第24話 シャボンに祈りを込めて

 どんよりとした雲の下、6号館のそばにあるガーデンに茉琳はいる。そこのベンチに座っている茉琳は左右を見渡して手持ちのトートバッグからいそいそと、透明フィルム袋を取り出した。

 開け口にある台紙をとって中のものを出す。ピンク色の容器と黄色のビニールノズルのついた青いプラストローが入っていた。

 徐にマリンは容器につ色のキャップを取り,ノズルをその中に差し込む。それを取り出すと,今度は反対側のストローを口に含み息を吹き込んだ。ノズルからは茉琳の吹き込んだ息で膨らんだシャボン玉が吹き出されていく。

 ひとつ、ふたつ、みっつにとう、にじゅうと空に飛んでいく。

 膨らんだシャボン玉の表面には容器とノズルとストローの色が輪となって淡く滲んで透けている。

 そして風に乗って何処かへと流れて去っていってしまう。

 茉琳はシャボン玉が流れ去った先を見送ると、再び,ノズルを容器に差し込み,そして引き出す。そして息を吸い込むとストローへ勢いよく吹き込んでいく。


   スゥー


 小さい泡のシャボンが数え切れないほど出来上がり,舞い上がっていく。

再び,茉琳が息を吹き込む,


   スゥー


 舞い上がったシャボン玉に,雲間からの光があたり,赤,青,緑に輝いた気泡が屯して乱舞する。

三度、茉琳が息を吹き込む。


 舞い上がり、そよかぜに震えるシャボンの振る舞いは虹色のコーラスを奏でる。歓喜と祝福を振り撒いて。


しかし、クローシユハットの短い鍔が茉琳の表情を隠している。その下を窺い知ることはできない。


茉琳がその全てを見送った後、


「なんか、すごく綺麗だね」

 

 すぐ、側に翔がいることの気づいた。


「あっ、翔。いつの間に来てたの?」

「いま、来たところ。近くまで来たら,シャボン玉が漂って来たんだ。気になってそれが流れてきた元を手繰ってみたら茉琳がいた。ベンチでシャボン玉を吹いていたんだ」

「うん、ウチが吹いていたの。街中のワゴンセールの100均コーナーにあったの」

「へぇー、懐かしいなぁ」

「でしょ。だぁかぁらぁ。箱買しちゃった」


 マリンの顔が二ヘラッと笑う。


「なに、浮かれるなしか」

「?」


 突然の喋りに翔は驚いた。


「ごめん,ごめん。翔くんも、おひとついかが」

「ありがと」


 茉琳は、トートバッグから,新しいフィルム袋を取り出して翔に渡す。

 そして自分はストローに息を吹き込み、シャボン玉を吹き出していく。それを舞い上がり,無くなるまで目で追っている。


「ねえ、翔くん。膨らんだシャボンは、いずれ弾けてなくなるの。私も、そうかもよ」

「いきなり、何を言うかと思ったら、そんな事かい?」


 彼女は膝上に置いたトートバッグを退かした。


「100均に寄った後、ここ来る途中で躓いて転んじゃった。何もなかったのに」


 茉琳の履いているコットンパンツの膝が破れ、僅かに見える皮膚には血が滲んでいた。

今日の茉琳は、朝から気分が良かった。いつものように頭が重く感じることもなく、頭はスッキリしていた。これならと、1人でペットショップに行ってハムスターを観て楽しみ、街中を散策していた。街頭でいくつかのワゴンに商品が山積みになっているのが気になり近づく。

【すべて100円】

の張り紙が貼ってあった。


「何か面白い物あるかな?」

好奇心が茉琳の足を止める。そして気になる物を発見して、


「懐かしいな」


 思わず口に出してしまう。周りから、同じワゴンセールに、いる人たちに注目を浴びて頬を染めて縮こまった

「何、恥ずかしいこと言うなしか」

「面目ないで御じゃる」


 しかし、茉琳はそれを手に取った。それがシャボン玉セット。


「小さい時に遊んだの。綺麗だったなあ」

「今更、やるなしか? お子様なりな」

「でも、みんなでやれば楽しいよ」


 それを想像して茉琳は微笑む。彼女はワゴンの上に展示されている商品を箱ごと取り上げ、レジカウンターへ持っていった。

 会計を終え、さすがにシャボン玉セットの箱ごと手に持って彷徨くわけにもいかず、トートバッグに詰め込んだ。

 意気揚々と大学の東門に向かおうとしたところで


「あっ」


 何かに躓き、転んでしまう。いきなりのことだったので膝から落ちて、庇おうとして手もついてしまった。

 余りの勢いでコットンパンツの後ろポケットから黄色い長財布も飛び出でしまって路上を滑る。被っていたクローシュハットも飛んでしまい、青いフレンチ肩のジャガードプルオーバーの背に黄色く染めた髪の毛が広がってしまう。


