第4話 堪忍なぁ堪忍なぁ 堪忍ねぇ堪忍ねぇ

『ごめんなっシーごめんなっシー』


 翔の耳には未だにーあの変な言い回しが耳の残っている。


「どこの訛りなんだよ」


 あのヘンテコな女に会った翌日。翔は昼飯を食べて2号館の2階テラスにある喫茶コーナに来ていた。午後最初の講義までのんびりと過ごそうとしている。テイクアウト珈琲の専門店が入っているテラスで多くの学生がたむろしていた。複数人で談笑しているものたち、カップルで何事かを囁き合ってるものたち、1人で世界に佇んでいるものたちが集まっている。

 そんな中、壁際のカウンター席に翔は座っている。

入学式も終わって数日経ち、オリエンテーションで学部、学科の説明を聞いて、これから、ここで大学生活を始まるんだと翔は気分を高揚させていたのに、変なものに遭遇してしまって冷や水を浴びせられた様に気分を落ち込ませていた。

 しかし、


「ここのミルクティーはなかなかいける」


 自分の好みに合うものを見つけられたことも喜んでいた。せっかくだしタブレットで好きなコンテンツを見て休み時間を楽しもうとしていた。そこへ、


「堪忍えぇ、堪忍えぇ、通りますぇ堪忍えぇ」


 耳に残る喋り方と微かに記憶に残る声が聞こえてきたのだ。


 「なんか聞き覚えがあるんだけど』

 翔は顔をしかめてしまう。

 この前は化粧が崩れていたとはいえ同年代の異性をほっぽって逃げてしまった。状況がどうであれ折角の出会いだというのにだ。

 今でも声がする方向には丁度背を向けているから、静かにしていれば無関心、無視ができるはずだった。

 しかし、


「っきぃゃあゃ〜」


 甲高い叫び声、床に飛び散る、何らかの液体の音、そして樹脂のトレイが床で跳ねて滑る音。最後に翔の座る、壁際席に備え付けの椅子にトレイが当たる音。


「ごめん、ごめんなっしぃ。大丈夫ねぇ、かかってないねぇ」


 後ろで、周りを心配している声を背中が聞いている。


「ははははは、そんなだらしない胸をしてるから足元が無案内になるんだよ。地面にでも

 ひっかかったんだろう。そういやぁ、あんたの周りじゃあ、みんな、おんなじに転んでたねえ」


 別の声が彼女を嘲ているのがわかる。多分、この声の主が彼女の足を引っかけたのだろう。


「チッ違うシー、マリンの胸、そんなだらしたくないしー」

「頭の中がだらしないんだよ」

「ひっ、ひどいなりー」


 彼女の涙声だったりする。


「チッ」


 翔は舌打ちした。自分の持っていたデイバックからタオルを取り出すと、椅子から降りて振り返る。こんなボッチの翔にも戦友と言える親友がいるんだ。そいつとの約束というか誓いというか、これだけはしようというものもある。


 翔の前には、四つん這いになっている黄色の髪の女性。その少し前に落ちているトールサイズカップ。扇状に広がる甘い香りのするベェージュね液体。カフェオレだろう。


 翔もしゃがみ込むとタオルでそれを拭き取っていく。彼女の方は見ていない。


「あっありがとね、ありがとね」


 拭き取りはじめて翔は一度、顔を上げた。

 そこには、長い髪をブリーチをして黄色に染めた女性が立っていた。青いパーカにグレーの豹柄のレギンス。両手の指で覆った口元の少し上には二つのピアスをした可愛い鼻が見える。

 出している耳にもピアス、ニードルにロッドなんかもついていた。


 概ね、溢れたカフェインを拭き終えて、立ち上がりその場を去ろうとしたのだか、


「じゃあ、気をつけ…」

「カケル!」


 翔の言葉に彼女が遮るように言葉を重ねる。

 思わず見ると、彼女は腕を広げて翔に抱きつこうかに見えた。そして彼は見えてしまった。焦点を結ばない目、力無く呆けたように空いている唇。彼女の顔から表情が消えた。気を失ったに見える。

 そしてそのまま勢いで翔にのしかかっていく。

 パーカーを押し上げる豊かな乳房に翔の頭が埋もれてしまう。微かに香るフレグランス、立ち上がる甘いセントが翔の鼻腔をくすぐっていく。

 翔は慌てる。体が芯から冷えていく。顔がこわばってくのも翔は感じている。

 この後、起こるだろうことに身構える。発作として息しづらくなってしまうのが常であつた。

 

 だが、スゥー、はぁー。


「あれ?」


 普通に呼吸ができた。ヒィヒィいって過呼吸にはなっていない。前はなっていたのにと翔は悩んでしまう。

 そのうちに、


「かはっ」


 彼女が息を吹き返した。翔はゆっくりと腰を下ろして、抱きついている彼女をヒラ座りさせていく。顔を見て黒目が動き出したのを確認すると、翔は立ち上がり、その場を立ち去っていった。

 翔には、女性との接触で過呼吸になるという症状の発作がある。同級の女の子にいじめを受けたトラウマが呼び起こしてしまう。しかし今回は出なかった。首を捻りつつ、翔は、この場から歩いていく。関わりは少ない方が良いと。


 暫くして、頭をフラフラさせて意識を取り戻したかに見える彼女は、


「翔が助けてくれた。兎に角、困ったときは助け合おうっていう誓は守ってくれてるんだ」


 唇を綻ばせ呟いていた。

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