第8話
「いろいろ大変だったみたいね。お辛かったでしょう? よく決心なさったわ」
この人は全ての事情を知っているのだと思ったキャンディは、小さく頷いた。
「そんな私にお仕事を下さり、心から感謝いたします」
「クリスはね、私の夫の甥っ子なのよ。小さい頃から知っているし、まるで本当の弟のように思っているの。そんなクリスが相談に乗ってほしいって言うから何かと思えば、自分の婚約者の親友が大変な目に会っているっていうじゃない?だから、少し調べさせて貰ったわ。許してね?」
「もちろんです」
「あなたの評判の良さも成績の良さも、とても素晴らしいと思ったわ。だからあなたにならうちの子をお願いできると思ったの。クリスは家庭教師先を紹介して欲しいって言っただけなのだけれど、私があなたに興味を持ってしまったのよ」
「それはありがとうございます」
「ふふふ、そんなに畏まらないでちょうだい。あなたには今から我が家の秘密を話します。これを知らないと家庭教師はできませんからね。でも、何があっても今から聞く内容を口外してはなりません。もしそうなったら命をもって償ってもらうことになるっていうくらい、重要な事よ。良いかしら?」
ここまで言われて、やっぱり止めますなど言えるはずもないし、もちろん言う気も無い。
キャンディはゴクッと唾を飲み込んで頷いた。
「誓います」
「ありがとう。実はね、下の子の成長に問題があって、学園には通えない状態なのよ」
「ご病気ですか?」
「病気と言えるのかどうか……主人の兄のところにも同じような状態の子がいるから、血筋なのかもしれないわ」
キャンディは黙って頷いた。
「あの子は……マーガレットというのだけれど、とても優しくていい子なの。顔は私に似ているけれど、髪とか目は主人の色よ。義兄のところの子供は、まったく表に出してもらえない状態なの。まあ、それは立場上仕方がないのかもしれないけれど、ずっと病気療養と称して別邸に乳母と住んでいるわ。あの子もいい子なのにとても可哀そうなの」
「病気療養ですか」
「ええ、体は健康なのにね。マーガレットにはこんな思いはさせたくないの。別に隠しているわけでは無いけれど、好奇の目に晒すなんてできないわ。だからこの屋敷を建てたのよ。最低限でも読み書きができれば、この先も明るく生きていけると思うのだけれど」
「読み書き……なるほど。マーガレット様は7歳におなりと伺いました。これまではこういった教育はなされていないのでしょうか」
「ええ、家庭教師を選ぶのもなかなか難しくてね。唯一ピアノだけは本人が気に入って続けているけれど。マーガレットはね、字を字として認識できないのよ」
「はい? 字を字として認識できない?」
「ええ、知能は至って年相応なのですって。でも、字を書かせるとなんと言うか……蚯蚓がのたくってる感じ? 話すのは何も問題は無いのよ。でも読み書きは苦手」
「なるほど。それで、どこまでの成長をお望みですか?」
「本は読めるようにしてやりたいわね。それと自分の名前くらいはきれいに書けるようになればとは思うのだけれど。どうかしら」
「わかりました。一度お会いしてもよろしいですか?」
「ええ、もちろんよ。では今から案内しましょう」
そう言うとロミット夫人は手入れの行き届いた小さな手で、呼び出しベルを振った。
「お呼びでございますか、奥様」
「ええ、先生をマーガレットの部屋へ。それとマーカスも呼んでちょうだい。一緒にお茶にしましょうって」
感じの良い微笑みを浮かべたままで礼をしたレッドフォードが、メイド達にテキパキと指示をする。
この屋敷の使用人は全員音を立てないように訓練されているのかしら……そう思ったキャンディは、自分のマナーに不安を覚えた。
「参りましょう、先生」
夫人はすでに部屋を出て歩き出している。
「はい」
キャンディは慌てて鞄を抱きしめて、夫人の後を追った。
二階に上がると明るい笑い声が聞こえてくる。
「あら、マーカスもいるみたいね」
先ほど呼びにやらせたマーガレットの兄も一緒に遊んでいるようだ。
ドアをノックして夫人が顔を覗かせると、歓声が上がってパタパタという可愛い足音がした。
どうやら音を立てたら罰せられるわけではなさそうだ。
「まあまあ! 楽しそうだこと。今日はマーカスとマーガレットに紹介したい方がいらしてるのよ」
子供たちが夫人の左右に分かれてドアの方に目を向けた。
マーカスが母親の顔を見た。
頷く夫人。
マーカスは背筋を伸ばし、見事な紳士の礼を見せた。
「いらっしゃいませ。僕はマーカスと申します。こちらは妹のマーガレットです。お見知りおきください」
キャンディはひとつ頷いてから鞄を置き、カーテシーで応えた。
「ご丁寧なご挨拶を賜り恐縮でございます。私はキディ・ホワイトと申します。本日よりマーガレット様のお話し相手として参りました。どうぞよろしくお願いいたします」
マーガレットが驚いた顔で母親に聞いた。
「お話し相手? 家庭教師の先生ではないの?」
夫人はしゃがんでマーガレットと目線を合わせた。
「家庭教師の先生だけれど、お話し相手をして下さるの。その方がマーガレットも緊張しないでしょう?」
「はい。嬉しいです、お母様」
「ご挨拶できますね?」
コクンと頷いて、少しはにかみながらマーガレットがキャンディの方に向き直った。
「初めてお目にかかります。私はマーガレットと申します。7歳です。どうぞよろしくお願いいたします」
キャンディはそのあまりの可憐さに感動しながら、マーカスと同じようにカーテシーで挨拶をした。
「さあさあ、お茶にしましょうよ。この屋敷にいるときくらい気楽に過ごしたいわ。お菓子をたくさん持ってきてちょうだい。それと紅茶と果実水もね」
レッドフォードが胸に手を当てて下がっていく。
「どうぞ、レディ」
マーカスがキャンディに手を差し出す。
ソファーまでエスコートしてくれるようだ。
「まあ、マーカス様。エスコートしていただけますの?」
「お手をどうぞ」
真っ赤な顔をしながらキャンディの顔を見ているマーカス。
美しい顔立ちは夫人によく似ている。
吸い込まれそうなほど澄んだ水色の瞳に、キャンディは既視感を覚えた。
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