第19話 宴の前に

 夜の帷も降りて、道路を走る車のヘッドライトが歩道を歩く2人を照らしている。


「みんな、よく居酒屋で良いって、言ってくれたね」

「そうなり。言ってみるものだしぃね」


 ホクホク顔で、茉琳は話をしている。知り合った人たちと食事ができるのが,よっぽどうれしいらしい。

 今日の茉琳はシンプルなノーカラージャケットにスキニーパンツ。いつもの豹柄のレギンスにパーカーの組み合わせではない。

 翔が茉琳に言い含めたんだね。せめて今日ぐらいはクールなものにしとけ と。 


「あきホンさんはどうだったんだ? あの人、深窓のお嬢様って感じだし、嫌がるかなって思ったよ」

「それがね、『お魚の煮付けとかありますでしょうか?』って聞いてくるしー、あるみたいって返事したら、来てくれるって答えたなり」

「へぇー、和食好きなんだね」

「まっ、来てくれるって言うのは良いことなりね」


 そう言いながら、茉琳は翔の腕に自分の腕を絡ませる。


「だから、翔も一緒に食べよう え」


 すると、翔は顔の前で手を振って、


「茉琳は、俺のこ………」


 彼は、言葉を続けていけなかった。茉琳が寄りかかる方の肩が引き落とされて、体勢を崩してしまった。

 マリンの体がずり落ちていく。

 翔は茉琳が後ろにでも倒れて,後頭部を打たないように支えて,ひら座りにするのが精一杯だった。

 そして支えを失った人形のように茉琳は座り込んでしまう。彼女は,事件位巻き込まれて一酸化炭素中毒になり,治療は終わったものの,意識障害の後遺症が残ってしまった。前触れもなく意識がなくなってしまう。


   カハッ


 一瞬だけど体が痙攣して,茉琳は息を吹き返す。目の焦点が合い出すとキョロキョロと周りを見だす。そして翔を見つけて,彼をお仰ぎ見た。


「うち、また。ごめんな,ごめんなし。翔」


 そしてすぐに頭を伏せてしまった。何をか怖がるのだろうか。震え出した自分の肩を掻き抱く。何時また発作が再発するかわからない不安が体を震わせている。


 そんな茉琳の肩に手を置いて,


「こういう時のために側にいてあげているの。気にするななんて言えないけど,見守ってあげるから安心しな」

「か、翔,本当に? 本当に良いの?」


 茉琳は涙で目を滲ませて翔を見上げる。縋り付くような目でだ。


 彼は,返事のかわりに手をマリンに向けて差し出す。


「ほら,立って! ホストが遅刻しちゃダメでしょ。それとも,体調不良で止めちゃう?みんな,ガッカリするよ。どうするの?」

「それは,できないなり。ウチも楽しみにしていただしね。いくっちゃね」


 茉琳は翔の意思を汲んだのだろう。不安げな雰囲気を吹き飛ばして,翔の手を取り立ち上がる。


「_そうでなきゃね。茉琳様が廃るってものよ」

「ありがとね,翔」


 茉琳はぎごちなくも微笑んでいく。そうして彼女は再び翔の腕をとって,大事なのもののように抱える。


「いくなり」

「おう」


 2人は寄り添って,今夜の会場の居酒屋へ向かった。



 親孝行の逸話が店名となった居酒屋の近くまで来ると,翔たちが見知った人物がすでに待っていた。


「おそかぁ、あんたら待っとおーとぉよ」


 2人が”お誾さん“と呼ぶ女性である。いつものカットソーにスキニーパンツの出立に本日はベストを着て僅かばかりの御めかし姿になっている。


「ごめんなしねぇ。待たせたなしね」

「まっこと、いつまで待たせるっちゃねえ」


 と言いつつも、2人は笑っている。挨拶みないなものなんですね。


 そうこうしていると、前の道路にタクシーがウインカーを出して止まった。電動スライドドアが開いて、中から2人の女性が出てくる。


「あきホン! カオリン」


 茉琳が2人を見つけて、声に出す。その声に気づいて、 


「遅くなりまして申し訳ございません。本日は、御招きいただきありがとうございます」


 あきホンが丁寧にお辞儀をしながら挨拶を返してきた。


「全然なり、ウチらも,今来たところなしぃ」

「ウチはまっとぉーたよって」

「お誾さん、それは言わないなりよー」


 通りが陽気な和気藹々とした雰囲気へと変わっていく。


「あきホンも、もっと肩から力を抜いて、喋りも崩して良いなりよぉ」

「そうでしょうか。こういう席は初めてなので,どうして良いものやら」


 あきホンは手を頬に当て困惑している様子。


「いつも自分の部屋で、話すみたいにしてなり」


 すると横合いからカオリンが、


「この子、会ったばかりの人たちへは、いつもこんな話し方なんよ。いづれ慣れたら崩れるから待っててやって」


 あきホンを擁護してきた。


「わかったなり」

「ウチもええよぉ」

「ありがとうございます。以後宜しゅう。ところで居酒屋は初めてなものでして、なかなかの佇まいなのですね」


 茉琳とお誾さんは、顔を見合わせる。


「まっこと,初めてかね?」


あきホンは、恥ずかしくて顔を染めながら、


「はい」

「この子、本当に外へ出たことのない箱入り娘なの。外の世界を是非教えてやってください」


 再び、カオリンが訳ありなのを話してきた。


「そういうことなら、目眩く世界へと誘って差し上げるなしー。大船に乗ったつもりでついてくるなり」


 茉琳はあきホンの手を取り居酒屋の玄関へと連れ立って入っていく。


「茉琳、お手柔らかにね」


 翔は茉琳の背中へ声をかけた。


「俺は、ここまでだから、終わったら呼んでね。迎えにくるよ」


 と翔は踵を返して帰ろうとした。


「あんさん、もう帰ると? 同じに食べんのね?」


 お誾さんに声を掛けられても、翔は返事もしないで背中越しに手を振って,その場を去っていった。

 それを聞きつけた茉琳は慌てて、立ち帰り、やはり、彼女の手をとって玄関へと向かっていった。


「翔にも事情があるしー、そこいら辺は察してあげてなりな」


 そう、彼は女性恐怖症で過呼吸になってしまう。だから,今回はエスコートだけで茉琳についてきたのだった。


 そうして、お誾さんは茉琳に引きづられて、カオリンはその後について居酒屋の暖簾を潜っていくのであった。



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