第28話 花の路の先には

 あきホンさんの実家へは、それほどの距離はないということで歩いていくことになった。


「うわぁ、ピンクの花がたくさんだねー」


 アスファルトで舗装された対面通行道路の両側に、植木鉢やプランターから溢れんばかりに小さく可愛らしい5片の花が咲いている。

 ピンクが圧倒的に多いのだが、たまに薄紅や白い花が咲いている。各々の庭の道路の際や軒先も3鉢、5鉢と並んで置いてある。


「ピンクの花道を歩いてる気分なしー」


 足取りも軽い茉琳の機嫌も良くなっている。


「確か、シレネーというはずですが」


 あきホンさんが頬に手を当てて教えてくれた。


「シレレ?」

「シラネ?」

「シヌシヌ」 

「シラン」


 舌が回らず言いづらいのか茉琳がボケた言葉を吐いている。


「これはフクロナデシコとかコマチソウとも言うそうですよ」

「へぇーアキホンさん物知りなリナ」

「実は花好きの知り合いがおりまして、私もお聞きしたのですよ。聞き齧りなんですね」


 ニコニコとあきホンが話をしている。すると茉琳は道端を見ている。そこに何か、気になるものを見つけたようで、



「あれ、氷の字だね。変わってるなり。初めて見るなしー」


 和風な作りの店先に氷の赤文字と北斎風の青い波が描かれたバルーンPOPを見つけていた。その店の看板を読むといかにもの和菓子店だ。

 茉琳は口先に指を当てて、じっと見つめている。


「茉琳さん、まずはお寺に行くのが先だからね」

「うぃー」


 如何にも気のない返事をしている。

 しかし翔には茉琳が行く気マンマンになっているとわかっている。だから注意したんだ。


「その後だったら良いよ」

「やったね! ありがとう翔」


 茉琳は、途端に笑顔になって喜びだしていく。現金なものである。


 


 翔にとっては、あきホンの実家へ行くのに余分な時間を、寄り道で取られたくないだけの思惑である。


「後、どれくらいですか?」


 翔はあきホンに聞いてみた。


「ふふっ、そこの辻を曲がってください。すぐに着きますよ」

 

 あきホンさんの声も弾んでいる。実かに帰られて、嬉しいということが顔に表れていた。


「私くしが先に行って、先ほどお話しした '髭題目' があるかどうかを聞いてきますね。さて、ゲンキチ、後はよろしくだのまぁ」


 あきホンは踵を返して言い終わらないうちに実家に向けて、走りだしてしまった。


「全く久しぶりなんで燥いじゃって、あそこに鐘撞堂が見えるでしょ。あそこがオヤ…秋穂さんの実家のお寺なんですよ」


 ゲンキチさんが三人の先を行き、案内をして、先ほどから見えていた鐘撞堂の下に到着した。

 しかし、アキホンさんがトボトボと歩を進め、がっくりと肩を下ろし落胆した顔をして帰ってきてしまう。


「ごめんなさい。住職のおっ様も御前もお出かけだそうです。ですから髭ー題目を書ける人がおらないそうで。私くしも書くことはできません。御二方、どういたしましょう」


 アキホンさんは頭を下げて謝ってきた。


「しょうがないですよ。間の悪い時は誰だってありますから気にしないで」


 翔は諦めモードなのだが、茉琳は、何かが気になったようである、


「ねぇ翔ぅ。この線のヒラヒラした漢字は、なにえ? 気になるなしな」


 茉琳は鐘撞堂の下を指差している。そこには石塔があり文字が彫られていた。


「あらっ、それが'髭ー題目'なんですよ。茉琳さん、よく気づきましたね」


 茉琳は、胸を張りドヤ顔になっている。あきホンさんは驚いている。

 そして彼女は石塔に近づいて、


「鐘撞堂を修理した時に碑文として建てたようですね」


 石塔に掘られたものを手で指し示し、説明を始めた。


「これは、お題目の南妙法蓮華経で、法以外の文字の払いを鬚のように払って伸ばしているのですね。羽文字とも呼ばれているんですよ。『法』の光に照らされて、全てのものが真理を体得し活動するさまを表わしたものとされているんですよ」

