第6話
日用雑貨などを購入し、契約したアパートに向かう。
共有部分の掃除などは管理人がするらしいが、さすがに室内は自分でやる必要がある。
家事など全く経験がない三人は、まだ何もない部屋で頭を寄せ合った。
「パパに頼んでうちのメイドを寄こしましょうか?」
「それはダメよ。これ以上迷惑はかけられないわ」
クリスが人差し指をピンと立てて言う。
「では、当面の間通ってもらって、ひと通りの家事を教わるっていうのはどうだい? もちろん時間外労働だから対価は払うんだ。その対価を自分で払うなら、君も遠慮が無いだろうし。リリアの息がかかっているメイドなら、裏切る心配も無いさ」
「それがいいわ! そうしなさいよキャンディ」
「そこまで甘えて良いのかしら……」
「良いのよ。それにメイド達の中にはお金が必要な人もいるわ。むしろ喜ぶと思う。心当たりがあるの。人選は私に任せてちょうだい」
キャンディは頷いた。
「ごめんね。頼ってばかりで……よろしくお願いします」
リリアとクリスは嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「それともう一つ。確認なのだけれど、君は婚約延期期間の1年が経過しても戻るつもりは無いんだね?」
クリスの言葉にキャンディは頷いた。
「ええ、もう戻るつもりは無いわ。あの家ともニックとも二度と関わりたくない」
「だったら、名前も髪型も変えた方がいい。きっと大慌てで探すだろう。君という生贄が無いと事業提携は白紙になるのだからね」
リリアが頷く。
「私もそう思うわ。本当ならうちから護衛を出したいところだけれど、そこまですると余計に目立つでしょう? 髪は染める? それとも切る? 名前はどうする?」
暫し考えたキャンディが口を開いた。
「クリスの言うとおりだとは思うわ。でも……髪型は変えて眼鏡をかけることくらいは必要だと思うけれど、名前まで変えると負けたような気がする……」
「何言ってるの! 負けるが勝ちってこともあるのよ? 一番大事なのは逃げのびること。そしてまとまったお金が溜まったら、国外に出ることも視野に入れるべきだわ。会えなくなるのは寂しいけれど、あなたが不幸になっていくよりよっぽど良いもの」
「ありがとう、リリア。変に意固地になって……でも……」
再びクリスが助け舟を出した。
「愛称だと思えばいいんじゃない? キャンディっていう名前はそれほど珍しいものでもないし。家名を使わないなら大丈夫かもよ? そうだなぁ……キディってどう?」
「キディ? あら、素敵。可愛い子供って意味ね? あなたにぴったりだわ」
恥ずかしそうに俯いたキャンディは、何度も口の中で呟いた。
「キディ……キディ……私はキディ」
「そうよ。キディよ。良く似合うわ」
「改めて今日からもよろしくね。僕の愛しい婚約者の親友キディちゃん」
キディと名を改めたキャンディは、真っ赤な顔でクリスが差し出した手を握った。
「こちらこそよろしくお願いします」
「隣国から遠縁の私を頼ってやってきたキディって設定ね。貴族身分はキープした方が何かと都合がいいわ。苗字は……そうねぇ……」
リリアは周りを見回した。
窓の外に教会の真っ白な塔が見える。
「キディ・ホワイトってどうかしら」
「キディ・ホワイト……素敵ね。純粋な子供って言う意味だわ」
「良いじゃないか。そうしよう。不動産屋の方には僕から変更するよう言っておくよ。なに大丈夫だ。こんな時こそ侯爵家の威光を使わせてもらおうじゃないか」
ドンと胸を叩くクリス。
キディ・ホワイト名義で銀行口座も作った。
ひとつずつ気に入ったものだけを買い足していく充実した毎日。
リリアの家から派遣されたメイドは、少し年配の女性で、もうすぐ孫が生まれるという。
お湯を沸かすところから教えて欲しいというキャンディにやさしく頷き、丁寧に手取り足取り教えてくれた。
特訓開始から二か月、孫が生まれたお祝いだと差し出したキャンディが作ったローストチキンを受け取りながら、涙を流して喜んでくれた。
「家事科目は卒業ですね、キディ様。これでもう大丈夫ですよ」
「ありがとう。お陰で一人でもやっていく自信がついたわ」
「頑張ってくださいね。私は孫のお守りをするために、デモンズ家のメイドも今日で終わりですが、どこかで見かけたら、必ず声をかけてくださいね」
「本当にありがとう。絶対に声を掛けるからね。そのうちお孫さんの顔を見にも行かせてもらいたいわ。それと……これはほんのお礼の気持ちなの。あまり包めなかったけれど、娘さんに何か栄養のつくものでも買ってあげてちょうだい」
自分で縫った小さな巾着に数枚の銀貨を入れて渡したキャンディ。
二人は固く抱擁し合って別れた。
今日から本当に一人だ。
クリスの進言により、当面の間はリリアもここに来ないことになっている。
キャンディを探すなら、親友リリアの動向を探るのが近道だと、誰でも思いつくからだ。
『半年は我慢した方がいい。手紙は構わないけれど、もし開封されてもキャンディだとわからないように留意するくらいの慎重さは必要だと思うよ』
クリスの変わらない慧眼に舌を巻きながら、リリアの父親であるデモンズ伯爵にかけてしまった迷惑を思い出し溜息を吐いた。
翌日帰ってこないキャンディを探しに、シルバー伯爵夫妻は鼻息荒くデモンズ伯爵邸に押しかけた。
どの使用人を捕まえても『ランチ後にお一人でお帰りになった』という返事だけ。
金を握らせて聞き出そうとしたが、誰も受け取らない。
さすが名門貴族家の使用人だ。
やっと帰宅したデモンズ伯爵を捕まえたシルバー伯爵は、いきなり胸倉をつかんだ。
「娘を返してくれ! どこに隠しているんだ!」
その手を引き剝がしながら、冷静に返すデモンズ伯爵。
「何のことかわからんが? 昨日来ていたキャンディ嬢が帰ってないのか?」
「ああ、この時間になっても戻らない。貴様が娘に協力したに違いない! あんな小娘に家出などという大それたことなどできるわけがないんだ!」
「おいおい、少し落ち着けよ。なぜ私が君の娘に協力せねばならんのだ? 確かにうちのリリアはキャンディ嬢と仲良くしてもらっていたが、そこまでする恩義などない」
「そ……それはそうなんだが……ではなぜ娘は帰ってこないんだ」
「それは私に聞かれても分かる訳がない。彼女は一人で帰ったと聞いたが、なぜ迎えに来なかった? ここで訳の分からんことを喚くより、できるだけ早く警備隊に相談した方が良いのではないか? 事件に巻き込まれた可能性もあるだろうに」
シルバー伯爵の顔色が一瞬で変わった。
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