「痛っ」


 周りに誰も居ず、痛みを我慢して1人で立ち上がる。落ちたハットも被り直して振り返り路面を見てみても、


「何も引っ掛かるようなの何もないなりよ」

「でも、蹴躓いた。なんでえ?」


 それでも、落とした財布を拾い上げ、痛みを主著する膝を騙し騙し茉琳は大学の東門へトボトボと歩いていった。


「階段が辛いなり」


 東門は階段になっていた。


⭐︎


「茉琳!」


 傷口を見た翔が声を上げた。


「いいの、大丈夫。私、足元も覚束なくなってる。意識も無くしちゃうし、間隔も短くなってる気がするし、翔くん。私,どうなるの?」


 滲み出てきた涙を拭う手の母指球にも擦り傷から血が滲んでいた。


「茉琳…」

「ごめんなさいね。こんなこと言ってもわからないね」


 彼女は苦笑いをする。


「だからね。こんな体でも、ずっと翔と一緒にいられたならってシャボン玉に願いを載せたの」

「そうなんだ。どうかしたのかと心配しちゃったよ」

「へへっ、ごめんね」


 翔は手に持った包みを開け、シャボンの入った容器を取り出す。キャップを開けてノズルを持ち出し、容器へ入れて引き出す。

 茉琳に倣って息を吹き込んでシャボン玉を吹き出した。男だけあってシャボン玉の数も多い。その中の二つがくっ付き、ひとつのシャボンと戯れながら舞い上がっていく。


「あっ、ウチらみたいなり」

「どっ,どこどこ」

「あの辺り」


 茉琳の指差す方向へ翔は視線を向ける。


「あれか? なんか微笑ましいな。まるで……」

「なぁに?」


 翔は微笑みで誤魔化していく。


「茉琳」


 翔に呼ばれて振り向くと、彼は容器にノズルを浸して、そして引き出す。そして息を吸い込むとストローへ勢いよく吹き込んでいく。


   スゥー


 小さい泡のシャボンが数え切れないほど出来上がり,舞い上がっていく。

再び,翔が息を吹き込む,


   スゥー


 舞い上がったシャボン玉に,雲間からの光があたり,赤,青,緑に輝いた気泡が屯して乱舞する。

三度、翔が息を吹き込む。


 舞い上がり、そよかぜに震えるシャボンの振る舞いは虹色のコーラスを奏でる。歓喜と祝福を振り撒いて。


「俺も茉琳の体が良くなって,一緒にいられるように祈ったよ」

 

 彼は微笑んで茉琳に伝えた。


「翔!」


 マリンは感極まって涙を流しつつ,翔に抱き着いた。


「ありがとう。 ありがとう。翔くん」

「どういたひっ,ひっ,ひっー」


 すると,翔の様子がおかしくなっていく。どうやら過呼吸の症状が出出したようだった。

 そう、翔は女性恐怖症による過呼吸の障害を持っている。茉琳に対しては発作が出なかったはずなんだけれど,


「ごめんなさい。翔くん」


 茉琳は、すかさず身体を離していく。


「知ってるはずなりよ,何してるなしか」


 しばらくして,翔の呼吸が落ち着いてきた。

    

   スゥーハー スゥーハー


「やっと落ち着いた。悪いな。こんな時に発作が起きちゃった。おかしいなぁ,茉琳には出なかったのに」

「急に色気づきだしたし、マリのすけべ」

「?」


 彼女の口ぶりに翔は訝しんだ。

 茉琳は真っ赤になった顔を手で隠してしまう。翔は彼女へ,その事を問いただすつもりだったのだけれど。,



「この泡は、シャボン玉ですね。凄く綺麗。それにたくさん飛んでいますのね」


 茉琳たちがいるガーデンのすぐ傍から女性の声が聞こえた。

丁度、シャボン玉が風に流されていった風下の方からだ。


「はぁー、あらぁー」


 その女性の周りに数えきれないほどのシャボン玉が集まっていた。多分,2人が吹き出したシャボン玉であろう。


「あれぇ?、あらら?」


 そして,その泡が女性に、まとわるように近づく。そして、ひとつ一つが怯えるように震えると一斉に爆ぜてしまった。


「キャン」


 シャボンが弾け飛び散ってしまう。しかし不思議なことに弾けた時に煤のようなものも辺りに撒き散らされてしまった。


「もう、泡でベトベトです。茉琳さん! あなたの仕業ですか? 怒りますよ」


 普段、ニコニコと温厚なあきホンが怒り出す。

 すると、周りに漂う煤が彼女の怒気に当てられ,炎に炙られたように赤熱し、そのまま白灰し、何処かへ散ってしまった。


 翔も茉琳も開けた口を閉じることができなかった。暫くしてから、ようやっと、


「ごめんなさい。私がシャボン玉、飛ばしてしまいました」

 

