第44話

「その方は、正直に申し上げるととても横柄な態度の方でした。そんな方があそこまで身を窶して人を探していたのです。その理由が『大切な人が死んでしまう』というものでした。その大切な人というのが親なのか、恋人なのか、妻なのかはわかりません。しかしプライドを捨ててでも、成し遂げたいという気持ちは少しだけ理解できます」


 オーエンが聞き返す。


「理解ですか?」


「ええ、私は旅先で母と引き離された経験があります。あの頃の私は何の力も知恵も無く、人に騙され捨てられました。それまでの私は外国語やマナー、自国の歴史や他国との関係など、それはもう朝から晩まで勉強漬けの毎日でした。そこまで学んでいたのに、人の噓を見抜く力は持っていなかった。悔やまれます」


「そうですか、悔やんでおられますか」


「ええ、母を連れ去ろうとする男たちが怖くて立ち竦んでしまいました。殺されても良い、母を守るんだという気概も持っていない臆病者。頭でっかちで何の役にも立たない子供……私がそうでした。あの時死ぬ気で立ち向かっていればと何度も後悔しましたが、時間は戻りません。母も戻りません。でも私を救ってくれた人は言いました」


「なんと言われたのですか?」


「それも神の思し召しであると」


「それはまた……厳しい言葉ですね」


「ええ、本当に厳しい言葉です。何人とも比べず、何人にも囚われず、ただ己自身の中に己を見つけるという作業を要求されたのです。まあ未だにできてはいませんが」


 ふとスミス牧師が自嘲するような笑みを浮かべた。

 その横顔はどこまでも悲しく、どこまでも孤独で、どこまでも慈悲深い。

 外で馬の鐙の音がした。

 スミスがスッと表情を戻す。

 オーエンが立ち上がり、母親を呼びに行った。


 リリアンヌが自室から出てくるのと、玄関の扉が開くのがほぼ同時だった。

 エスポがキディに駆け寄る。


「お帰りなさい、あなた。先にお風呂に入る?」


「ああ、ただいま。風呂は後でいいよ」


 十年近くぶりの夫婦の再会は、昨日も交わされた会話のように自然だった。

 レッドフォードがゆっくりとリリアンヌに近づき、思い切り抱きしめる。

 エマがぽろぽろと涙を流していた。


「おかえり、父さん。紹介するよ、こちらがフォード村に駐在してくださっているスミス牧師だ。あとはみんな知っているよね」


 レッドフォードとスミスが握手を交わす。

 キディはどういう顔でレッドフォードを見て良いのかわからなかった。


「キディ先生、お久しぶりです。マーガレット様からお手紙を預かっておりますよ」


 レッドフォードが旅塵で煤けた上着のポケットから取り出した封筒は、薄いピンクに純白のマーガレットのハナが染め抜いてある。

 便箋が何枚入っているのだろうか、かなり分厚い手紙だった。


「少しずつ小さい字も書けるようになられましたが、先生に報告することや相談したいことが山積みのようで、こんな売買契約書ほどの厚さになってしまったようです」


 キディは手紙を受け取りながら、何度も何度も頷いた。


「執事様がお義父様だったと先ほど知りました」


「ええ、世を忍ぶ仮の義父ですね。それもあと一年と少しです。それまではその優しい声でおとうさまって呼ばれたいものですね」


 そう言うレッドフォードはエスポを抱き上げた。


「やあ、君は初めましてだね。私は君の祖父だ。仲良くしてくれるかな?」


 エスポは驚いた顔をしつつも、にっこり笑った。


「おじい様、エスポ・フォードです。よろしくお願いいたしましゅ」


 最後少しだけ嚙んでしまったが、立派に挨拶ができたと自慢げな顔をするエスポ。

 レッドフォードは嬉しそうに頷いた。


「さあ、全ての情報を共有して準備を進めよう。ああ、スミス牧師様。あなたもすでに我々のメンバーです。よろしく頼みますよ。むしろあなたはキーマンだ」


「こちらこそよろしくお願いいたします」


 スミス牧師が全員にペコッと頭を下げた。


「リリアンヌ、君の使命はエスポの保護だ。キディは全力で守られてくれ。守られるというのも覚悟が必要だからね。頑張ってほしい」


 リリアンヌとキディが頷いた。

 なぜかエスポも頷いている。


「リアは影に戻り仲間たちが到着するまで耐えろ」


「はい」


「エマは……もしかして全部聞いた?」


「はい聞きました。いろいろと……ありがとうございました」


「いや、君はとても可愛らしい娘だったよ。良い思い出をたくさんありがとう。一緒に風呂に入ったのは覚えてる?」


 エマが真っ赤になって俯いた。

 リリアンヌが夫の袖を引き、小さく首を横に振った。


「ああ、ごめんごめん。もうレディだものな。悪かったよ」


 一瞬で場に和やかな風が吹き抜けた。

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