第4話

 腫れた頬を見せつけるように、カーテシーで挨拶をするキャンディ。

 その痛々しさに顔を顰めている侯爵の横で、キャンディの倍は腫れた顔をしているニックが縮こまっていた。

 目の周りにも青痣がある。

 ザマアミロ!

 夫人は留守番……それとも寝込んだか?


「やあ、キャンディ嬢。昨日は済まなかった。言い忘れていたね。卒業おめでとう」


「ありがとうございます。レガート侯爵閣下」


「ははは、そう畏まらないでくれ。いずれは親子になる仲だ」


 その言葉にビクッとするキャンディ。


「だが、少し先延ばしにしてもらいたいと思ってね。まずはこいつの性根を叩きなおさないと、キャンディ嬢を不幸にするだけだし、我が侯爵家も立ち行かなくなる恐れがある」


 侯爵から事前に言い含められているのか、シルバー伯爵はイライラとしながらも口を挟んでこない。

 父親の隣を避け、一人掛けのソファーに座ったキャンディはゆっくりと口を開いた。


「先延ばしというのは?」


「ああ、そうだなぁ1年ほど結婚を延期して欲しいのだ。その間にこいつを教育し直す。どうだろうか」


「率直に申し上げても?」


 立ち上がろうとするシルバー伯爵を手で制し、レガート侯爵が頷いた。


「むしろ率直な気持ちを教えて欲しい」


 キャンディは大きく息を吸い込んだ。


「私の希望は婚約の白紙です。延期と言われましても頷くことはできません。お相手のソニア様は隣国の第二王子の婚約者です。それを蹴ってまでレガート侯爵令息と結婚したいと思われるのであれば、何よりのことだと存じます。私は身を引きとうございます。まずはマクレン侯爵家に婚約の打診をなさってはいかがでしょうか」


「マクレン侯爵家が隣国の第二王子よりこのバカ息子をとる可能性があると?」


「そう考えても不思議ではないほど親しくしておられました。学園のみんなもお二人はすでに男女の仲だと信じていました」


「そうか……君はその全てを見せつけられていたのだものな。うん、君の考えはわかった。ではこれではどうだろうか。一旦婚約は保留にする。そして1年後、もう一度会って、その時点でやはりだめだと言うならその時には、残念だが婚約も両家の事業提携も無しとする。どうかね?」


「私としては延期は必要ないかと……」


 父親が侯爵の顔色を窺いながらおずおずと言った。


「いや、キャンディ嬢の心情を考えると、このまま侯爵夫人の教育を進めても身につかないだろう。それにいかに優秀とはいえ、侯爵家の内政を覚えるには最低でも1年はかかる。心を決めて取り掛かって貰った方が良い結果となると思う」


 キャンディが必死の形相で聞いた。


「1年後、やはり無理だと思ったら諦めていただけるのですね?」


「キャンディ!」


 父親が立ち上がって叫んだが、キャンディは怯まなかった。

 侯爵が少しムッとした顔で言う。


「ああ、約束しよう。こいつの再教育は私が直々におこなう。性根を叩きなおすから1年だけ待ってほしい。その間に君はこいつから受けた心の傷を癒してくれ」


 どうせ逃げるのだからと考えたキャンディは、早くこの場から立ち去りたかった。


「わかりました。ではそのように」


 無表情で返事をしたキャンディを満足げに見た侯爵が立ちあがった。


「ニック、キャンディ嬢に言うことがあるのではないか?」


 ニックがおずおずとキャンディを見た。


「キャンディ……本当に申し訳なかった。僕はどうかしていたんだ。彼女は王族に嫁ぐ身だから、今を逃すともう会えないと思って……君を蔑ろにしてしまった。君に甘えていたんだね。ごめんよ、キャンディ。必ず君にふさわしい男になって会いに来るよ。それとね……彼女とは、男女の一線は超えていない。これは誓ってもいい。それだけは信じて欲しい」


「そうですか。私には関係ありませんわ。あなたの謝罪を受け入れるかどうかの返事は、1年後にさせていただきます」


 表情筋が死んだかのようなキャンディに、ニックが近づく。

 後退るが、男性の歩幅の方が大きかった。

 手を伸ばし腫れた頬に触れようとするニックを睨みつける。


「嫌よ! 触らないで!」


「ああ、そうだよね。ごめんね。痛いよね。僕のせいで君までこんな目に遭ってしまうなんて……本当にごめん」


 キャンディはニックを無視し続けた。

 それを見ていた侯爵は、片眉を上げて静かに言う。


「それでは失礼するよ。伯爵、事業に関しては話し合いを継続しよう。いいね?」


「はい、ありがたいご配慮、心よりお礼申し上げます」


 玄関まで見送る。

 前を歩く侯爵と伯爵の背を漠然と見ながらあるくキャンディにニックが話しかけてきた。


「僕は恋に恋していただけだと気付いたよ。彼女は来月隣国に旅立つ。もう二度と会うことは無い」


「そうですか。それはご傷心ですわね」


「いや、これで良かったんだ……これで……ソニアとはもう……」


 自分に酔っているとしか思えない発言に、心からの軽蔑を向けながらキャンディは歩き続けた。

 馬車に乗り込む前、ニックが差し出した手をキャンディは完全に無視する。

 走り去る馬車を眺めた後、自室に戻ったキャンディは、朝食も断って荷物をまとめた。

 あまりにも大きなものを持ち出すのは目立つので、宝石類を中心に換金できるものを選びスカーフに包む。

 数日間の着替えと筆記用具一式を入れ、鞄の留め金を押し込んだ。

 脱ぎ捨てたままになっているベビーピンクのドレスをトルソーにかけなおし、しみじみと眺める。

 

「うん。やっぱりオマケに違いないわ」


 声に出したキャンディはソニアのドレスとの差に笑いが込み上げてきた。

 忘れ物は無いかを再度確認し、動きやすいワンピースでロビーに向かう。

 途中で執事とすれ違い、何処に行くのか尋ねられた。


「今日はリリアの家で卒業記念のお茶会があるの。お茶会といっても仲間内で集まってお喋るするだけだから。泊まる予定よ」


 馬車を使うと足がつくが、歩いて出るのも怪しい。

 どうしようかと迷っていたら、玄関の扉が開いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る