第53話
スミスに気づいたオーエンが話しかける。
「スミス牧師も今日はご苦労様でしたね。なかなかの演技でしたよ」
「お力になれたのであれば良かったのですが」
「あれはどういうカラクリです? あいつらキディを牧師だと言っていましたが」
スミスがフッと息を吐く。
「カラクリも何も、教会には私の服しかありません。それを着ていただいただけです。清掃のために頭にボロ布を巻いていたので、勝手に勘違いしたのでしょうね」
「なるほど。しかしエスポがオーエン父さんと言って駆け寄った時には、肝が冷えました」
「ええ、私も思わず叫びそうになりました。しかしこの村の子供たちは優秀ですね。完璧なフォローだった」
「ええ、みんな頼りになります」
二人の会話を聞きながら、かなり危ない橋を渡ったのだとキディは思った。
レッドがキディに話しかける。
「大丈夫さ。いざとなったら全員消せばいいだけだ。私と妻と息子がいれば、あんな奴ら瞬殺だからね。君が紅茶を淹れ始めて、茶葉が蒸れる前には終わっている」
不謹慎だとは思いながらも、レッドの表現に笑いが込み上げる。
「教会で殺生を?」
「死体を運ぶ手間が省けて良いじゃないか。それに人手もあったから仕事が早いだろ?」
キディはもう何も言わなかった。
それにしてもエスポも頑張ったものだ。
ここに来る前にオーエンが言った『木の葉を隠すなら森の中、子供を隠すなら子供の中』だという意味が、やっと分かったような気がした。
望ましい出来事では無かったが、我が子は親が思うより成長しているようだ。
「また来るでしょうか」
キディの肩を優しく叩きながらレッドが答える。
「当分は大丈夫だろう。おそらく替え玉を送り込むはずだ。奴らが動くまでひと月、偽物だとバレるまで半月というところかな。そしてここがバレるまで二か月……いや、もう少しかかるか?」
帝国が来ることは確定事項のようだ。
「それまでに進退を決めておいて欲しい。それによって我々の動きも変わる」
「わかりました」
キディの気分は一気に沈んだ。
レッドとオーエンは、村人たちに呼ばれて離れていった。
スミスと目が合ったが、昨夜の会話を思い出すと、なんとなく話しかけ辛い。
「せっかく片付いたのに、どうしたんですか?」
エマがやってきた。
そう言えばこのエマも帝国後が流れていると言っていたのを思い出す。
エマはキディの腹違いのお妹ということだった。
「エマは自分の出自のことどう思っているの?」
エマがきょとんとした顔をする。
「どうって? どういうことですか?」
「自分が帝国の皇帝の血筋ということよ。あなたも狙われる可能性があるということでしょう?」
「そう言えばそうですね。でもどうしようもないことですから、あまり考えないことにしました。考えても意味が無いし、血を入れ替えるわけにはいきませんから」
「それはそうだけど……」
エマがキディの顔を覗き込む。
「逆にキディ様はどうお考えなのですか?」
「私は……とても嫌だと思っているわ。もし私とエスポが帝国に連れて行かれることになったらと思うと、怖くてたまらない」
「何が怖いのですか? あちらが必要なのは皇帝の血筋で、キディ様の命ではありませんよ? 連れて行かれたとしても虐待も無いでしょうし、逆に女帝として君臨できます。やりたいことができます」
キディは驚いた。
自分はこれほど悩んでいるというのに、なんとあっけらかんと現実を受け入れているのだろうか。
「エマって帝国に行きたいの?」
「いいえ、行きたくはないですね」
「でも、もしそうなったら受け入れるということ?」
「ん? もしそうなったら受け入れる以外の選択肢がありますか?」
「……無いわね……逃げるとか?」
「逃亡生活はきついですよ? 私は野営もできますが、絶対に快適では無いし、食べるものにも毎日悩まなくてはいけないし、自分のことで精一杯になってしまって心が狭くなりますよ?」
「あなたが言うと説得力がありすぎて怖いわ」
「キディ様。人間万事塞翁が馬っていう言葉はご存じですか?」
「いいえ、知らないわ」
「執事様から教えていただいた言葉です。遠い異国の言葉で『先のことはわからないのだから、いちいち悩んでもようがない』みたいな意味だそうです。私たちの仕事は、明日生きていればラッキーです。これは現実的にそうです。ですから明後日来るかもしれない不幸を想像して嘆いても仕方がないのですよ」
「そういうものかしら……」
「そういうものです。明後日というのは極端ですが、私は常にそういう心構えを持つように教えられました」
「でも、来るかもしれない不幸に備えておくのは大事なことではないの?」
「もちろん大事ですよ。あらゆる想定をして準備を怠らないのは鉄則というより、当たり前です。その上で『人間万事塞翁が馬』なのですよ」
「頭では理解できたけど、心が追いつかないわ。やっぱり私は将来の不安を思って心が塞いでしまう。要するに小者ってことね」
「小者という表現は正しくないですし、将来に不安を持つのはわかります。訓練というか、慣れですよ。私はかなり過激な方法で悟りましたから」
キディがエマの顔をあらためてみた。
「どんな方法だったか聞いても?」
「ええ、母が亡くなって再婚相手に鍛えられることになってからですが、時々夜中に命を狙われるんです。最初は怖くて眠れなくて、食事もできなくなったのです」
「本気で殺しにくるの?」
「今思えば本気では無かったのでしょうね。私は生きてますから。でもその時の私はもう
本当に怖くて。定期的に来るわけでは無いので、気を抜くことができません」
「それはどうでしょう」
「でもね、人間って最後は図太いんですよ。本当に眠たくなったら『もう良いから寝かせてちょうだい』って思っちゃう。良く雪の山で寝てしまうというのも同じ感じかもしれませんが、もう本当に生きていることがどうでも良くなるほど眠たいんです」
「そんなものなの?」
「人によるのかな。私はそうでしたね。まあ、その境地にいくまで半年近く寝た気がしない毎日でしたから、疲れ果てたのかもしれません」
「それで?」
「はい、それで気付いたんです。私は生きたいんだなって。生きたいから怖いんだなって気付いたんですよ。それまでは生きているのが当たり前だったので、それほど執着していなかったのです。生きたかったら努力するしかないですし、それでもダメなら諦めがつくなって。そう思ったら毎日ちゃんと生きようって思えるんです」
「凄いわ……なんと言うか、真理ね」
「これを身につけると、良く生きることができますよ。今夜からやってみます?」
キディは即答した。
「遠慮するわ」
「あら、残念」
エマが本当に残念そうなかおをしたので、キディは吹き出してしまった。
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