第7話 グルの頭蓋骨
アルフレドの声は誰にも伝えることはできなかった。意識が落ちるのと同時に全身から力が抜け、両手両足がだらりと落ちる。
「あっ、モア! ここにいたの? アルフレドも……気絶しちゃったの? しょうがないなぁ。納屋でアルフレドの主人を見つけたよ。アルフレドはやり遂げたの! さぁ、私たちも頑張らなくちゃ! ここから使命が始まるんだから」
扉から入ってきた者は早朝に水場で出会ったマリアナ。すぐ後ろにはファーと呼ばれていた奇妙な仮面を被った男も一緒だ。マリアナの指示のもと、ファーは納屋へ、モアと呼ばれた巨体の女性はアルフレドを両腕に抱え寝室に向かう。マリアナは不健康そうな顔に満面の笑みを浮かべると首をカクカクと動かしながら、抱えられたアルフレドを見送った。
「楽しみだなぁ。楽しみだなぁ。これから何が起こるんだろぉぉぉ」
踵を軸にしてくるりと回ると、マリアナは愉快そうに納屋に向かった。
※※※
アルフレドの顔に陽が差しこむ。窓も僅かに開けてあるようで、この季節には珍しい心地よい風が頬を撫でる。この時期は床の冷えで目が覚めることが多い、アルフレドに憑依してからは今まで一番心地よい寝起きである。
「わ、私は」
意識がはっきりしてくると、ベッドから跳ね起き、窓の外に視線を移す。
「しまった! もう朝じゃないか!? いや、そこじゃない私は昨日の夜に巨体の女に――」
アルフレドは昨晩の事を思い出し血の気が一斉に引いてゆく。とりあえず状況を確認しようと、ベッドから足を降ろし、部屋のドアを見ると、思考が止まり体が硬直する。
「グ、グル! いえ、グル様」
部屋の角に見慣れた巨体。ピンと尖った耳に、鉤のある長い尻尾は床に向け力なく垂れ下がっている。アルフレドが石剣を突き刺した頭部には包帯が巻かれ、左目には黒い眼帯が巻かれている。祭典の当日にも関わらず神官服を着用せずに白いシャツに黒のスラックスを穿き直立不動である。
「アルフレド様おはようございます。お食事になさいますか?」
「はっ、はぁ?」
思考がついていかない。いや、これは現実なのか? 自分の想像を超える事態にアルフレドが硬直しているとトタトタと床を歩く音が聞こえ、ノックとともに扉の先から女の声がする。
「アルフレド起きたぁ?」
「はい。マリアナ様、体調もよさそうです」
アルフレドはグルの発言を受け自分の体を確認する。
(昨日、あれだけ殴られれば翌日はまともに動くことなどできないはずだ。傷が無い。い、いや、それよりマリアナと聞こえた。まさか昨日の――)
グルがドアを引き、室内に入ってきたのは、主張の激しいくまに愛くるしい表情を兼ね備えたマリアナ。後ろには奇妙な仮面をつけたファーと呼ばれた男に、昨日アルフレドを気絶に追い込んだ巨体の女が続く。
「おはようアルフレド! ファーは昨日会ったよね? で、昨晚熱い抱擁を交わしたのがモアだよ。昨日の約束通り、今日から私が全力でアルフレドをサポートするからよろしくね!」
「約束……?」
「手伝うって言ったじゃない。とりあえず下準備したから、祭典に向かってね! グル! アルフレドに司祭の服を用意して」
「マリアナ様、承知いたしました。」
「祭典? 下準備? っというか承知いたしましたって……。マリアナ! 私にわかるように説明しろ!」
「えっ? グルはアルフレドが【デモゴルゴの使者】という事実を伏せて、奴隷のように扱っていたのよ! そんなの許せる? グルには少し罰を与えたの。もう、これで従順な僕よ。そして、今日は祭典。この村の司祭のグルがアルフレドが【デモゴルゴの使者】であることを皆に周知させるの」
あまりにも唐突で突拍子のない言葉にアルフレドの頭が再びフリーズする。両手を一度顔に当てると、力強く顔を抑え、起きている現実を受けいれようとする。
「いやいや、周知って何だよ。私は集落を出て新しい人生を自由気ままに過ごすつもりだった。なのに、使者ってなんだよ! 周知? 私が!? 人間の私が魔族の宗教の使者?」
声を荒げるアルフレドを見て、マリアナは豆鉄砲をくらった鳩のような表情を浮かべている。アルフレドの言った言葉が心底理解できないようである。顎に手を置き、しばらく顔を傾けると何かを思い出したかのように目を大きく開く。
「そうか、そうか。私が言った言葉をまだ信じられないんだね! そうだよね。いきなりだもんね。じゃあ証拠を見せてあげるね」
グルを自分の前に膝まづかせると、腰に掛けた革のポーチに手をかける。中から取り出したのは一本の小さなメス。お付きのファーがグルの頭の包帯を外すと、そこには生々しい傷痕。よく見ると、細かい縫い目で傷痕は縫合されている。マリアナは器用に縫合部の糸にメスを入れ、瞬く間に抜糸を済ませると、両手でグルの頭に手を置き、アルフレドに頭を向ける。
「お、おい。まさか、嘘だろ。やめろ!」
何かが外れる音がし、グルの頭蓋骨がマリアナの手により開かれる。その先には真っすぐに分かれた右脳と左脳。それぞれの脳みそには縦横微塵に皺が刻まれ、その様子は佐伯寅之助時代に見た人間の解体図解そのものである。いや、人間の脳はもう少し桃色だっただろうか? インプの脳はやや黒ずんでおり所々に黒い靄のようなものが見える。
「この靄はね。魔族独特なの。魔力が脳内に留まるとこんな感じで靄のような状態で出現するんだよ~。でね、この前頭葉の部分で――」
いつの間に取り出したのかへらで前頭葉の一部を抑えようとする。金属のへらが前頭葉の一部を抑えると血管と思われる部分が圧迫され激しく脈打つ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。う、うぇぇぇぇぇぇ」
マリアナの突拍子もない行動と、願ってもない脳の説明に生理的限界を迎える。アルフレドはそのまま床に膝を着けると盛大に胃の内容物をぶちまけた。
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