第25話 駅ナカピアノ
新幹線が駅に到着した。ホームに出ると何かの作動音だろうか、ゴォーという音が耳につく。
気分が落ち込んでいる時なんで気に触る。
改札口に行くためにエレベーターを使って一つ下のロビーへ降りる。翔も一緒だ。
「ねえ、翔。ピアノが置いてあるえ。弾いて良いなしかな」
向かって待合室の反対側のブースにピアノが置いてある。
近づいてみるとサインプレートのインフォメーションには誰でも弾いて良いと書かれている。自動演奏もできるそうだ。
今日は病院の定期検診へ行く日。早くマンションを出たおかげで予約時間までは余裕がある。
「翔、これを持っててなし」
ウチは手に持った山羊の皮製の軽量トートバッグを彼にわたす。
他と比べて低くなっている天井の下。ライトに照らされて置いてある一台のピアノに近づく。屋根が閉まっている。
側板に近づいて、屋根を開けようとしたけどウチの力では、開けられなかった。
「翔、手伝ってなし。うちだけじゃできないなりよ」
「おう、」
彼は、すぐ側に来て屋根の下に手を入れて引き上げてくれた。半分ほど開いたところでウチが突き上げ棒を立ち上げて屋根を固定した。
「見た目以上にこの板は重いねえ」
「うん、ウチだけじゃ上がらなかったし。ありがとなり」
「別に良いけどね。でも茉琳?」
「何ね?」
「ピアノを弾けるの?」
それを聞いて、ウチはカチンときた。でも、翔にしてみれば普段の私を見て、想像がつかないのも当たり前か。
少し前に死別した彼の気を引くために、ウチは髪を黄色に染めた。ピアスも開けた。爪も飾った。タトゥーも。髪の毛も今は色が戻り始めて黒くなっている部分が成長している。残りの部分も枝毛の処理もできていないからバサバサになって横に広がっている。
なんとも閉まらない風体になっている。
「ウチも、お嬢様え。ピアノも小さい頃から習ってるなり、みてるなし」
翔も、どうにも腑に落ちない顔ををしている。
でも、今、ウチはピアノをを無性に弾きたい。胸の中で心がざわついている。なんか焦っているように感じる。
こういう時は以前のお嬢様、お嬢様している時のウチは、ひとり、ピアノを弾いて自分を慰めていたものよ。
ウチは静かに背なし椅子に座りポジションを決める。鍵盤をカバーする蓋を開けていく。目の前に7オクターブーと3鍵分 88の鍵盤の世界が広かった。
その世界へ、ウチは居住まいを正して背筋を伸ばし左右に広がる白と黒の世界の中心に、そっとCの鍵盤に指を置いた。
そして、ラウドペダルを踏みつつ、左手で鍵盤に指を溜めをしてそっと落としていく。
アウフタクト、Gの付点全音符。そしてFDBの和音の2分音符。今度は弱起、Dの付点全音符にFCAの和音の2分音符。それを2度繰り返す。
そこへ右手で主旋律を奏でていく、FAGFCBCEの四分音符に和音を重ねAの2分音符と左手のDの付点2分音符を続ける。
また最初と同じように。繰り返した後、右手で付点二分音符の音階を上げていく。
そういえば、楽譜の頭には、ゆっくりとした疼痛を伴うって記されていたね。ウチは悲哀を込めたよ。
本当に久しぶりだったけど、指は動いてくれた。でも微かに指が震えて音が揺らぎ、不安な心が現れてしまう。
でも、目を瞑り、瞼をの裏に楽譜を浮かべて演奏を続けていった。最後の一音がゆったりと流れ、壁や柱や天井に染み込んでいく。訪れた静寂を
パチパチパチ
翔の拍手が破っていった。
「お見事だね。凄いや。茉琳、本当にピアノを弾けるんだね」
翔は褒めてくれた。誤解も解いてくれたと思う。
運指を間違えないか、冷や汗の出る演奏だったけど。唇が微かに微笑むのが自分でもわかる。
「どうなり。ウチも一端のお嬢さんと分かったえ!」
思いっきりのドヤ顔を翔には見せびらかす。
「見直したよ。茉琳ってお嬢様なんだね」
「ふふん!」
思わず、鼻息を荒くしてしまう。
「でも、ゆったりとした曲なんだけど………寂しさを感じたよ。悲しいって」
「!」
思わず、ウチは、彼を凝視してしまった。
やっぱり、音にて出てしまった。
