第7話
「いや、警備隊には届けない。君もこのことは黙っておいてくれ。もう一度確認するが、ここにはいないのだな?」
「ああ、ここにはいない。それは断言するよ」
「わかった……悪かったな。どうやら娘の単独行動のようだ」
「おいおい、事件に巻き込まれたとは思わないのか? 娘が心配では無いのか?」
「心配だ。あいつが無事にレガート家へ嫁がないと……我が家は……」
努めて明るくこの話をしてくれた教育担当のメイドがキャンディに言った。
「キディ様、私が口を挟むことではありませんが、気を抜かないようにして下さいね」
肩甲骨より少し上まで髪を切ったキャンディは、細い黒縁の伊達メガネを外しながら頷いた。
「ありがとう。頑張るわ」
まだ探していると考えただけで鉛を飲んだ様な気分になる。
「さあ! 来週からお仕事よ!」
過去はもう忘れるべきだ。
キャンディはキディとして生きてゆく。
気を取り直し、明日の支度をして早めにベッドにもぐりこんだ。
緊張からか、あまり眠れなかったが、起きたものは仕方がない。
手早く朝食を済ませ、身支度を整える。
「今日からキャンディって呼ばれても、振りむいちゃだめよ? わかった? キディ」
鏡に映る自分に向かって言い聞かせていると、部屋のドアがノックされた。
「おはようございます。お迎えに参りました」
聞いたことの無い女性の声に、一瞬だけ緊張したが、紹介先から迎えが来ると伝言されていたことを思い出し、慌てて返事をした。
「ただいま参ります」
昨夜のうちに準備しておいた鞄を抱えて扉を開ける。
目に飛び込んできたのは、まだ年若いメイド姿の女性だった。
「キディ・ホワイト様ですね? 私はエヴァン侯爵家の親戚であるドーマ子爵家のメイドをしておりますエマと申します。本日よりよろしくお願いいたします」
流れるように要件を伝え、美しい礼をした。
「こちらこそよろしくお願いいたします。お迎えありがとうございます」
「先生、では参りましょう」
エマと名乗ったその女性は、キャンディの鞄を奪い取ると先に歩き始めた。
慌ててドアに鍵をかけ、後を追うキャンディ。
アパートを出ると、小ぶりな女性用の馬車が待機していた。
「では出発しましょう」
向かい側に座ったエマは、馭者席に続く窓をコンコンと叩いて合図した。
ゆっくりと走り出す馬車。
小さいながらも良い作りなのだろう、あまり揺れを感じない。
目を伏せて黙っているエマに話しかけた。
「これから向かうのはドーマ子爵家ですね?」
「左様でございます。ご当主様はお仕事でご不在ですが、奥様とお子様が先生の到着をお待ちしております」
先生と呼ばれることに違和感しかないが、これからの仕事のことを考えると自分が慣れないとどうしようもない。
「お子様はお幾つですか?」
「お二人いらっしゃいます。上のお子様はマーカス様で10歳です。下のお子様はマーガレット様で、先月7歳になられました」
予想より上だった。
10歳と言えばもう学園に通っているだろうし、7歳なら今年入学しているはずだ。
読み書きを教えると聞いていたはずだが、もしかしたら学園の授業の復習を手伝うのだろうか。
「私がお教えするのはマーガレット様ですね?」
「はい、左様でございます。少々事情がございまして、マーガレット様は学園にはご入学されませんでした。詳しいことは奥様からお話しされます」
「わかりました」
メイドという立場では言えないこともたくさんあるのだろう。
あまり根掘り葉掘り聞きだすと、このメイドの立場を悪くしてしまう。
話題を変えよう……そう思ったとき、馬車がスピードを緩め始めた。
「もうすぐ到着します」
「意外と近いのですね」
「はい。でも徒歩だと30分はかかります。先生は必ず送迎するように申しつけられておりますので、お帰りも私がお送りいたします」
あまりの厳重さに戸惑いを覚えたがありがたい。
馬車が止まり、ドアが開く。
広い庭の先にこじんまりとした邸宅があった。
小さいとはいえ外観はかなり凝った意匠で、わざとこの大きさにしているのだとわかる。
「こちらでございます」
相変わらずキャンディの鞄を持って先を歩くエマ。
彼女の仕事ぶりは完璧だった。
「どうぞお入りください」
ドアを開けてくれたのは、ロマンスグレーが良く似合う人の良さそうな男性だ。
「私はこの家の執事をしておりますレッドフォードと申します。応接室にご案内致します」
エマから鞄を受け取り、ゆっくりと誘導するように半歩先を歩くレッドフォード。
とても子爵家の執事とは思えないほどの洗練された動きだった。
「素敵なお屋敷ですね」
「はい、少々小さいと思われかもしれませんが、ここはご家族だけで過ごされるために建てられたものですので、余計な部屋が無いのです」
「そうですか」
ニコッと笑いかけた後、レッドフォードが奥まった部屋のドアをノックした。
「どうぞお入りください」
ドアを開けて入室を促される。
「失礼します」
入室したキャンディの視界に飛び込んできたのは、部屋中に飾られた花々だった。
部屋の真ん中に置かれたソファーに、上品なエプロンドレスを纏った、見るからに高貴な女性が微笑んでいる。
「さあ、どうぞ。今日からお世話になりますわ」
「こちらこそお世話になります。私はキディ・ホワイトと申します。隣国の……」
そこまで口にしたキャンディを優雅な手つきで制し、美しいレディがソファーを勧めてくれた。
「ご事情はクリスから聞いていますわ。私のことはロミット夫人と呼んでください。あなたのことはキディ先生と呼びましょう。よろしいですね?」
「はい、畏まりました」
音もなく数人のメイドが現れ、テーブルの上にティーセットを置いた。
そのうちの一人に耳打ちをして、人払いをしたロミット夫人がゆっくりと口を開いた。
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