第61話

「クリスとリリアのお子様ですね? ああ会いたいわ……リリア」


「うん、もう少し落ち着いたら遊びにこさせよう。彼女は第二子を妊娠中でね。なかなか思うように動けないみたいだ。でも君は王宮を出てはダメだからね。彼女の悪阻が落ち着いてからの再会だね」


 すぐに会いたいが、そういう事情なら仕方がない。

 まるで我が事のように嬉しくなるキャンディ。


「マーガレットの皇太子妃教育はエステルにも入ってもらうつもりなんだよ。彼女はとても優秀な教育者だ。皇太子も克服したとはいえ、同年代からすると少しだけ言語に心もとないところがあるんだ。今までは母上が御存命だったから、王宮内での教育が思うように進まなくてね。でもこれからは大丈夫。もともとあの子もとても優秀な子だ。すぐに追いつくよ」


 エステルが立ち上がり深々と頭を下げた。


「身命を賭してお仕え申し上げます」


 公爵が頷いた。

 エステルがキャンディに笑顔で言う。


「あなたが開発した文字の積み木を使うつもりよ。あれは本当にすぐれた教材だわ。できれば同じような苦労を持つ子供たちにも広めていきたいと思っているの。許可していただけるかしら」


「もちろんです。是非お使いください」


 二渡は改めて握手を交わした。

 そんな様子を部屋の隅で伺っていたマーガレットが、公爵の側に来る。


「お父様、お話しは終わられましたの?」


「ああ終わったよ。よく我慢したね」


 マーガレットが相好を崩してキャンディに駆け寄った。


「キディ先生! ずっとずっとお会いしたかったです。私ね、とてもお勉強をしましたのよ? お兄様にも手伝っていただきながらきちんと読み書きができるように、頑張ったのです。キディ先生に褒めていただける日を夢見ていました」


 キャンディに抱きつき、半べそのような顔で訴えるマーガレットは、あの頃のままのキラキラした目で見上げている。


「マーガレット様、いつもお手紙をありがとうございました。文字がどんどんきれいに読みやすくなって、とても感心していました。よく頑張りましたね、ところで黙字についての疑問は解決しましたか?」


「はい、解決というより納得しましたわ。この本を使ってエステル先生が教えてくださいました」


 マーガレットがメイドに持たせていた本を指さした。

 それはあの日キャンディが借りて帰ろうとした本だった。

 エステルが声を出す。


「父が書いたこの本は、とてもすぐれた研究だと思います。思いますがまったく売れなかったのです。ですから私の部屋にはまだたくさん在庫がございますの。思えばこれが父の遺産のようなものですが、こうやって縁を結んでくれたのだと思うと、感慨もひとしおです」


 キャンディが頷いた。


「本当に。私もどうやってマーガレット様にお伝えしようかと考えながら、何度も何度も繰り返し読みました。読むたびに著者の言語学に対する愛情を感じて、温かい気持ちになったものです」


「ありがとうございます。父も浮かばれますわ」


 マーガレットはまだキャンディに抱きついたままだ。

 スミスがふと気になってホープスを見ると、マーカスが膝に乗せて後ろから優しく抱いてやっている。

 こんなに温かい家族を築ける王弟夫妻なら、悪政によって荒れたメルダも立ち直れるのではないかと思った。


 再会を約束して帰っていった王弟一家を見送りながら、キャンディは幸せな気分を嚙みしめた。

 それから三か月、いよいよ帝国との交渉も最終段階に入った。

 リリアとクリスが息子を連れて遊びに来たり、マーガレットがエステルに連れられて来たり、なかなか忙しい日々を送っていたそんなある日のこと。


「キャンディ様、シルバー伯爵とその息子ですが、やっと任務を完了しましたのでご報告致します。いやぁ、キャンディ様が四番を選択されたお陰でなかなか苦労しましたよ」


 キャンディとスミスが顔を見合わせた。


「彼らは無事に芸を身につけ、雑技団の一員として各地を慰問して回っています。息子の方はまだ体が柔らかかったから、比較的早くからいろいろな芸も覚えていったのですが、父親のほうは不摂生の塊のような体でしたからね。体づくりから始めないといけなくて、かなり時間がかかってしまいました」


「雑技団? 四番って雑技団に入れるというものだったのですか?」


「大きく言えば違いますが、今回はそうの方がウケるかなと思いまして。簡単に奴隷に落としてもすぐに死んでしまうでしょう? ですからなるべく長く楽しんでいただけるように雑技団にしたのですよ」


「は……はあ、なるほど?」


「ははは! 喜んで戴けて何よりです。ちなみに弟さんは空中ブランコの飛び手で、父親の方は投げナイフの標的役です」


 キャンディはどうリアクションして良いのか分からなかった。


「そうですか……わかりました」


「ああ、それとシルバー伯爵の爵位はキャンディ様の名義になっておりますが、帝国に行かれたのちはどうされますか?」


「どうと言われましても……何も考えておりませんでしたから、なんとも……」


「ですよね。でしたらオーエンにお譲り願えませんか? あの屋敷はなかなかの好立地で、仕事の拠点にするにも便利なのです。領地の方は訓練所と引退者の隠遁地にして、旧シルバー邸をフォード家所有にできればと思うのです。もちろん代価はお支払いいたします」


 キャンディがぶんぶんと首を振った。


「代価などとんでもないです。むしろ継いでいただけるならこれほど嬉しいことはありません。どうぞ良いようになさってください」


「しかしそれだと継承する理由が……ああ、そうだ。キャンディ様、オーエンを養子にしませんか? 養子縁組の後でエマと娶わせて継がせるのです。帝国には私と妻、そしてリアがご一緒します。私たちが行けばオーエンなどいてもいなくても同じようなものです」


 後ろで騎士服を着て立っていたオーエンがあんぐりと口を開いている。

 

「オーエンが義息? ぷっ……ぷぷぷぷぷっ」


「キャンディ様、笑い過ぎです」


 オーエンが真面目な顔で抗議した。

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