第3話 お部屋の掃除
翌日から、私の仕事は始まった。
朝早くから起きて、朝食の準備をする。
アーシェは今年で十歳となるはずだ。朝食もしっかりと栄養のある物を選んで作った。
「お嬢様、おはようございます。朝食の準備ができました」
「……」
当たり前のように無言だった。
扉を引くと、鍵は掛かっていないことが分かる。昨日のことがある程度効いたということだろう。
「素直なのは良いことですが、無視はいけませんね」
私は部屋の中に入る。
ベッドの上で膨らんだ毛布が視界に入る――まるで巣に隠れる動物のようだが、生憎と私はそんな目立った相手を見逃すハンターではない。
「お嬢様、朝食の準備ができております」
「……」
「お嬢様、まだお眠りになられておいでですか?」
「……」
「それでは仕方ありませんね。お嬢様の身ぐるみを剥がさせていただきます」
そうして、私は毛布を掴んで引き剥がす。そこには、身体を丸めたアーシェの姿があった。
簡単に毛布を取られると思っていなかったのか、「ふえ!?」と可愛らしい声が部屋に響き渡る。
「おはようございます。お嬢様」
「な、何をするの……!」
「身ぐるみを剥がさせていただきましたが」
「勝手にそんなことしないでっ」
「でしたら、ご自身で起きてきちんとお返事をくださいませ」
「……っ」
私の言葉にあからさまに嫌そうな表情を浮かべるアーシェ。
さすがに私も、昨日の今日で距離が縮まるとは思っていない。
「さて、朝食の前にお着替えを致しましょうか」
「別に、このままでいい。出かけるわけじゃないし」
「それはいけません。身嗜みを整えるのは貴族として当然のこと」
「……貴族なんて、知らない。わたしに構わないで」
「お嬢様……仕方ありませんね。では、今度こそ『身ぐるみ』を剥がしてお着替えさせて差し上げるしかないようです」
「は、はあ……? 何でそうなるの?」
アーシェは明らかに動揺した様子を見せる。
昨日から思っていたことだが、どうやらアーシェは強く押されることに慣れていないらしい。
彼女とは極力関わらないようにする――そういう人間ばかりだからだろうか。
残念ながら、私は違う。
「私はお嬢様の世話係なのです。お嬢様に貴族としての嗜みをお教えすることも仕事の一つ……。お着替えを拒否されるというのであれば、無理やりにでも着替えさせる他ありません」
「な、何でそうなるのっ。わたしには構わないでって言っているのに」
「それはできません。何故なら、これが私のお仕事だからです」
「……っ。わ、分かったから。着替えるから……出て行って」
「承知致しました。では、リビングでお待ちしておりますので」
「待たなくていい。他の仕事をして」
「では、食事が終わる頃に向かいますので、しっかりと食べてくださいませ」
そう答えて、私は部屋を出て行く。
ただ『押せ押せ』でいくわけではない。
アーシェがきちんと言葉を交わして聞いてくれるのであれば、私の方も彼女の言葉を受け入れる。
もちろん、受け入れられないこともあるが。
「他の仕事をするのはいいのですが、何をすればいいのでしょうね」
私は考えながら、下の階へと降りていく。
家の掃除は、アーシェが朝食を食べ終えてからする予定だ。
そうなると、アーシェの部屋を掃除するのは朝食に出ている今のタイミングか。
彼女の寝間着も洗濯をしたいところでもある。
「よし」
私はアーシェがリビングの方へと向かってくるのを待つ。
しばし待っていると、着替えを終えたアーシェがとことこと階段を下りてきた。
ただ、その様子はどこかおかしい。
ちらりと周囲を確認して、何か警戒しているようだ。
……まあ、警戒をするとしたら私のことなのだろうけれど。
残念ながら、十歳の子供に見つかるほどに私の隠密技術は落ちぶれてはいない。
部屋を出てすぐに上を見上げれば分かっただろうけれど、私はシャンデリアの上にいる。
パーティ会場程大きなものではないけれど、こういった装飾品とも言えるものを離れにも置いているのは、さすが大貴族というところか。
アーシェが警戒しながらもリビングに行ったところで、私は二階の廊下へと降り立つ。
「ささっと掃除をして撤退してしまいましょうか」
私は懐から数枚の『紙』を取り出して、それをばら撒く。
一枚一枚は人の形を象っていて、それが床に落ちていくと、ひらりと立ち上がった。
ばら撒く前に、全ての紙に『魔力』を通している――私の得意とする魔術の一つで、『式神術』と呼ばれるものだ。
人型は自律して行動を可能とし、簡単な命令であれば実行してくれる。
掃除については、彼らに一任しているのだ。
「洗濯くらいは私がしないと、ですね」
ベッドに脱ぎ散らかされた寝間着を手に取った。
服を畳むことも教えたいところだが、それはもう少し仲良くなってからだろう。
アーシェが戻ってくるまでに、私は彼女の部屋の掃除を終えて退散した。
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