「アキホンさん、凄いなり! お坊さんみたいだしー」


 茉琳は、目を丸くしてあきホンを見ている。 


「私くし、お坊さんの孫ですからー、えへん」


 手を腰に当ててドヤ顔をしている。茉琳に先ほどされたお返しをしている。


 そのうちに碑文を見ていた茉琳が見た目に怪しい仕草をしだした。


「翔、可怪しいの。この文字から目が離せないなり」


彼女は、目を瞬かせ、目を瞑り、手の甲で目を擦り出しているだけで、その場所から動けずにいる。



「翔。何か光が見える。目から光が入ってくるの。目を瞑っても隠してもだめなし。眩しいなりよぉ!」


 その時は茉琳は思い出したことがあった。


「翔、ウチは、この光、覚えてるなし、いつかの朝に見た光と一緒なり」


 そして、


「頭の奥が蕩けて溶けていくなりよう。」


 そう言うと、膝から力が抜けてしまったようで、腰が落ち、地面にひら座りになってしまった。


「ああっ」


 その後、一言を発して、気を失ってしまった。


「茉琳!」


 あまりの事態に呆然と立ち尽くしていた翔が茉琳に寄り添い、彼女を抱き支えた。

 翔は、茉琳の寝ているような安らかな顔を見て安堵した。

 それから彼も石塔の髭題目をじっと見ていく。翔には何も感じらるない。近くにいた、あきホンに聞いてみる。


「アキホンさんは何か、見えますか?」


 すぐさま、彼女は首を左右に振って否定をした。ゲンキチさんも同じように光は見えないと言う。


 そうしてるうちに茉琳が復帰する。翔は茉琳の顔を覗き込み、

「ま、茉琳。どうしただよ? 大丈夫か?」


 茉琳は、暫く目をパチパチと瞬かせると、


「かっ、翔ぅ。なんか頭の中、光でいっぱいになってね、ふわぁーってなったなし」

「今はどう?」

「なんかスッキリしてるぅ。ミント舐めてるみたいに頭の中がスゥーってしてるなしー」

「何それ? 大丈夫なんだね」

「うん」


 茉琳は、相槌を打つ。


 そんな仕草を見て翔は息を吐き出して、嘆息する。


「はぁー。脅かしっこなしにして」


 安堵して気が抜けたのだろう。翔は地面にしゃがみ込んだ。



「ごっ、ごめんなシー」


 それを見た茉琳も慌てた。しかし、顔の表情は解れて微笑んでいる。


「でもうれしいえ、翔は私を心配してくれたなりね」


 茉琳が笑顔で、翔に抱きついた。不思議なことに翔の女性恐怖症の症状は出ていない。

まあ、今までも、そう出ていなかったりするのである。


「良かったですね。茉琳さん」


そばで様子を見ていた、あきホンも声をかけてきた。その声には安堵の色も含まれている。


「ですが、お体の具合は如何でしょうか? ウチで休まれで行かれてはどうですか?」

あきホンも茉琳の具合を気遣っている。


「大丈夫!なんか元気でたなり」


 茉琳は、先ほどまでと打って変わり、その場で元気にビョンと立ち上がった。


「あきホン、ウチを心配してくれてうれしいえ、ありがとうなしー」


 茉琳はあきホンにお礼の言葉を伝える。そして翔に話しかける。


「翔、次は氷、氷食べたいなしな! 行こうなり」

「お前なあ。そんなにかき氷食べたいのか? 気を失って起きたばかりなんだよ」

「うん、もう大丈夫だよ。翔。ウチは喉が渇いたなしー」


 茉琳は翔の手をグイグイ引いて立ち上がらせた。そのまま、寺の境内から外に出ようとする。終いには翔の手を話して、走り出してしまう。


「早く、早く、翔、早く行くなしー」

「もう、しょうがないなあ。俺やあきホンさんを置き去りにして」


 翔は茉琳の振る舞いに呆れつつ、あまりの恥ずかしさに手で頭を掻いている。


「すいませんね、あきホンさん。茉琳があんななんで、俺は追いかけますね。転んだりしたら大変なのに」



 すると、

走り去った先から茉琳が大声で、


「あきホン、ゲンキチくん。今日はありがとうなり。また、明日なしー」


 挨拶を投げてきた。


「あきホンさん、すみませんね。あいつには、よく言い聞かせておきますから…」


 彼は謝るしかできなかったのだけれど、


「翔さん」

「はい」


 あきホンが翔を呼び止める。


「私くしは、気にいたしませんわ。大丈夫ですよ」


 彼女はフッと微笑んでいる。


「ですが、あいつは……」


 翔が話そうとした時に、光が彼の目に入り込み、翔の喋りを止めた。翔は光の眩しさに目を細めた。

 光の手どころを探すと、先ほど茉琳と見た石碑の文字が光っているように見える。


「翔さん」

「はい?」


 彼女はスッと微笑みを深くして、翔に告げる。


「茉琳さん、大丈夫ですよ。もう、大丈夫」

「えっ、なんでそン………、つっ」


 翔はあきホンの言葉を訝しんで、訳を聞こうとするも、再び光が目に入り込んできて、話すことができなかった。

 目が眩しさに慣れた時に、翔には石碑からの光が見えた。

 光は石碑の前にいる、あきホンを後ろから照らしているように見えてしまう。


 彼は思った。


 これは後光じゃないか。彼女には後ろから御光が差しているのではないかと。

 あまりに神々しかったんだと。

 彼は見惚れてしまって言葉を失う。


「翔さん。茉琳さんをよろしくお願いします」


 あきホンさんの言葉で翔は、意識をとり戻す。


「わかりました。じゃあ、また明日。ゲンキチくんも」


 と言って手を振り、翔は瞼を擦り擦り踵を返して、先に言ってしまった茉琳を追った。

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