第9話 魔術師エージェント

 すでに走り出していた馬車の上から飛び出したアーシェを抱きかかえて、私は地面に着地する。

 両足を踏みしめて、滑るようにしながら勢いを殺す。

 アーシェの身体はとても軽くて、だからこそ私はしっかり受け止めた。

 小さな身体は震えている――もう少し早く、私が駆け付けるべきだった。


「申し訳ありません、お嬢様。私がいながら」

「どうして、謝るの……? わたしのほうが、悪い子なのに……」


 アーシェはすっかりしおらしくなってしまって、そんなことを口にする。

 裸足のまま走っていたからか、アーシェの両足は汚れてしまっていた。

 私はアーシェをその場に下すと、エプロンを脱いで地面に敷く。


「こちらで少々、お待ちくださいませ。私は少しばかり――することがございますので」

「て、てめえ……急に出てきたと思ったらなんだ? メイドが一人で助けにきやがったのか!?」


 馬車を止めて、一人の男が下りてくる。

 まだ、私の使った式神が顔に張り付いたまま、もう一人は苦しんでいる状態だ。

 馬車を操っていた男もいるはず――合わせて三人。

 本気を出すほどもない、取るに足らない相手だ。

 しかし、アーシェのことを怖がらせた罪は重い。

 男は私の正面に立つと、懐から短刀を取り出した。


「へへ……さっきの動きは中々すごかったがよ。手ぶらのメイドが一人で来て、何ができる?」

「……はあ」

「あん、何でため息を吐きやがる……?」

「当たり前でしょう、私がただ手ぶらに見えるとは」


 ――後ろで苦しんでいる男のことを忘れているのか。

 目の前に現れた私が、魔術師であるとは考えもしないらしい。


「はっ、何だか知らねえが……もう一人人質が増えるだけだろうがよっ!」


 男が勢いよく駆け出した。

 私との距離を詰めて、短刀を構える。

 ――私を捕えるつもりなのか、狙いは下半身の方。

 太腿にでも刺して動きを止めるつもりか。

 ならば、私はその要望に応じて、足を前に出してやる。

 ヒュンッと風を切るような音と共に、周囲に響き渡るのは金属音。

 それは、刃物の折れた音だ。


「……へ?」


 男が間の抜けた声を漏らす。

 手に持った短刀が折れて、短くなってしまったことに驚いているのだろう。

 私の足が――男の持つ短刀をへし折ったとは、すぐに理解できなかったようだ。

 蹴り上げた足をそのまま下ろして、男の脳天を打ち抜く。


「――ぐべっ」


 そのまま、顔面が地面へとめり込む。

 石造りの道にめり込めば、『顔の型』が残ってしまうかもしれない。

 男はピクピクと身体を震わせたまま、動かなくなる。

 その光景を目の当たりにしたのは、馬車を操っていた男。


「お、お……?」


 何が起こったのか、理解できていないようだった。

 私が真っ直ぐ向かっていくと、男は慌てた様子で周囲を確認する。

 手に取ったのは弓矢――それを私に向かって引いた。

 迷わずに、それでいて私の方向に当てようとしたのは、評価できるだろう。

 けれど、相手が私では何の意味もない。

 飛んできた矢を三本の指で受け止め、私はそのまま歩みを進める。


「な、はあ? う、嘘だろ――」

「いえ、これが嘘ではありません。それから、今の軌道は私がいなければ、お嬢様に当たっていた可能性があります。故に、罰を受けてもらいます」


 私は地面を踏み締めて、男との距離を詰める。

 再び男が矢を構える前に後ろに回り、両足を絡めて男の首を絞めた。


「ぐぎゅ……!?」

「ご安心を。運が良ければ死にませんので」


 締めたままに私は足に力を入れて、跳び上がる。

 勢いのまま、地面に男の顔を叩きつけた。

『顔の型』がこれで二人目になってしまった。


「さすがに三人目は……やめておきますか」


 未だに顔に張り付いたままの『式神』に苦戦して、苦しんでいる大柄の男がいた。

 気絶せずにまだ暴れているのはたいしたものだが、もう長くは持たないだろう。


「こちらですよ、木偶の坊」

「……っ!」


 私の声に反応して、大柄の男はこちらを向く。


「その顔についている紙は、私を倒せば剥がれます。さあ、手の鳴る方へ――」

「ッ!」


 大柄の男が地面を蹴って、駆け出す。

 私の方にしっかりと向かってきた。

 私は足に力を入れて、回転するように跳び上がる。

 その勢いのまま、式神の張り付いた顔に繰り出すのはハイキック。

 グギリッと骨の鳴る音と共に、首が変な方向に曲がる。

 これで終わりだが――この男は、アーシェに直接手を出している。

 もう一発、追加で加えておこう。

 続けざまに反対側から蹴りを食らわせる。また骨の鳴る音が鳴って、首の方向が元に戻った。


「これで丁度良い感じになりましたね」


 私はそう言い残して、振り返ることなくアーシェの元へと向かう。

 暗がりでよかった――ひょっとしたら、彼女には刺激が強すぎる光景だったかもしれない。

 魔術を使うまでもなく、この程度の相手ならば、軽い体術だけで捩じ伏せることができる。

 それが、私の『魔術師エージェント』としての実力でもあった。


「お怪我はありませんか、お嬢様」

「……大丈夫」


 私の問いかけに、アーシェはこくりと頷く。

 そんな彼女の許可を取る前に、私は再び身体を抱きかかえた。


「わ、わ……!? な、なに……?」

「もちろん、家に帰るのです。そのままでは足を怪我してしまうかもしれませんし。まずは一度、お風呂に入ってしまいましょうか」

「……うん」


 アーシェは頷いてくれた。

 私の予想しないところであったが、ようやくアーシェが素直な姿を見せてくれるようになったのだった。

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