第54話
夜になり自室に引き取ったキディは、気持ちが昂っているのか寝付けないでいた。
頭に浮かぶのはスミスと交わした昨夜の会話だ。
~キディの回想~
「キディさんは帝国に行くことになるのでしょうか」
「行きたくはありません。私はずっとこの村にいたいです」
スミスは何度も頷いてから目を伏せた。
「私は……あなたに噓をついていました」
「ええ、気付いていました。でも何か理由があるのでしょう?」
「私が語った過去を持つ少年は実在していました。牧師が面倒をみていたのは私一人ではないということです」
キディが小首を傾げる。
「拾われて行った教会には私と同じ年の少年がすでにいました。彼はとても重い病を抱え、明日をも知れぬ状態だったのです。彼の生きる希望は、時々お姉さんから届く手紙でした。もうペンも握れない彼に代わって私が手紙を代筆しましたよ。あの教会には字の書ける子供が他にいなかったので」
貧しい子供の識字率が低いのはどの国も同じなのだ。
「彼は自分の病状をお姉さんに隠していました。死んでも絶対に知らせないで欲しいと願っていたのです。はっきりした理由は知りませんが、お姉さんを天涯孤独の身にしたくなかったのかもしれません。そして私は死にゆく者の願いだと言われ、断ることができませんでした。そして私は彼とある約束を交わし、ずっと彼の姉と文通をしていたのです」
キディは口を挟まずスミスの話に耳を傾けた。
「その約束とは、彼が私として死に、私が彼として生きるというものです。どう調べてもメルダの第三王子は死んでいるはずだった……なぜ露見したのでしょう。私は彼との約束も破ることになってしまいました。彼の墓標にはエスミスと彫られているのです。彼は自分の生きた証さえ諦め、私を守ろうとしてくれたのに。本当にどうして……これも神の思し召しということでしょうか。私は神に見放されたのでしょうか」
キディは立ち上がりスミス牧師の手を取った。
「それは違います。あの人たちが優秀過ぎたということです。いつも私を励ますときに、あなた自身が言っておられた言葉をそのままお返ししましょう。神は常にあなたと共におられます。そうですよね? スミス牧師様」
スミスがキディの手を握り返した。
「私はあなたと共に生きたい。あなたのためになら……すみません。これ以上は口にしないでおきましょう。あなたを困らせるだけだ」
そう言って部屋を出て行くスミス牧師に、キディはかける言葉を持っていなかった。
~~~~~~~
自室の天井を見つめながら、エマと交わした言葉を思い出す。
「生きたいということに気付くかぁ……そうよね、今まで私は逃げ続けてきたけれど、これは生きたかったからなのね。私はキディという架空の人間を演じてきたけれど、スミス様は実在だった人物を演じてきたってことね」
キディは目を閉じて、自分の過去を振り返った。
自分はシルバー伯爵家の長子として生まれたはずだった。
そして両親に虐げられ、弟にバカにされながらも、婚約者であるニックとの生活に思いを馳せていた。
「ニックが好きだと思い込もうとしていただけで、結局はあの家から逃げ出したかっただけだったのよ」
ニックが浮気をして、それでも結婚させようとする両親から逃げた。
リリアとクリスの手を借りて、キディ・ホワイトという新しい人生を手に入れた。
毎日が楽しく、明るい未来を想像して生きていた日々。
「そう思うとスミス牧師の気持ちがわかるわ。辛い現実から逃避できていたもの」
その偽りの人生に馴染みすぎて、油断をしたために墓穴を掘ってしまったあの日。
そしていつの間にか自分の意志を失い、結婚し子をなした。
「あのままボーッと生きていたら、そのままだったのかしら。それともオーエンが言うようにお義父様に利用されていたのかしら」
再びニックに裏切られ、またキディ・ホワイトに戻り、逃げるために偽装結婚までした。
徐々に自分の意志を取り戻していったあの頃は、混乱しつつも希望を持てる日々だった。
そしてこの村に来てスミスに出会った。
「スミス様は私を初恋だと言ってくださったけれど、それは私も同じだわ。私は……スミス様が好き」
耳から入ってきた自分の言葉に頬を染めるキディ。
エマとは方法は違えど、自らの生きたいという欲求を自覚することができたのは、この先の人生を考えるうえで重要なことだ。
思えば自分とスミスの人生は似ている。
誰かになり替わるという行為は、自らのパーソナリティを否定することから始まるのだ。
自分を否定し、自分の存在価値に見切りをつけるという作業が必要となる。
そこまでして演じ続けた結果、その誰かは自分なのだという錯覚が確信に変わる。
しかしそれも一瞬で崩れ去るということを知った今、認めたくない『真実』を突きつけられているのだ。
「もう逃げることは無理なのかもしれない」
キディは思考の沼の中で、驚くほど心が穏やかになっていくのを感じていた。
今の自分にとって、一番大切なのは息子だということに変わりは無い。
しかし、スミスも救ってあげたい。
自分も救われたい。
私はどうすれば良いのだろうか……
まんじりともせず、東の空が明るくなっていくのをぼんやりと眺めた。
そしてあくる朝、朝食の席にはレッド夫妻とオーエンとエマ、リアに手を引かれているホープスが揃っていた。
「全員が揃うのは久しぶりだな。改めて見るとなかなかの大家族だ」
がやがやと楽しく進む食事風景は、昨日までの修羅場など微塵も感じさせない。
昨夜感じた湖面のような心境のまま、キディが口を開いた。
「皆さんにお話しがあります」
レッドはそっと目を伏せ、リリアンヌは優しい笑顔を浮かべた。
「このまま聞こう」
家長であるレッドの言葉に、洗い場に立っていたエマとリアも席に戻った。
「さあ、じいちゃんが抱っこしてやろう」
レッドがエスポを膝に乗せる。
ほんの数日だというのに、なぜかエスポが逞しくなっていると感じたキディは、小さな深呼吸をしてから口を開いた。
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