第59話

 キャンディ達のために用意された離宮は1階に小さなダンスホールまである豪華な作りだった。

 女帝として君臨するキャンディと、その皇配となるスミスには覚えなくてはいけないことが山のようにある。

 

「スミス様はダンスは?」


「幼い頃に習っただけですから、全くの素人だとお考え下さい」


「私も読書ばかりしていたので自信はありませんわ」


 ダンスホールの真ん中で立ち尽くすキャンディとスミスのことなどお構いなしに、エマとリアとホープスは走り回って遊んでいる。


「母上! 僕はここが気に入りました!」


 どうやらホープスはご満悦のようだ。

 上品なロングテールコートに身を包んだレッドがニコニコしながら入口に控えている。

 その横にはレッドと同じ生地のボレロとロングスカートを纏ったリリアンヌが立つ。

 二人とも、もう何年も王族に使えてきた上級使用人にしか見えないのは流石だ。


「ご心配はいりませんよ。ダンスでしたら私たちがお教えしますから」


 言葉通り、到着した翌日からみっちりとダンスレッスンが組まれていた。

 食事の時間以外は語学と歴史の勉強だが、キャンディとスミスはほぼ同レベルということで、一緒に授業を受けている。

 ホープスは幼児教育の専門家が付き切りで遊びの中で楽しく学んでいるようだった。


「ゆっくりで大丈夫です。帝国へは私たちもお供しますからね」


 リリアンヌはそう言って励ましてくれるが、キャンディは焦燥感を持て余していた。

 離宮に落ち着いて半月ほどした頃、ドーマ子爵夫妻と二人の子供たちが離宮を訪問した。

 きっと駆け寄ってくるだろうと思っていたマーガレットは、入り口で立ち止まり美しいお辞儀をして見せた。

 成長した妹を、自慢げにエスコートしているのは兄のマーカスだ。

 キャンディはまずドーマ子爵夫妻に挨拶をして、スミスを紹介した。


「そうですか。それは大変なご苦労をなさったのですね。それで? ご実家の爵位は取り戻されるのかしら?」


 ロミット夫人がスミスに聞く。


「そこはレッドに任せています。どちらにしても帝国の長たる女性と婚姻するには爵位が低すぎますから、どちらかの高位貴族と養子縁組をするのではないでしょうか」


 ドーマ子爵が頷きながら口を挟んだ。


「いっそ私の養子になりませんか? 国王の養子となるとなかなか煩雑な手続きとなりますが、私は既に継承権を放棄し臣下となった身です。とはいえ、王族としての立場はそのままですからお互いに都合が良い」


 驚いた顔をするキャンディに、レッドが耳元で教える。


「ドーマ子爵は国王の弟君です」


 目を見張るキャンディにロミットが悪戯を見つかったような顔をする。


「ごめんなさいね。騙したわけでは無いのよ? あの屋敷も子爵家というのも本当なの。でもその一つしか無いという事では無かったと考えてくれないかしら」


 王弟が妻を援護するように顔を向けた。


「君に教えてもらったお陰でマーガレットは無事に淑女として育っているよ。でも君の知る通り、幼い頃はいろいろ難しいこともあっただろう? そのことを母がとても嘆いていて、あのまま王城で暮らすには問題があったんだ」


「だから子爵邸に?」


「そうだ。ドーマ子爵という爵位は私が保有しているものの中で一番低いんだ。そこまでして王城を出た私たち一家を母はとてもバカにしていたけど、彼女も昨年の秋に天に召されてね。兄の勧めもあって公爵位を戴いたんだ」


「そうでしたか」


「だから公爵とはいえこの国の筆頭家だし、当主は現王の弟だ。帝国の皇配としても遜色は無いと思うよ」


 そこまで言うと公爵は夫人を優しく抱き寄せた。


「私のことは今まで通りロミットと呼んでくれて構わないわ。でもそれは私の子供の頃の愛称なのよ」


「それは……知らずに愛称をお呼びしていたのですね。申し訳ございませんでした」


「そんなこと! だって私がそう名乗ったのだもの。だからこれからもそう呼んで?」


 公爵が言う。


「私の名前は グスタフ・ドーマ・ユングリンガだ。妻はロミエンヌ・シルバーナ・ユングリンガだよ」


 キャンディとスミスは立ち上がり、跪いて臣下の礼をとった。


「まあ! 未来の皇帝ご夫妻がそのような事をなさってはいけませんわ」


 ロミット夫人が慌てて立ち上がる。

 笑いながら公爵が言った。


「まあまあ、今はまだこの国に在籍しているんだ。彼らの好意はきちんと受け取らないといけないよ? 来年には僕たちが彼らの前に跪くことになるんだから」


 はいと返事をして微笑むロミット夫人の頬にキスを贈り、公爵が再び口を開いた。


「ノーラン子爵とお呼びしようね。君はお姉様に会いたいと望んでいるんだって?」


 スミスが頷いた。


「はい、幼い頃に離れてしまいましたが、私を育ててくれた牧師の尽力によって手紙だけはやり取りすることができていました。お互いにもう何年も顔を見ていないので、すれ違ってもわからないかもしれませんが、できることなら会ってお詫びを言いたいのです」


 公爵夫妻は顔を見合わせた。


「どんな詫びなのかは知らないが、彼女は何も知らない。そこは肝に銘じてくれ」


「もちろんです」


 公爵が頷いて見せると、レッドが一礼して部屋を出た。

 それを見送った夫人がスミスに言う。


「お姉様はキディ・ホワイトという家庭教師の後を受けて、マーガレットの指導を引き受けてくれたのよ。それまでは王立図書館で司書をしていたわ」


「ええ、その話は手紙で知らせてくれました」


「でもきっと驚くでしょうね。二十数年ぶりに会う弟が知っている女性だなんて」


 キャンディが顔を上げる。


「お名前も存じませんが、もしかして?」


「ああ、君にあの本を紹介した女性だよ」


 キャンディは大きく目を見開いた。

 彼女が教えてくれた文字の歴史の本は、今でも大切に保管している。

 その背表紙に貼られた王立図書館蔵書の紙もそのままだ。


 扉が開きマーガレットと一緒にあの日の女性が入ってきた。

 毅然とした態度は何一つ変わらず、あの頃より少しだけ柔らかい表情になっている。


「姉さん? エステル姉さんなの?」


 その女性はその場でしゃがみこんでしまった。

 スミスが駆け寄る。


「姉さん、顔を見せて。ねえ、顔を見せてよ」


 女性を抱き起すスミスと、その手に縋って立ち上がろうとする女性。

 レッドが二人を誘導してソファーに座らせた。


「ああ……神よ。感謝します」


 スミスの言葉に全員が頭を垂れた。


「スミス……スミスなのね? ごめんなさい。もうすっかり顔も忘れてしまったけれど、あなたから感じる優しさは、貰っていた手紙と同じものだとわかるわ」


「姉さん、元気そうでよかった。好きな仕事を選べたんだね。今まで僕を支えてくれてありがとう。姉さんからの手紙は苦しい日々の中で、僕に希望を抱かせてくれる唯一の光りだったんだよ。感謝しています」


 二人はしっかりと抱き合った。

 いつの間に来ていたのか、オーエンがもらい泣きしてエマにハンカチを渡されている。

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