第50話

 そして翌朝、物凄いクマを目の下に貼り付けたオーエンと、すっきり爽やかな顔をしたエマが、夫婦の部屋から出てきた。

 笑いを嚙み殺しながらケインがいう。


「配置は完了した。さっさと腹ごしらえをしてくれ」


「わかった」


 返事をするオーエンをルーラが揶揄う。


「その顔はやりすぎ? それとも我慢大会?」


 オーエンがコーヒーカップを持ったまま、プイっと横を向いた。

 吹き出すケイントルーラ。

 エマが真面目な顔で答えた。


「なかなかの忍耐力を見せて貰ったわ。まあ子供を挟んでいたしね」


 オーエンが言い返そうとしたとき、階段を降りる靴音がした。


「エスポは?」


「まだ寝ていろと言ってある」


「料理は?」


「一人だけ仕込んだよ。軽い下剤だ」


「では始めようか」


 四人が頷きあったとき、キッチンのドアが開いた。


「飯だ」


 ルーラが高い声を出す。


「は~い、ただいまお持ちします~」


 ケインとエマが料理を運び、オーエンが腰を低くして挨拶を述べた。


「食事が終わったらお前に聞きたいことがある」


「承知しました。観光はなさいませんので?」


「見るものがあるのか?」


「森とか林とか川とか」


「いらん!」


 レガート一行はほとんど口も利かず黙々と食べていた。


「出掛けるぞ」


 レガート侯爵が立ち上がる。

 部下に命じるだけで、自分は屋敷にいるかもしれないと思っていたオーエンの目論見は外れた。


「私に何かお尋ねになりたい事があるとのことでしたが」


「ああ、あるというかあった。しかし自分の目で確かめた方が早そうだ。この村に身をひそめるにしても、キャンディが農婦になれるとは思えんし、まだ幼い子供を抱えているんだ。無茶なことはできんだろう? そうなると自ずと調べる場所は決まってくるさ。ここにはいなかった。となると、隣の建物が怪しい」


「あそこはつい最近開所したばかりの老人保養施設です」


「行ってみればわかる。お前が案内しろ」


「はい、わかりました」


 オーエンがケインに言って上着をとってこさせる。


「お待たせいたしました」


「お前が先に歩け」


 オーエンが先頭に立って領主邸の隣にある建物へと歩いた。

 よほどの手練れでも気付かないほどの素早さで、リアが施設に入り込む。


「来るよ」


 それだけ言って天井裏に消えた。

 窓から外を伺っていた老婆が、振り返りながら歯の抜けた口を開く。


「久々に血が騒ぐねぇ」


 杖を振り回しながら老爺がニタッと笑った。

 その隣にいた中年の女性が手を叩く。


「ここで消すんじゃないんだから、そんなに張り切らないでちょうだい。よぼよぼの老人の振りをして下さいよ?」


「はいはい、わかってますよ。施設長さん」


 中年の女性は肩を竦めて厨房に向かう。

 集まっている老人たちは、ワクワクしながら待ち構えていた。


「お邪魔しますよ。オーエンです。見学の方をお連れしました」


 オーエンがノックをしながら声を張る。

 施設長と呼ばれていた女性が、みんなに目配せをしてからドアを開けた。


「まあ領主様ではないですかぁ。どうなさいましたか? あれあれ、お客様ですかぁ?」


「ええ、王都から来られたお客様で、侯爵様ですよ。みなさん失礼の無いようにして下さいね。今からこの施設の中を見学されます」


 ニヤニヤと笑っている老人たちの前にレガート侯爵が姿を見せた。


「すぐに終わるからここから動かないようにしてくれ」


 部下たちに確認する場所を割り振り、レガート侯爵本人は一階にある厨房へと向かった。

 厨房には忙しく立ち働く女性の姿があり、その一人一人の顔を確認して廻る。

 思ったより隙がないとオーエンは感じた。


「ここにはおらんな。ロビーに戻る」


 パントリーの中まで確認したレガート侯爵に、オーエンが言う。


「あの、いったい何をお探しなので?」


「レガート侯爵家の嫁と孫だ。愚息が浮気をして拗ねて家出をしたんだ。まったく手間ばかりかけさせる」


 あくまでも家出をした嫁を探しているで押し通すつもりらしい。


「そういうことでしたら、私に聞いていただければすぐにお答えしましたよ? この村のことなら野良犬が一匹紛れ込んだだけでもわかります。ましてや若い女性と幼い子となると、村に入ってきた時点で耳に入ってきますよ」


「ふんっ! こんな小さな村だものなぁ。しかし私は自分の目で確認しないと納得しない質だ。 もう少し付き合え」


「はい、それはもう」


 ロビーに戻りながらレガート侯爵がオーエンに聞く。


「そこまで把握しているというなら聞くが、最近若い男がこの村に来なかったか?」


「若い男ですか? 襤褸をまとった浮浪者のような男でしたら来ましたよ。腹が減っていたようで、まだ甘くもない林檎を盗んで食べて、腹を下して苦しんでいました。可哀そうだと思っていくらかの金を恵んでやったら喜んでましたね」


「襤褸を纏った? 浮浪者だと? 何歳くらいだった?」


「そうですね……私と同じ位じゃないでしょうか。いや、あまりにも汚れていたから……意外と年下かもしれませんね」


「お前はいくつなんだ」


「25歳ですよ」


「そうか、来たか。どちらに行った?」


「泊るところを探しているようでしたので、教会を教えました。その翌日には出て行ったと聞いていますが、挨拶には来なかったので、何処に行ったかまでは知りません」


「何か聞かれたか?」


「いいえ、泊るところを聞かれたくらいですね……いや、何か言ってたな……なんだっけ」


「思い出せ!」


「はい……ちょっと待ってください。ええっと……ああ、そうだ。父親の悪口を言ってました。あまりにも酷いので聞き流していたので忘れていましたよ」


「父親の悪口だと? なんと言っていたのだ?」


「鬼だとか悪魔だとか? あと、死ねばいいのにだったかな。とにかく気分の悪くなるような言葉を、ぶつぶつと呟くので気味が悪かった……あっ、あとこうも言ってましたね」


「なんだ?」


「絶対に殺してやるって」


 レガート侯爵の顔が醜く歪む。

 二階を見ていた傭兵たちが戻ってきた。


「何もありません。どこにも隠れるところは無いですね」


「行くぞ」


 先頭を切って出て行く侯爵の後を追いながら、オーエンが振り向くと、そこにはすでに数人の老人しか残っていない。

 オーエンは施設長の女性を呼んで耳打ちをした。


「あまり張り切るなって言っといて」


 馬に跨ったレガート侯爵がイライラとこちらを見ている。

 オーエンはぺこぺこしながら走り寄った。


「まだ探しますか?」


「教会へ行く」


「畏まりました。ご案内します。ああ、そうだ。教会に行くならちょっと待ってください。子供たちにお菓子を持って行ってやりたいので」


「早くしろ!」


 オーエンは急いで屋敷に戻り、クッキーをたくさん詰めたバスケットを持ってきた。

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