 と、茉琳はあきホンに頭を下げて謝罪した。


辺りの時間が止まったような。


「「えっ、茉琳がまともな言葉で謝ってる」」


 しかしながら周りの2人は慄き始めた。


「あきホンさん,人類滅亡の時が来ました」

「翔さん。天変地異の前触れかもですね」


 と、2人して座り込んでヒソヒソ話を始めた。


「実は,ここの地下にシェルターがありまして、1週間分備蓄がありますのよ」

「そーそうなんですね。都市伝説かと思ってました」


 2人が茉琳そっちのけで話していることにカチンときて


「2人だけでなに話してるなり? 普通に謝ったよ。退けもんにしないで なし」


 と、しゃがんでいる2人に詰め寄る。


「ごめん、ごめん」


 翔は立ち上がり手のひらを茉琳に向けて降参のポーズをとる。

 あきホンは立ち上がりながらスカートの裾をはたき砂埃を落とした。


「ごめん遊ばせ。おふざけが過ぎましたね」


 そして彼女は黙礼した。


「全く持って,2人とも酷いなり」


 茉琳はひとりプンスカをしている。それを見て苦笑しながら翔は、あきホンへ話しかけていく。


「あきホンさんて見かけによらず、ノリがいいんですね」

「うふっ」


 まるで悪ガキが悪戯が成功したっと言う具合に口角を片方上げた。


「!」


 今度は翔と茉琳が目をパチクリさせた。


「ねえ,翔。あきホンって見た感じ変わったなし? あんなだっけ?」

「本当だよね。いったいどうしたんだろう」


 2人は、あきホンに注目する。そして少し視線をずらした。


「「男だ」」


 あきホンの影になるところに、男がひとり佇んでいた。

 そうなのだ。あの深窓の令嬢と思われた、あきホンに連合いができた。年は翔と同じぐらい。背丈は彼の方が高かった。短く切り揃えた髪の毛の下、柔和な表情で優しく彼女を見つめている。

 2人の視線にあきホンは居心地悪そうに身じろぎをして、


「陰口なんて,あまり良い趣味ではありませんわね」


 ソッポを向いてしまう。でも頬は真っ赤に染まり,耳まで赤くなっている。

その時、翔と茉琳の意識は一致した。


あきホン,可愛い!


「ダメって翔。あれは劇薬なり。目の毒だよ」


 すぐさま、茉琳は翔の両目を手で覆ってしまう。


「茉琳さん。目の前が真っ暗でなにも見えませんが。あの、染まったお顔を目に焼き付けたい!」

「だめ! ダメなり!」


 2人の絡み合いは続く。


 暫くして、あきホンの機嫌は治り,茉琳たちの戯れ合いも終わっていく。

 あきホンは翔からタオルを受け取り,シャボンで濡れていた髪とか衣服を拭いていった。


「このタオル。翔さん、いつもお持ちなのですか? 」

「それはですね。茉琳の奴が何時、やらかしてもいいように真空バックして持ってるんです」

「愛ですね。茉琳さんへ愛がそうさせるのでしょうか。本当のところどうなんですか? 翔さん」

「単なる慣れですよ。慣れ。目の前に、ずぶ濡れになる人物がいたらどうしますか? それも頻繁に」

「もう、諦めの境地なのでしょうか?」

「はい」

「お願い、『そこで愛です』 と言ってくれなしー」


 茉琳は涙目で翔に抗議をしていた。 


「ごめん,ごめん。茉琳、膝見せて、オキシドールで消毒するから」

「えっ、えっ。はいなしー」


 茉琳が転んだ時に打ちつけた膝を軽く前に出す。翔はしゃがみ込んで患部を見る。


「膝のとこの生地が破れてるよ。あぁー血が固まってる。ちょっと待ってて」


 彼は、肩に掛けていたデイバックを地面に降ろし,中からポーチを取り出して,それを開ける。脱脂綿。カット綿。キズテープ。包帯やらピンセット。ロキソニンのチューブも入っていた。

