第7話 愛してくれた人

 私のメイドとしての生活が始まって、一週間が過ぎた。

 仕事としては特に問題なくこなし、屋敷の方のメイドとも軽く挨拶するくらいのことはした。

 けれど、私がアーシェの専属のメイドであるからか、少し余所余所しいところはある。

 それは別に構わないのだけれど、肝心のアーシェとの間柄は――全くと言っていいほどに進展しなかった。

 私のことが気になるのは違いないようで、洗濯物をしている時などは必ず部屋からこちらを見てくる。

 時々、家の中を歩いていても視線を感じるので、間違いなく私のことは意識している。

 けれど、決して彼女から話しかけてくることはない。

 私が部屋に行って声を掛ければ、一応は返事をしてくれるが、すぐに『出て行け』となってしまう。……このままだと、あと魔術学園に通うまでに仲良くなるのは難しい。

 アーシェとの仲がこれ以上悪くなってしまうと、修復も難しくなってしまうかもしれない。

 ただ、今より悪くなることも考えにくいとも言える。

 それに、彼女が私に興味を持っているのは事実だ。

 だから――夜になって、私は入浴を終えた彼女に声をかけた。


「お嬢様」

「! ……何か用?」


 話しかけられるとは思っていなかったらしく、明らかに不機嫌そうな表情を見せるアーシェ。

 だが、前々から言わなければならないこともあった。


「髪はしっかり乾かさないと傷んでしまいます。乾かしますから、こちらへどうぞ」

「……いい。自分でやるから」

「いいえ、これは譲ることはできません。朝目覚められた時もボサボサではないですか。さあ、こちらへ」

「……」


 不機嫌そうなままだが、ここで拒否すると無理やりされるというとでも思っているのか、素直にこちらにやってくる。……どうやら、最初にインパクトのある行為をしていたことが功を奏したらしい。

 魔力を練って作り出すのは、『温かい風』。魔術というレベルでもないが、これくらいのことは簡単にできる。

 櫛でアーシェの髪を整えながら、ゆっくりと乾かしていく。


「……」


 アーシェは相変わらず無言で、けれど大人しいままだ。

 大分乾かしたところで、私はアーシェに切り出す。


「お嬢様、私のことはお嫌いですか?」

「っ! 突然、なに?」


 こちらの方は向かないが、アーシェから感じ取れるのは動揺だった。

 ――彼女と話すのならば、いつまでも回りくどいことばかりではダメだろう。


「普段の態度から見てですよ。私は、お嬢様とお近づきになりたいのですが」

「……なんで」

「それはもちろん、私がお嬢様の世話係だからです。お世話をする以上は、仲良くしていく方が気持ちも楽になります。お嬢様はそう思いませんか?」

「それは……」


 私の言葉に、アーシェは答えを悩んでいるようだった。

 彼女が私を拒絶しているのは――きっと私のように接してくる人間はいなかったからだろう。

 拒絶をしなくても、誰も近づいてくることはないからだ。

 けれど、私は拒絶をしても彼女との距離を詰めようとする。

 だから、困惑しているのかもしれない。


「わたしと仲良くする意味なんてないから」


 アーシェはそんな風に、呟くようにして言った。


「どうしてです?」

「だって、そうでしょ。あなたは、わたしが『フレアード家』の娘だから、仲良くしようとしているの? だったら、何も意味はないもの。わたしはもう、誰からも必要とされていないから。それに、わたしがフレアード家の人間かも、分からないのに」


 初めて、そんなアーシェの気持ちを言葉で聞く。

 十歳の少女が、そこまで割り切って考えることができるのは――いや、そうなってしまった要因は、紛れもなく今の環境があるからだ。

 たった一人、同じ敷地内でも離れで暮らすような日々は、彼女の心を変えてしまったのだろう。

 そして、彼女は『噂』についても気にしているようだった。


「私は別に、フレアード家だから仲良くしたいだなんて思っていませんよ」

「だったら、どうして?」

「初めてお会いした時に言いましたね。私は、アーシェ様とお会いしたことがある、と。貴女の気を引くために言った言葉ではありますが、嘘ではございません」

「……わたしは覚えてないもの」

「それはそうでしょう。私が貴女とお会いしたのは、まだ貴女が赤ん坊の頃ですから」

「! わたしが、赤ん坊の時……?」


 アーシェが驚いた様子で振り返った。

 私はこくりと頷いて、言葉を続ける。


「その通りです。私は貴女の母君であるルミリエ・フレアード様とは――友人関係にありました」

「お母様と……?」

「はい、それほど長い時間ではございませんでしたが、私がここにいた時もございます」


 ――それはもう、十年近く前の話になる。

 アーシェがまだ赤ん坊で、私が今のアーシェと同じくらいの歳の時だ。

 その時も、私は『仕事』でフレアード家を訪れていたが。


「ルミリエ様は、アーシェ様のことを深く愛していらっしゃいました。何かあれば、私に貴女のことを頼みたい、とも。ですから、私はここにいるのです。貴女は、紛れもなくフレアード家の人間ですよ」

「……」


 私の言葉を聞いて、動揺を隠せない様子のアーシェ。――私は、嘘は吐いていない。

 ここにいる理由も、過去にルミリエと友人であったことも、アーシェのことを大切に想っていることも。


「……そんなの、信じられない」


 けれど、アーシェは別だ。

 唇を噛み締めて、アーシェは言葉を続けた。


「お母様はもう、いないんだもん。だから、あなたの言うことが本当だって証明できない」

「それは……その通りですね。ですが、貴女のお母様と同じように、私も貴女のことを大切に――」

「お母様と同じ……? もう、お母様はいないんだから、そんなの無理に決まっているでしょう。お母様だけが、わたしを愛してくれていたんだからっ」


 アーシェが声を荒げて言う。

 彼女がここまで感情をむき出しにするのは初めてで、けれどそれが――アーシェの本音だと言えるだろう。

 これ以上は言っても聞いてくれないかもしれない。

 けれど、ここで引けばまたいつもと同じだ。


「『お母様だけが貴女のことを愛していた』だなんて、そんな悲しいことは言わないでください。貴女の父上だって、貴女のことを想ってくださっているはずです。だから、貴女のためにメイドである私をよこしたのですから」

「違う……お母様だけだもの。お母様はわたしを褒めてくれて、ずっと一緒にいてくれるって、約束もしてくれた。それなのに……お母様だって、『嘘を吐いた』んだもの。わたしを愛してくれる唯一の人だったのに……っ」

「アーシェ様、私は――」

「うるさいっ! あなたのことなんかどうだっていいのっ! わたしに、もう構わないでっ!」

「お嬢様っ!」


 アーシェが駆け出して、家から飛び出して行ってしまう。……距離を詰めるどころか、遂には家から逃げられてしまった。

 彼女の母の話は、逆効果だったろうか。

もう、口も聞いてくれないかもしれない――それでも、アーシェのことは追いかけなければ。


「難しいものですね。気持ちを伝えるということは」


 私は改めてそれを認識して、アーシェのことを追いかけた。

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