こくん。

 ナンデ?

「その、興味が」

 ナニシテタノ?

「……身体を冷ましてました」

 あたしは師匠の顔を見れなかった。怖いし。うしろめたさが半端じゃなくて。

 しばらく沈黙していると、師匠が本を棚に戻す。見た。一個ずれてら。笑いたかった。笑えなかった。

 師匠があたしの肩に指を当てた。

 とん・つー・とん・とん・とん・とん。

 つー・つー・とん・つー・とん。

 とん・つー・とん・とん・とん・とん。

 つー・とん・つー・とん・とん。

「えっ、えっ」

 戸惑っているうちに、あたしはベッドのうえに押し倒されていた。肩を押さえつけられてる。両方とも。動かない。動かせない。ベッドにしずみこむだけだ。ここのは上等にできていて、音はしない。

 オシオキ。

 相手がなんでもないひとなら、腹に膝でも入れていたかもしれない。

 でも。でもね。相手が師匠だったから。

 意味がわかってなくて、その顔をじっと見つめてしまっていたから。

 真っ赤だったの。

 息が荒かったの。

 冷静じゃなくて。

 なんだか怖くて。

 でももしかしたらこれって、なんて。

 これがきっかけになったら、なんて。


 あたしのなかにはまっくらやみが広がっていた。


 このまま、あたしをあなたのものにするのなら。

 あたしも、あなたを自分のものにしてしまおう。

 そんなふかいふかいやみが自分のなかにあると知っていた。


 だから後悔した。

 彼女のくちびるが、あたしの額に触れる。

 震えてた。彼女はずっと。

 そしてすぐに離れてしまう。

 あたしに打ち込まれる信号は、こう告げた。

 モウダメダヨ。

 そんなふうに、やさしく。




*




 あたしはその夜、師匠の背中を抱いてねむった。

 赤いヘッドバンドをなでながら。

 そして、涙を流すことなく泣いた。


 あたしは聞いちゃいけない。

 あなたの声を。

 こころの叫びを。

 だから、あなたのもとから飛び立つと決めたんだ。


 ねえ、緋音アカネ

 あたしもさみしいよ。

 恋がしたいよ。

 もっと純粋なかたちで。

 なんの利害も背負わぬ羽根で。


 こんなちいさな背中に頼るなんて。

 そんな自分を見せたくなかった。


 ——なんて、はじめからわかっていたのにね。


 もう、ておくれだ。

 いまここにあるのは、そう。

 あの翼を墜とすため、だけの関係だった。




 あなたの声 / Air for you ————END

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