第3話
シルバー伯爵は何も言えず、キャンディにも座るよう命じ、使用人に声を荒げた。
「茶を淹れなおせ! 用意が済んだら呼ぶまで誰もこの部屋には近づくな!」
シルバー伯爵夫妻は苦虫を百匹くらい嚙みしめたような顔をしていた。
何度か促されるも、口を開かないニックに痺れを切らした侯爵がキャンディに向き直る。
「どうやら愚息は臆病者のようだ。君からきかせてくれるかい?」
キャンディは頷いて、学園に入学してからの3年間の事実を滔々と述べた。
入学してすぐにソニア・マクレンに恋をしたニックは、キャンディを顧みずソニアだけに尽くしていたこと。
ランチも一緒に取ったのは最初の1か月だけで、その後は二人寄り添って、誰の目を気にするでもなくバラ園で食べさせあっていたこと。
定期的な茶会やデートも全てキャンセルされ、誕生日のプレゼントも一度も送られていないこと。
卒業パーティの前日に送られてきたこのドレスは、到底キャンディに似合うものではなく、サイズも合っていなかったこと。
もちろんエスコートもされなかったことなどなど……
あげればキリが無いが、インパクトがありそうなことだけをわざと選んだ。
「まさか……本当なの? 誕生日のプレゼントも無い? だってこの子、キャンディに贈るからって私に強請って毎月高価なプレゼントを用意していたのよ?」
「ははは……それは全てソニア・マクレン侯爵令嬢のお部屋にあるのでしょう。私は花の1本も、チョコレートの一粒さえも贈っていただいたことはございません」
キャンディは努めて明るい声を出した。
侯爵夫人が両手で顔を覆って泣き出してしまった。
駆け寄るシルバー伯爵夫人。
これほど辛いことを口に出している我が娘には手も差し伸べず、悪辣婚約者の母親には駆け寄るのだなぁとキャンディは思った。
「お前が休日ごとに高級レストランや観劇に連れて行っていたのは、婚約者のキャンディではなく、そのソニアという娘ということか? 学生の身分では予約ができないと言うから、こちらで取っていたが、私はお前の不貞の手助けをやらされていたということか?」
静かな声が余計に恐怖心を煽る。
ニックは縮こまったように怯えていた。
「どうなんだ! 答えろ! ニック・レガート!」
「も……もうしわけ……ございません……」
絞りだすようにそれだけを言ったニックは、ソファーからずり落ちるように床に座ってしまった。
「今キャンディが言ったことは、全て事実なのだな?」
「はい……」
「お前というやつは! キャンディ……いや、キャンディ・シルバー伯爵令嬢。愚息が多大なる迷惑をかけてしまったようだ。知らなかったとはいえ、私たちの教育が間違っていたことを謝罪する。君の人生で一番輝くはずの学生生活を、泥にまみれさせてしまった。申し訳ない」
深々と頭を下げる侯爵をキャンディが止めようとする前に、父親であるシルバー伯爵が口を開いた。
「いえ! 侯爵閣下。ご令息が他の女性に心を奪われたのは、全て我が娘の不徳の致すところでございます。この子がもっと魅力的でご令息を楽しませる術を持っておりましたら、気の迷いなど無かったことでしょう。こら! キャンディ。お前もお詫びしろ! 今すぐ土下座して謝れ!」
キャンディは気を失いそうな自分を励まし続けた。
リリアの言った通りだ。
もうこんな人達は親でも何でもない。
すぐにでもここを出て行こう。
貧乏でも何でもいいから、すぐに出るのだ。
キャンディは爪が食い込むほど拳を握った。
「それは違う。キャンディ嬢は慰められる立場であり、謝るのはこのバカ息子だ。事業提携の話もあるから、すぐに婚約解消というわけにはいかないが、キャンディ嬢の気のすむように取り計らう」
常識的な人は侯爵だけというこの喜劇を眺めながら、キャンディは思った。
私の気がすむようにって……私はどうしたいのだろうか……
「私は……婚約の白紙を……願い」
キャンディの言葉が終わらないうちに、頬に衝撃が走り、気付くと床に倒れ込んでいた。
「いい加減にしなさい。それ以上何か言ったら許しません」
鬼のような顔で自分を見下ろしている母親に、キャンディは絶望した。
レガート侯爵が慌てて母親を止めている。
父親はそんな侯爵にバッタのようにペコペコと頭を下げていた。
ニックは呆然と座ったままで、侯爵夫人は怒りの形相で息子を睨んでいる。
「後日改めて」
そう言い残し、ニックを連れて帰っていく侯爵一家。
キャンディは心の中で別れを告げた。
「キャンディ! 執務室に来い!」
まだ茶番劇の続きがあるのかと溜息を吐きながら、パーティードレスのまま歩き出した。
使用人たちは何事かとおろおろしている。
部屋に入るなり、開口一番父親が激しい口調でキャンディを責め立てた。
「この婚約は我が家の存亡が懸かっていると教えたはずだ! なのに婚約白紙を口にするとは! お前はこの家がどうなっても良いのか!」
心の中で『どうなってもいいわ』と返事をしながら、キャンディはただ口を噤んでいた。
母親がつかつかと進み出て、大きく手を振り上げた。
もう親ではないと決めたキャンディは、その手を弾き返す。
その拍子によろよろと後ろに倒れた母親を見下ろして、キャンディは口を開いた。
「こんな顔でも商品になるのでしょう? あまり殴らないで下さいませんか?」
母親が怯えた表情を浮かべ、少しだけ溜飲が下がった。
「お前という奴は……親に手を上げるなどとんでもない奴だ。こんなことだから婚約者に浮気をされるのだ! これ以上何も言うな。侯爵家の意向に全て従え! それ以外は絶対に許さん」
それからも長々と方向違いの説教を垂れ流す父親を見ながら、キャンディは持ち出すものを考えていた。
「もういい! 分かったなら部屋に戻れ!」
ペコッと頭を下げて部屋を出るキャンディ。
あくる朝、あまりの頬の腫れに驚きながらメイドが言った。
「レガート侯爵様がご令息と共に来られていますが……まず頬を冷やされますか?」
予想より早い相手の動きに、動揺したキャンディだが、ここで顔を出さないと拙い。
治療は断り、急いで支度をさせて客間に向かった。
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