Lilies Under the Aurora - 凶百合の花言葉は〈鏖殺〉

サクラクロニクル

蜘蛛崩しの緋音 / Dis Astral Ⅳ - The Seeker

独り立つ傭兵 / The Seeker Breaker

Part 1

 左肩から流れる血が外気で凍りついていた。消毒している余裕はない。引き裂かれた防寒具のうえから止血帯を乱暴に巻く。ひどい頭痛がしていた。心臓の鼓動と合わさるように、どくん、どくんと痛んでいた。

 ノイズだ。他人が立てる物音のように不愉快な。

 てのひらで頭をおさえる。白金しろがね色の髪のふさが帽子からはみでてしまっている。手早く押し込んだ。そうしているうちに、だんだんと痛みはおさまっていった。いや、違う。痛いのは変わっていない。ただ、聞こえるようになった。

 声だ。

〈パン‐パン、パン‐パン、パン‐パン〉

 その正体が緋音アカネにはわからなかった。追究することに意味はあるまい。体温により出血箇所が溶け始めるが、血は止まっている感じがする。彼女は雪の吹きつける岩壁の裏で、周囲の状況を確認した。見えるのは死体、残骸、物資、雪、そしていくらかの敵の破片。緑のきらめきが雪上に突き刺さっていた。無傷で逃がしたわけではない。

 さて、リーダーが死亡。スカウト、バディ、バックアップがそれにつづく。その他、行方不明者多数。

 見える範囲での結論は、全滅だ。味方はいない。

 自分の銃は敵の攻撃を受けたときに破損した。アカネはリーダーを務めていた少女の死体を見る。頭がない。どんな顔だったか。思い出せない。しかしもう二度と小言を聞かされることはなくなった。

 武器を拾いあげる。白く巨大な対物狙撃銃だ。自分が使っていたものよりもずっと精度がいい。各部をチェック。弾倉を引き抜く。手持ちのものと規格が違う。強力な装薬が使われているためだろう。一発撃つ。直接撃たなければ音で見つかる恐れはない。それは先ほどの遭遇でよくわかっていた。マガジンを装着してリロード。確認のためもう一度発射した。問題なし。

 周囲の死体から戦闘継続に必要な弾薬をありったけ抜き取る。これはチャンスだ。アカネは今日まで十五年生きてきたが、これほど大きな機会を得たことはない。手負いの獲物が近くを逃げ回っている。やつを殺せばすべてが自分の手柄になる。

 だが、可能か?

 彼女は物陰から相手の様子をうかがった。

 前方には上天じょうてん山脈の冠雪した峰が切り立っていた。雲上に広がる領域は横幅約350メートル、縦幅は約300メートル。その半分以上を占めるのが、金属でできた蜘蛛だった。緑色の表皮を持ち、尖った脚を山に突き刺しながら天へと登る。自分たち鳥の間では昇蜘蛛ノボルクモと呼ばれていた。その習性から単にシーカーとも。

 八本あった脚のうち、後方に位置する二本が破壊されている。再生していない。最前列左側も動かないようだ。それでも、一歩、また一歩と脚を突き立て、山頂に向かっている。自分のいる側とはちょうど反対側。このまま放っておけば山脈の向こうに回られ、追跡不能となる。

 肩の痛みがアカネの決断を遅らせる。質量を持った光のことを思い出していた。数十本もの糸が蛍光色の光となって拡散し、あたり一面に刺さった。精度の低さが幸いし、自分は肩を撃たれるだけで済んだ。もっと出力の高いものに当たっていたら致命傷だった。頭のない死体。首を振る。

 迷っていたら逃す。

 やつはここで殺す以外に選択肢がない。

 スコープを覗いて頭部を狙う。そこが制御中枢である確信はないが、やつの左前脚が損傷しているのは、頭への直撃弾を避けるためだったと記憶している。そうだ。この銃がやった。一撃で脚を一本。いまなら先制できる。

 アカネは銃口を昇蜘蛛の頭部へと向けた。風速と距離から着弾点を調整。

 トリガー。

 引き絞って二秒後、光がアカネの喉をかすめていった。そして彼女は永遠におのれの声というものを失う。

〈パン‐パン、ぱあN‐PAN、PAN——〉

 アカネは黙って撃ちつづけた。

 敵の頭部が爆ぜる。

 痛みというものがすでにわからなくなっていた。冷たさも、寒さも。


〈アカネ!〉

 だれかの声が聞こえる。

〈アカネ、しっかりして!〉


 わたしはだいじょうぶ。

 でも、声が出せない。喉が壊されたようだ。

 だからきっと、二度と恋なんてできない。

 死に際に思うことが、それか。

 アカネは口元に笑みを浮かべ、やわらかな雪のうえに倒れ込んだ。

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