第3話 2度目の勘違い
彼は次の講義に向かうためキャンパスを移動している。
晴れて進学し地元を離れて総合大学に通う事になった。複数ある学部の共通エリアのためか、人通りが多い。
花壇のある広場を通り過ぎようかとすると、
「よくもヒジリを殺しておいて、講義なんて受けにこれたわね。このビッチが」
物騒で剣呑な女性の声が聞こえてきた。
丁度、彼の進行方向が喧騒で満ちていた。明るめの前下がりボブの女学生が黒色のバックを振り回していた。
足元では長い髪を黄色に染めた女学生が座り込んでいる。転んだのかレギンスの左膝が破れ、血が滲んでいるのが見てととれた。
「ウチじゃないだしー、ウチも巻き込まれたんだしー」
なんか癖のある語尾で話をするのが黄色の髪の子。
「お前があいつに付き纏って…」
1人が茉琳を糾弾する。
「もう、やめよ」
人通りの多さに、怖気付いたもう一人の子に止められてボブの子が糾弾するのをやめた。
「今まで人の荷物をぶんどってこうするなんて、あんたがやってた事なんだからね」
憤まんやる方ない女が持っていたバックを黄色の髪の子に投げつけた。
「あぁー」
ファスナーが開いていたのだろう。テキストやポーチ、タブレットが飛び出して散乱した。
そのうちのポーチが彼に飛んでいく。突然の出来事に対応できず、ポーチはバックパックのスリングをかけているところにあたった。
「うわあ」
ボーチのクチが壊れたらしく、消臭のスプレーやリップ、グロス、アイブローペンシル、コンパクトなんかが彼の肩から落ちていく。
「びっくりしたぁ、避けるなんてできないよ」
と彼は1人呟いている。
彼の前では黄色の髪の子がしゃがみ込んで自分の持ち物を拾い集めていた。
「あぁー踏まないで! 蹴らないで!おねがい、拾ってなしー」
往来の怖さでいる。散乱したノートや冊子が往来にふまれて行った。
「ざまぁ」
バックを投げた本人は、まだ悪態をついていたがその内、往来に紛れていなくなった。
それらを見ていた彼は、
「ちっ」
やはり、しゃがみ込んで彼女の荷物を拾っていく。
概ね拾い集めて彼女に届けようと近づいていくと、丁度、彼女が顔を上げてきた。
「これ、拾っておいたよ。あなたのでしょ」
と声をかけた。仰ぎ見た彼女は目を見開いた。
集めて手に持っていたものを取り落とし、彼の顔をガン見する。
「……翔。日向翔だよね」
そして彼女は涙を流してきた。打ち震え口を手で覆っている。
「だから、あなたは誰ですか?人違いじゃないですか? …ん?」
それを言ってから彼は何かに気が付いたのか、
「なんか、前にもこんなやり取りをしてませんか?」
彼女は口を覆った手の奥から声を絞り出す。
「カケルゥ、かけるぅ、翔」
そして彼女は彼の腰に抱きついていく。
いきなりのことだったのか押さえが効かず、そのままの勢いで彼は尻餅をついてしまう。
「ちょっと、ちょっと、ちょっと離れて、お願いだから離れてって」
「いやぁ、カケル」
逆に伸し掛かってしまう。
すると彼の様子がおかしくなっていく。顔から血の気が引き蒼白になってしまい、
「ちょっ……ヒィー、ヒィヒィヒィ…ヒィヒィ…」
吸おうとしてばかりで吐くのが難しい過呼吸症候群に陥ってしまった。
彼女も抱きついていたが彼の異常事態に気づき体を離す。でも彼は横臥し、それでも症状は変わらない。
「ごめん。翔くん。こうなるんだったね」
不思議なことに彼女の口調が変わる。彼がこうなることを知っている様な口ぶりになる。そして彼を横臥から抱き起こし、上体を足の間にいれて前屈みに座らせていく。
「もう、離れたから、大丈夫。大丈夫。口を窄めてゆっくり吐いて」
彼の横に座り直し、背中をゆっくりとしたペースで叩きながら、落ち着かせ、
「そう、ゆっくり吸ってぇ、吐いて、吐いて。吸ってぇ吐いて吐いて」
そのうちに彼の呼吸も落ち着いていく。
休憩時間も終わり講義も始まると学生たちが一気に引いていく。
歩くものがほとんどいなくなったところで、少しは落ち着いたらしい彼に肩を貸して彼女は近くにあったベンチに座った。
「飴いらんかぁ」
ショッキングピンク色のバーカーのポケットから包みを取り出して渡そうとしたが彼は手で断っている。
「ねえぇ、カケル」
「多分、人違いですよ。それより、顔を拭いた方がいいですよ。なんか黒いスジ流れてますよ」
「え、えぇ〜」
彼女は自分のバックを漁り、見つけた折りたたみの鏡を覗いて、
「ぎゃぁー、こんなんで沢山の人の中いたのぉ」
「まあ、見てたの俺だけじゃないかな」
「うわあああん、メイク直してくる」
茉琳はベンチを飛び出すと最寄りの校舎へ入って行った。茉琳は流れたマスカラを拭き取りメイクのやり直しをするためだ。
しばらくしてベンチに戻ると誰も座っていなかった。
呆然とはしているが、彼女の顔は安堵し、そして綻んでいった。
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