これ以上見透かされるのも嫌だからね。ウチは彼が持っていたトートバッグを、そっと取り返し、中にしまっていたクローシュハットを取り出すと目深に被ってしまう。こうすれば表情が見づらいはず、
「ごめんなり。時間を取ってしまったなしね。行こうかえ」
ウチは翔の手を取って歩美を進めていく。
ギュッと手を握り、不安を気取られないように翔を引っ張っていった。
「茉琳、強いって、そんなに握らないで」
ウチはコンコースを病院へと行くバスターミナルに向かって翔と一緒に突っ切っていった。
病院へバスに乗って到着すると、予約時間へは充分の時間があった。
マイカードを受付機のスロットに差し込んで、ディスプレイに表示された診療内容を確認して、プリントアウトされた診察券を受け取った。
血液検査に始まり、MRIそして造影剤を点滴されてのCT撮影。一通り終わると、昼ご飯の時間が直ぐそこまで来てしまっている。
胃が鳴り出す直前に、
「00021番の方。8番の診察室に入ってください」
のアナウンスがあった。
扉を開けて中に入ると、医師が目の前のディスプレイを見ながら、ブラインドタッチダイビングをしている。
「お久しぶりです。そこへ座ってください」
指し示められた丸椅子に座ると、茉琳は、壁際にあるディスプレイを見た。
黒い画面に白く書かれた丸い円と浮き出たように描かれた白いブロッコリーのようなもの。芯の部分には微かに濃淡が見て取れる。もう一枚、黒くなった線に囲まれて白いブロッコリーが鮮やかに浮かび上がっている。
「調子はいかがですか? 検査の結果が出まして早速。ここの部分を見てください」
医師はマウスを動かしたんだろう。ポインターが一枚の画像の一点を指す。
「ここの部分がダメージを受けて活動が鈍くなるというより、止まっています。黒く小さい点は既に壊死してますね。それと、こっち」
ポインターがもう一枚の一点に移動する。
「ここの部分、黒くなっているところが増えてきます。脳が萎縮してるんですよ」
「はぁ?」
ポインターが指し示す場所の色の濃淡はわかっても何を意味しているかわからない。
「御影さん、最近、意識を失っている頻度が増えていませんか?」
ウチは首肯する。
「それと、足元が覚束なくて転びやすくなっていませんか?」
腑に落ちることが多すぎて、目を見開いて硬直しくしまう。
医師はウチを見てきた。
「症状が進行しています。このままでは危ないですよ。いつ、息ができなくなって意識を失う。最悪、そのまま……」
いわゆる、死んでしまうってこと?
「入院されて、点滴による投薬治療とリハビリによる機能改善が必要になるあります。今というわけではありません。次の診察の時にお答えください」
彼氏だったヒーくんが死んだ時は、もうウチも死んでもいいと思っていた。彼と一緒にあの世でラブラブできるって考えていた。
でも、翔とウチと体を同じくしている茉莉といると、このまま一緒に暮らしていてもいいかなって。そう思い出した矢先にこれじゃあね。
「少しだけ、時間をくんなまし」
俯いて力無く答えるのかいっぱいだったよ。
なら、この体から動ける内、息をしている間にやりたいことをやるまで。
診察室を出ると翔が待っていた。
「どうだった? 先生はなんだって」
と心配そうに聞いてくる。気づかいが嬉しい。だからこそ、
「変化無しって言ってるなし。なまじ直るかもっていうなりよ」
嘘を付いてしまう。中にいる茉莉もどうすんのって呆れてる。
「じゃあ、次の時も付き合ってあげるからね」
ああ、この優しい男の時間を拘束してしまう。心苦しいよ。茉莉は涙を流してきるんじゃないか。
診察が終わり、次の診療予約と会計を済ませて、翔と病院を出る。
こうなったら、体が動ける限り、息が続く限り、意識がある内にやりたいこと、見たり聞きたいことを実現してやる。楽しんでやるんだ。
まず、今日は…
あきホンお勧め、噂の鯛焼きを堪能するまでなり。
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