第60話

「エステル、君はキディの顔を覚えているかい?」


 エステルが顔を上げた。


「もちろんですわ、閣下。王立図書館に勤務していた間で、あの時ほど楽しい会話をしたことはございませんでした。次々に発せられる質問は、心からなんとかしたいという教育者の渇望の様なものさえ感じたのです。そんな方に生半可なお答えをするなどできるはずもございません。緊張感の中でシンパシーを感じる。そんな素敵な時間を共有した方のお顔を忘れるわけもございません」


「そうか。ではここにいる女性がキディ・ホワイトであると君自身が証言できるかい?」


「はい、あの頃より随分落ち着いた雰囲気になられましたが、間違いなくあの時のご令嬢です」


 キャンディがエマに取りに行かせていた本が手元に届いた。


「こちらはあの時に貸し出していただいた本です。今日まで返却に行くことができず、随分延滞してしまいました。申し訳ございません」


 本を受け取り確認をしたエステルがにっこりと微笑んだ。


「とても大切にして戴いたようですね。お貸ししたときのままのです。少し遅れたくらい問題にもなりません。あのコーナーはとても興味深い本が置いてあるのですが、如何せん人気がなく、棚卸でも除外されるほどですもの。誰にも知られてはおりません」


「しかし貸出カードがそのままでは?」


「あれは、そちらのお嬢さんが代理で返しに来られた時、返却確認印を押しましたから」


「まあ!」


「ほほほ」


 もう何年も友人関係にあったような気安さで笑うエステル。


「それほど信用したあなたが仰るのですから、この方は間違いなく弟のスミスということになります。本当に幼い頃に離ればなれになったきりなので、他に確認のしようもございません。あの子はすぐに風邪を引く体の弱いこでしたのに、立派に成長してくれて……字も途中からどんどん力強い筆圧になって、どれほど嬉しかったことか」


「姉さん……」


 スミスがエステルの前に進んだ。


「スミス、長いこと寂しい思いをさせてごめんなさいね。牧師になると聞いたときには驚いたけれど、こうして戻ってくれて嬉しいわ」


「姉さん、紹介するよ。彼女は僕の婚約者で、キャンディ・シルバー伯爵令嬢だ。でもその身分ももうすぐ変わるんだよ。彼女は……」


 エステルがスミスの頬に手を当てた。


「知ってるわ。あなたが守るのでしょう?」


「うん、僕が必ず守るよ」


「彼女の子供も必ず守りなさい」


「もちろんだ」


 スミスが手招きするとホープスがやってきた。

 エステルがホープスと目線を合わせる。

 

「初めまして、私はエステル・ノーランと申します」


「はじめまして。ぼくはホープスです」


 しっかりと背筋を伸ばしてから、紳士の礼をするホープス。

 ずっと黙ってみていたマーガレットの兄であるマーカスが口を開いた。


「ホープス君、立派な礼ができるのだね。感心したよ。君はいくつかな?」


「僕はもうすぐ5歳になります」


「そうか、僕は15歳で妹のマーガレットは12歳だ。僕たちは仲良くなれそうだね」


 ホープスがコクコクと何度も頷いた。

 マーガレットがホープスに手を差し出す。


「ねえホープス君、あちらで私に本を読んでいただけるかしら」


 気を遣ったのだろう、マーカスがマーガレットとホープスを部屋の隅に連れて行き、リアが飲み物とお菓子を準備するために部屋を出た。

 応接室中央のソファーの三人掛けには、ユングリング公爵夫妻が、テーブルを挟んだ二人掛けにはキャンディとスミスが座った。

 エステルはレッドにエスコートされて、一人掛けソファーに落ち着く。


「さあ、重要な話をしよう。まずはノーラン家の再興だ。君たちの親戚が売り出した子爵位は僕が買い戻しておいた。まずはスミス・ノーランとして継承してくれ。君の後はエステルが継ぐのが良いと思うのだけれど、どうかな?」


 エステルは驚いた顔をしたが、微笑むスミスを見て頷いた。


「そして爵位を譲渡したと同時に、スミス君はうちの養子に入ってもらう。スミス・ノーラン・ユングリンガとなって、私たちと共にメルダ王国を統治する。今の計画では私がメルダ国の国王となるから、君は王子だね。そしていよいよキャンディ嬢との婚姻だ」


 今度はキャンディが驚いた。


「結婚ですか」


「いろいろ考えたのだけれど、婚約者として帝国に行くといろいろな画策をしてくる輩がいないとも限らないでしょう? ちゃんと結婚してホープス君とも正式に養子縁組してしまえば問題も減るし、ましてや我がユングリンガ王国の属国とはいえ、メルダ国王の息子が婿なんだ。帝国も文句は言えまいよ」


「なるほど……」


 スミスが顎に手を当てて感心している。

 絶対に誰も口にはしないが、ノーラン子爵家は直系のエステルが継ぎ、一時的ではあるがスミスもメルダ王国の王子に戻るということだ。


「凄いですね」


 キャンディが感嘆の声を出した。

 ニヤッと笑った公爵が言う。


「もし良ければなんだけど、君たちの間に子供が生まれたらメルダを統治する私の後継者にしたい。マーガレットは現皇太子と婚約関係にあるから、来年から皇太子妃教育が始まるんだ。兄のマーカスはユングリンガの王位継承権第二位だし、最側近として皇太子とその妃を支えていかなくてはいけないんだよ」


「皇太子殿下にご兄弟は?」


 ロミット夫人が返事をした。


「国王陛下の御子は皇太子殿下だけよ。皇太子殿下もマーガレットと同じようなご苦労があって、前王妃殿下がご立腹でね。王妃殿下が体調を崩されてもう御子をなせなかったの」


 公爵が後を引き取る。


「皇太子が継承権第一位で、うちのマーカスが二位だ。そしてキャンディも良く知っているクリス・エヴァンが第三位だよ。そしてその息子が第四位だ」


 キャンディの顔が一気に明るくなった。

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