第51話 始まり

女神教


  タチアナ国で最も多くの信者を抱える宗教、その起源は千年前に勇者を献身的に支えた女である。その女は魔王討伐に貢献したとして、後に神格化され女神と呼ばれるようになった。


 女神の名前はアプロディーテ。


 女神教はアプロディーテの教えを元に編纂され、布教されている。しかし、時の為政者により都合よく改竄され続け、その教えは一部の者にとって恐怖の対象となっていた。


 その最たるものが異教を信仰する者達であった。女神教の現教皇は、異教の者との融和を声高々に叫んでいるが、少し時をさかのぼれば、弾圧、迫害、そして宗教戦争という名の虐殺が行われていた。


 ――それは時勢が変わればまた異教徒弾圧が始めるという意味でもある。


 タチアナ王国、第三王位継承者のマセンシア・トゥ・タチアナは女神教の陰の部分に憂いを感じていた。


 そんな陰の部分を払拭すべく女神教の教会を訪問し、祈りを捧げるために巡礼地に足を運んでいた。巡礼も佳境に差し掛かり、マセンシアはタチアナ国の外れ、ピートモスの町をお忍びで訪ねていた。


「スペリジムの言う通り、町に特に異変は無いようですね。ほら、聖歌が聞こえてきますよ。あちらの教会から聞こえてくるようですね、素晴らしい音色です。どこの町で聞いても本当に聖歌は美しい」


「はっ。同行させているギルドの者を使い、町の安全は確認させています。教会に集まっている者達も敬虔な女神教であることを確認しております。しかし、この旅は公式のものではございません。お付きの者も最低限の人数しかおりませんし、万が一の事があってはなりません。くれぐれも、教会の集まりに乱入するような騒ぎは起さないで頂きたい」


 マセンシアは銀色の瞳で男を見ると、黄金色に輝く長い髪を掻き上げ、優しい笑みを向ける。シミ一つない肌は透けるような色白で、美しく整った顔立ちは仕草や言葉使いも相まってマセンシアが高貴な人物だとはっきりと分かる。


「もぉ。何回その話をするのですか? 私も反省し、以前のように興味本位で動くようなことはなくなったではないですか!」


 マセンシアが少女のように頬を膨らませ、控えめに抗議する。スペルジムは鼻にかけた小さな眼鏡を指で上げると、表情を変えずにその抗議を受け流す。そのまま、茶器に手をかけると真新しい執事服に皺ひとつ付けないであろう優雅な動きで、マセンシアに紅茶を差し出す。


「涼しい顔をしてまた無視するんですか? お父様に言いつけますよ」


 マセンシアの父と言えばタチアナ王国の王である。第三王位継承者とはいえ、娘が悪意をもって告げ口をすればスペルジムは首を斬られてもおかしくない。しかし、スペルジムは涼しい顔を崩さず、狭い額に汗をかくこともない。


「どうぞ」


 マセンシアの前には完璧な温度管理のもと注がれた紅茶が湯気を立てている。眉一つ動かさないスペルジムを見て、マセンシアは苦笑いを浮かべ、黙って紅茶のカップに手を添えた。


 ~~~


 使用人を残しスペルジムは別室へと移動する。部屋にはすでに三名の者がくつろいでおり、スペルジムが部屋に入ると一斉に視線を向ける。


「旦那、やはり南部で異教徒が布教活動をしているという噂は間違いないようですぜ」


 三名の代表と思われる者がスペルジムに報告をする。全身を薄手の動きやすい衣服で統一し、頭には頭巾が巻かれ、口元は布で覆われている。隠されていない部分は鋭い目付きが覗く目元だけである。


「ご苦労様ですコルカス。数日前にこの町の使用人のルド……ルフといいましたか? あの男がこちらに接触してきたときは、信用に値する人物かどうか悩みました。しかし、どうやら情報に間違いないようですね」


「へい。しかし、異教徒とはいえ南部の者はごく少数。悪さをしているわけじゃありませんし、特に気にすることではないのでは?」


 スペルジムは姫の前では決して見せることはないであろう険しい表情を浮かべる。


「南部にはかつての瑞穂の国の者達がいると聞きます。噂では紫紺我衆もいるとか――」


「紫紺我衆だって!」


 同じような衣服で身を包んだ男が声を上げると、座っていた椅子を倒すと直立し、驚きの表情を浮かべる。コルカスが身軽そうな長身の男であるのに対し、この男は同じような装いをしながら、顔や腕は素肌を晒しており、特に腕から二の腕までの筋肉は盛り上がりは、はち切れんばかりである。


「ビズ、静かにしないか。ここは酒場ではないんだぞ」


「ああ、すまねぇ。しかし、あの紫紺我衆だぜ。亡国最強の部隊。戦いに身を置くものなら一度は耳にする奴らだ」


「――私も、スペルジムの旦那の話に興味あるよ」


 シュトと呼ばれた小柄な女は床から立ち上がると三人の会話に加わる。後ろで一つにまとめた茶色い髪を揺らしながら気の強そうな目している。


「おっ! 金にしか興味の無いはずのシュトが珍しいじゃないか」


 シュトと呼ばれた女は目を細めて鋭くビズを睨みつける。


「確かに私は金が好き。だけど、別に金だけに興味があるわけではない。私が気になったのは南部の村で度々目撃されていた魔獣の話だ。やたらめたらに強いらしいけど、どうやらその魔物を異教の者が従えたって噂を聞いた」


「なんだ、守銭奴のシュトもビーストテイマーの血が騒ぐっていうのか?」


 ビズが面白おかしく茶々を入れると、シュトの後ろから二匹の魔物が姿を現す。小型の魔物は胴が長く、極端に短い手足である。四本の手足を素早く動かしながらシュトの首筋まで上り詰めると、目の前の男に対し血走った目を向け、黒い牙を出しながら低い唸り声で威嚇を始める。


「おいおい、仲間だろ。やめてくれよ」


「やめるか、やめないかはお前次第だ。お前の筋肉がいかに優れていようが、こいつらに噛まれれば一瞬で天国を見れるぞ」


「面白い、試してみ――」


「止めないか!」


 コルカスの厳しい口調で二人の警戒態勢が一瞬で解かれる。一見バラバラに見える三人組でもリーダーには一目置いているようだ。


「すみません旦那。この件は私達に任せてくれないですか? 異国の集団に異教の布教、そこに噂の魔獣が来たとなれば偶然で済ますには無理があります」


「ああ。お前たちに任せよう。しかし、くれぐれも姫に危害が及ばないようにしてください。そのような時がきたら貴方達の命は……」


「旦那分かっていますぜ。そんな恐ろしいことを口にしないでくだせぇ」


 コルカスはスペルジムに頭を下げると後ろの二人に目配せをし、そのまま部屋を後にする。ビズとシュトもスペルジムに軽く頭を下げるとその後に続いた。

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