第49話
その日の夕方、キッチンの窓が三回叩かれた。
「三回……あと三分で来るぞ」
エマとケインの息子であるトムソンが頷きあい、お互いの服装を点検した。
ルーラはキッチンに立ち、エプロンをつけなおし、ケインは自然な動作で薪小屋へと移動した。
オーエンはエマとトムソンに合図を送り、リビングのソファーに深く腰かける。
ドンドンドンと扉が叩かれ、薪小屋から顔を出したケインが返事をした。
「はいはい、どちらさん?」
「私はレガートという者だ。領主を呼んでくれ」
「レガートさん? あれあれ立派なお召し物だ。こりゃきっと高貴な貴族様に違い無さそうだねぇ。ちょっと待っておくんなさいよ。ただいま呼んで来ますからね」
「早くしろ!」
レガートは苛ついた声を出した。
屋敷の裏に回り、待機していた男に頷いて見せた後、ケインが扉を開けた。
男は教会へと走り、ルーラは洗い物の手を止めた。
リビングに回ったケインがオーエンに目配せをする。
頷いたことを確認してから声を出した。
「領主様、レガートっていう貴族のような人が会いたいって来てますよ?」
オーエンも声を張る。
「レガート? レガートっていやあ侯爵様じゃないか。お待たせしちゃ大変だ。すぐに入っていただきなさい」
外に漏れ聞こえる二人の会話を聞きながら、レガートは満足そうに頷いた。
ドアが開きケインが顔を出す。
「お待たせしやした。どうぞ」
傭兵の一人が先頭を歩き、5人がレガートを囲むように入って来る。
「お前が領主か? 名は?」
客の方が屋敷の主に名を聞くという滑稽さを指摘する者はいない。
「私はこの村の領主をしておりますオーエン・フォードと申します」
「爵位は?」
「男爵位を賜っております」
「なんだ、男爵か。領地はここだけか?」
「はい、この村全部が領地でございます」
「特産品は? どうやって成り立っているのだ?」
「名物は林檎とワインです。ほとんど納税できないような瘦せた土地で、若い者はほとんど出稼ぎに王都へ行っています。残っているのは年寄りと子供と農婦くらいです」
「なんだ、つまらん土地だな。娼館も無いのか」
「娼館どころか商店街もありませんよ」
「フンッ! まあ良い。いろいろ聞きたいことがあって来たのだが、まずは腹が減った。食事の用意を頼む」
「畏まりました。野菜ばかりの田舎料理ですがすぐに準備させましょう。ワインだけは十分ご用意できますので。先にお持ちしますか?」
「ああ、頼む。それと今夜はここに泊めてもらうぞ」
「畏まりました。ただこのように小さな屋敷ですので、部屋数が少なく皆さんお二人ずつのお部屋になりますがご容赦ください」
「仕方ないだろう。私は一人部屋にしてくれ」
「畏まりました」
「わかったならさっさと酒を持ってこい」
オーエンが頭を下げて、エマとトムソンに下がるように言った。
レガートが声を出す。
「おい、そこの女。名は?」
「キディ・フォードと申します。これは息子のエスポです」
「領主の妻か。若いな……子は幾つだ」
「今年で5際になります」
「5歳……ホープスより上か。おい息子、お前と同じくらいの子は何人いる?」
トムソンはぶるぶると怯えてエマのスカートにしがみついた。
オーエンがすかさず庇う。
「申し訳ございません。田舎育ちなもので、都会の方々に怯えてしまったのでしょう。この村に住んでいる子供は全部で32人です。エスポと年が近いのは8名くらいでしょうか」
「子供の教育くらいしっかりしておけよ? まあいい。酒だ」
「はい」
そそくさとリビングを出る三人と入れ違いのようにケインがワインを持ってきた。
ワインは赤で、すでにデキャンタも済んでいる。
「どうぞ」
大ぶりなワイングラスを人数分と、カットも無いシンプルなデキャンタボトルをテーブルに置く。
「つまみは無いのか?」
「ただいま準備しております」
その声を合図のようにルーラがライ麦パンを小さくカットしたものの上に、トマトを乗せたつまみの皿を持ってきた。
いつもは美人と名高いルーラだが、今は日焼けしてシミが目立ち頬が弛んで見える。
客たちはあからさまにがっかりした顔をした。
「田舎は田舎だ。早く用件を済ませて王都に戻ろう」
傭兵の一人がそう言うと、レガート侯爵が首を振った。
「いや、手掛かりが掴めるまでは動かんぞ。危ない橋はできれば渡りたくないからな」
傭兵たちは肩を竦めてワインボトルに手を伸ばした。
運ばれてくる料理は、野菜の煮込みや焼き野菜だ。
それをライ麦のパンとワインで流し込み、侯爵達は早々に部屋に引き上げていった。
真っ黒な服を着て、顔も隠しているリアが天井からキッチンにおりてきた。
「寝たよ。ほんの少し薬を盛っただけなのにチョロいね」
オーエンが答える。
「疲れてたんだろうぜ? 親父が随分遠回りの道を教えたみたいだ」
「明日から忙しくなるね」
「ああ、面倒なこったぜ」
オーエンは深いため息を吐いた。
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