第52話
「間に合ったか?」
鼻をつまみながら他の傭兵が揶揄った。
戻ってきた男はそれに怒るでもなく怯えたような顔をしていた。
「ん? どうした?」
「なんか糞の色が……」
「え?」
「血かもしれん」
「ええっ!」
傭兵たちが一斉に男から離れる。
「お……お前……まさか疫病?」
レガートが盛大に顔を顰めながら振り向いた。
「私に近寄るな。おい、こいつと同室だったのは誰だ?」
二人の男が手を上げた。
「三人部屋だったのか」
オーエンが空かさず言う。
「侯爵様に一人部屋をご提供しましたので」
フンと鼻を鳴らしたレガートが、ハンカチで口を覆いながら出口を指さした。
「三人で先に戻れ。こっちまで感染してはかなわんからな。戻ったらすぐに病院へ行くんだ。絶対に侯爵邸には近づくな」
三人が駆け出し、すぐに馬の嘶きが聞こえた。
残るは侯爵と三人の傭兵。
スミスが先ほどの続きを話し始めた。
「もう一人の者は、下働きのおばあさんと一緒に厠の掃除をしております。呼んでまいりましょうか?」
一瞬考えた侯爵が、傭兵の一人に指示を出した。
「お前が確認してこい」
先ほどの男が使ったばかりの厠にいた者を近づけるのは嫌だと言わんばかりだ。
指さされた男の顔色が悪い。
「早く行ってこい。離れたところから呼び出して年恰好だけ確認すれば良い」
侯爵の言葉に、男がのろのろと出て行った。
待つこと数分。
侯爵はハンカチで口を押えたまま、礼拝堂の中を探っている。
「違いましたよ。下働きの婆さんと若い牧師でした」
侯爵が盛大な舌打ちをした。
「行くぞ!」
四人はそそくさと教会を出て行った。
後を追うオーエンに向かって、レッドが親指を立てて見せた。
馬を駆りながらオーエンがレガート侯爵に聞いた。
「まだどこか回りますか?」
「もう良い。我らは帰る。もし浮浪者のような男がここに戻ってきたら伝言を頼む」
村の外れまで来た侯爵が馬から降りた。
オーエンも慌てて降りる。
「この金を渡してすぐに家に帰れと伝えてくれ。今年中に戻らなかったら教会へ寄付だ」
革袋を受け取りながらオーエンが頷いた。
「畏まりました。必ず」
駆け去る四頭の馬を見送りながら、オーエンは大きな溜息を吐いた。
周りの草むらや木陰から、わらわらと人が出てくる。
「なんじゃ! つまらん! もう帰りおったか」
「もう少し遊べると思うたが、今どきの貴族は軟弱じゃな」
「その通りじゃ。ちょっと腹を下したぐらいで怯えよって。あれはただのヤマカの実じゃ」
オーエンが目を見開く。
「えっ! ヤマカの実を食べさせたの? そりゃ可哀そうに。一週間は苦しむぞ」
「なあに、構うものか。毒ではないんじゃ、心配ない。ただ腸の動きが止まらず、真っ赤な実の汁が出るだけじゃ」
村人たちの明るい笑い声が、澄んだ青空に吸い込まれていった。
その夜は、村人たち全員が領主邸に隣接された施設に集まった。
庭では大きな釜で肉が焼かれ、この数日の労が労われた。
一段高いところでレッドが口を開く。
「ご苦労さん。と言っても苦労するほどでもなかったが、作戦は成功だ。しかしまだ一年は油断できんと思ってくれ。引き続きよろしく頼む」
村人たちがにこやかにコップを掲げる。
しかしエスポを抱き上げているキディの顔に笑みは無かった。
「どうしたの? 無事に追い返したじゃない、まだ心配事があるの?」
オーエンの声に顔を上げたキディが、悲しそうな顔をした。
「うん、今回は無事に終わったけど、この先私たちってどうなっちゃうのかなって……」
「ああ、帝国行きの件?」
「それもあるし、牧師様も」
「メルダ国か。厄介だよな。でも国民のことを思えばこのままで良いはずが無い。でもね、まだ時間はあるよ。最善の方法を一緒に考えよう」
「うん、ありがとうオーエン」
そんな二人の姿を離れたところから見ているスミスの目は、悲しい影を帯びていた。
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