 その中から小さくしたカット綿、ピンセット、オキシドールの容器を取り出す。カット綿に容器からの液を湿らせてピンセットで傷口にトントンと乗せていく。


「つっ、痛いなりー」

「我慢,我慢だよ」


 傷口から白いものが出てくるのだが,そのままにしておく。


「絆創膏お願いなしー」

「このままだよ。傷口は乾かさない」

「そうなりな」


すると、どうだろう。


「どう見ても愛じゃねえか」


 翔は声の方に顔を向けると、あきホンと件の男がヒソヒソと話をしている。


「違いますよ。気になってしょうがないのですよ。んっとに目が離せない」

「まっーそう言うことにしといてやるよ。なあ……」


あきホンは側の男に笑いながら話をする。こちらも微笑ましい。



そのうち、


おほん、


あきホンは喉を整えて、


「今日,お伺いしたのは,以前に仰っていました甘味処の情報を茉琳さんにお伝えするためなんです」

「えっ、そうなん。ありがとう。あきホン」

「いえ、どういたしまして」


 そして、あきホンがスカートのポケットからメモらしきものを取り出す。が、シャボンが染みているのかインクが滲んで解読不能になっている。


「ダメですね」

「ためなりな」


 がっくりと肩を落としてしまうあきホン。


「後でメールでも、いいなりよ」

「親しい方だけには、こう言うことは顔を見て,お話ししたいのですよ」


 あきホンの言葉に茉琳の笑顔が返事になった。




⭐︎



いつの間にやら雲はさり、青空が見えた。


「ねえねえ、あきホン」

「はい,なんでしょう茉琳さん」

「さっきはごめんなりね。その時に割れたシャボン玉から出た煤みたいのなんだしな?」


 あきホンは頬に手を当てて、


「そうですねえ」

「ウチの体はあんなの出してきてるのかなあ。汚れ切ってるなしか」


 茉琳の顔が哀しみに歪む。そんな彼女を心配そうに見ていたあきホンがポン

手を叩く。


「茉琳さん。多分、あれは厄というものですよ」

「厄?」

「そう、厄。厄年の厄。苦しみという意味もあるんですよ」

「確かにウチの体、それでいっぱいなりよ。それが出ちゃたなし か」

「そうですね。苦しみをシャボン玉に込めてみんな出しちゃったんですよ」

「でも、あきホンみたくなったら厄が移らない?」

「厄除け団子というのがありまして、自分の厄を団子につけて、それをたくさんの人に振る舞うっていうのがありまして」

「それってひどくないなり」

「それが団子に受け取った人には厄は移らないそうなんです」

「そうなの」

「だから、本当に沢山買ってみんなに振舞って厄払いするそうなんですよ」

「じゃあさ、ウチもたくさん買ってみんなにあげるかなぁ」

「ですけどね、買った団子は自分では食べられないそうで」

「それは、いやなリィ」

「うふふ、茉琳さんらしい」

「ウチ、食いしん坊ちゃうなり」




「ところで、茉琳さん」

「なんなり、あきホン」 


あきホンは茉琳に向けて手を合わせた。


「もし、よろしかったらですけど」


 小首を傾げて


「私にもシャボン玉を吹かせていただけないでしょうか」


 茉琳に上目遣いでお願いをした。


  クラァ


「か、可愛いなりぃ」 


 なぜか、茉琳は頬を赤くする。


「そんなにしなくてもいいなりよ」


 茉琳は、トートバッグから包みを取り出すと、それをあきホンに渡す。


「ありがとうございます。私くしも長らくシャボンで遊んでいませんでしたのよ」


 あきホンは、目を細め、懐かしそうにして包みを開けて中身を取り出し、容器に

ストローを差し込んで液をつけると、それを口に咥えて、


  すぅー


 息を吹き込んだ。ノズルから勢いよく泡が吹き出されていった。それもたくさん。



  パシャン



 しかし、すぐに弾けてしまった。


「あら、あらら。なら、もう一度ですわ」


 あきホンは、再度、シャボンを吹くも、


  パシャン


 結果は同じであった。


「息が強すぎなのでしょうか?」


 加減して吹くのだが、


  パシャン


 再度、同じことになってしまう。


「不思議なこともあるなしな」


 茉琳は、変な関心をしてしまう。


「私くし、シャボンに嫌われたのでしょうか? 何もしていませんわ。なんでぇ」


 あきホンの嘆きが、虚空に吸い込まれていった。

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