第56話

 リリアンヌに手を差し出したレッドがキッチンを出て行った。

 オーエンも立ち上がり、スミスに握手を求める。

 スミスはその手を握り返しながら、深々と頭を下げた。


「お許しください。あなたの奥様を奪ってしまうことになります」


「いいえ、彼女は私の妻ではありませんよ。私の妻の名前はキディ・ホワイトです。そしてそこに座っているのはキャンディ・シルバー伯爵令嬢ですよ。今は仕方なくレガート侯爵家の嫁という立場ですが、すぐに解消されます。あなたが私に謝る必要などありません」


 エマが横から口を出した。


「そうですよ? この村ではそこにいるキャンディさんがキディだと誤解されていましたが、キャンディさんのご家族は私がキディ・ホワイトだとご存じです。何も問題はありません。私はこの先もキディ・ホワイト・フォードというオーエンの妻ですわ」


 オーエンが目を見開いてエマを見たが、エマは全く動じていない。

 キディがエマに話しかける。


「エマは行かないということね?」


「ええ、私はこの国の切り札として残ります。この家族に守られているのなら絶対に安全でしょう?」


「そうね、最強ね」


「だから堂々と帝国の女帝の妹だと言いふらしてやろうと思っています。ここの領主夫人は帝国女帝の妹ですよって。その立場なら絶対に夫を尻に敷くことができます。我儘も言いたい放題です。我が世の春を謳歌できます」



「旦那様は苦労なさりそうね。でも私は安心したわ。ここの領主様はとても優しい方ですもの。私はご縁があって何度もご一緒したのだけれど、エスコートも指先しか触れないの。おかしいわよね」


「ああ、それは優しさではなくただのヘタレというのです。根性無しということですね。私が鍛えなおしておきますから、お姉様はどうぞお気になさらず」


 オーエンだけが悲しそうな顔で俯いていると、レッドが顔を覗かせた。


「何してる? さっさと支度をしろ。リアはニックの死亡確認、エマはキャンディとスミスの護衛だ。オーエンはレガートとメルダ第二王子の動向を探れ。私は王弟に報告する。再集合は十日後にこの場所で」


 リアとオーエンが姿を消すと、レッドが優しい声でスミスに言った。


「私はキャンディの親代わりですからね。節度を守っていただけないなら消しますよ?」


 スミスが何度も頷く。

 キディは自分のことなのに、吹き出しそうになった。

 ホープスがレッドの足にまとわりついて抱っこを強請る。

 レッドが抱いてやると、レッドの耳に口を寄せた。


「おじいちゃん、早く帰ってきてね?」


 レッドが心から嬉しそうな顔をして返事をした。


「うん、おみやげいっぱい買ってくるから、いい子で待っててね」


 孫の可愛らしさに目覚めたレッドに目を遣りながら、オーエンの独身生活は風前の灯火だろうと全員が思った。


 エマの指示のもと、守備体制を固める村人たち。

 それでも学校はいつものように始まった。

 リアがいないので、ルーラが厨房に立っている。

 スミスとキディが授業を担当し、リリアンヌは小さな子供たちと一緒に隣接している老人施設を訪れていた。


 まるで何事も無かったような日々の中で、キディとスミスの仲もゆっくりと進む。

 お互いの過去を浄化するために、お互いの人生を交わらせることを選択した二人の絆は、何よりも強いのかもしれない。


 そんな二人が語り合って決めたのは、政治の権力から遠ざかることだ。

 女帝として君臨するのではなく、皇帝の血筋を保有している象徴としての存在に徹する。 二人が目指すのは『福祉社会』の実現だ。

 帝国民全体の識字率を高め、失業率を下げ、学校教育と医療の無償化を目指すことで、生活水準の安定化を図る。

 そんな夢を語り合う二人の間に流れる空気は甘いだけではないのだが、見守る村人たちはニマニマとしていた。


 最初に帰ってきたのはオーエンだった。

 そして翌日にはレッドが戻り、約束の十日目にやっと戻ったリアの口から、驚きの事実が語られた。


「ニックが生きてましたよ。ホントにゴキブリのような奴ですよね。送り込んでいた鉱山が崩落事故を起こしたので、絶対死んでると思っていたのに」


 オーエンが呆れた声で聞いた。


「あの事故で生き残るって、どんだけ生命力強いんだよ」


 リアが嫌な顔をした。


「あの事故の少し前に、トロ臭いあいつは足に怪我をしやがって、病院送りになっていたようです。その病院も事故に巻き込まれたのですが、ただの怪我が大怪我になっただけで生きてやがりました。新聞にも書かれていた生存者数の中に、あのクソ虫が含まれていたなんて反吐が出るほど腹立たしいですね」


 スミスがリアの口の悪さに啞然としている。


「で? お前はどう対処したんだ?」


「私はとても親切な人間なので、退院手続きをしてやり、金を渡して馬車に放り込みましたよ。馭者にはレガート家の領地に行くように指示をして、当のレガート侯爵にはあいつの代わりに手紙を送っておきました」


 レッドが笑いを嚙み殺しながら聞く。


「どんな手紙?」


「たった一行ですよ『殺してやるから首を洗って待っていろ』です。楽しみでしょう?」


 スミス以外が爆笑した。

 オーエンが咳き込みながら言った。


「リアは僕がレガートに言っていた言葉を聞いてたもんなぁ。その手紙を読んだ侯爵の顔が見たいものだ」


 レッドが聞く。


「レガート侯爵ってまだいるの? とっくに帝国に行ったと思ってたけど」


 オーエンが頷く。


「帝国側が来るみたいですよ。第二王子の到着を待っているのでしょう。着たらすぐに確認作業が始まるんじゃないかな」


「ということはレガートはメルダ国と運命を共にするのか」


「まあ今までも散々協力していましたからね。例の偽遺体をソニアだと断定したのはメルダ国ですから、弱みもあったのでしょう」


「第二王子の命日は決まったな。レガート侯爵も同日となるだろう。ニックの到着が早ければ奴が先かな」


「見物してきて良いですか?」


 リアが嬉しそうな顔をした。

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