第3話 グルの憂鬱
デモゴルゴとは私が住む集落――フヨッドで信仰されている神の名前である。信仰と言っても住人の信仰はすでに失われており、真の信者などはいない形骸化が進む形だけの信仰である。しかも、形骸化したデモゴルゴの教えは、唯一残された教祖の金の無心に利用されている。
私はそのデモゴルゴ教を食い物にする教祖の助手兼、身の回りの世話係をしているのだ。
ちなみに私の住む村は人間の村ではない。正確には人間の格好をしたインプという妖魔が支配している集落だ。人の生活に溶け込み『魔光の酒』というインプだけ作れる酒を特産品として外貨を得ている。利便が悪く、人が訪ねて来ることも滅多にない。私が今まで見たことある人間も、数キロ先離れたピートモスという町から、行商人が酒を買いに来たのを目撃しただけである。
どういう経緯で、以前のアルフレド=シュミットがこの村に住んでいたのかは分からないが、私が憑依する以前のアルフレドはこの村全体で雑用係、よく言えば小間使い、現実には奴隷のような存在であった。
しかし、佐伯寅之助がアルフレドに憑依して以降、グルが持つ経典の一節をふとしたきっかけで読み上げてしまい、それ以降はグル専用の奴隷のような生活を送るようになってしまった。
(それにしてもこのマリアナという女……)
辺境の地、しかも魔族の宗教をなぜ知っているのか? ひょっとして可愛らしい姿はみせかけだけでこの女もインプの仲間なのだろうか?
(悩んでていてもしょうがない。ここは洗いざらい話してマリアナの反応を見るしかないか)
マリアナは私が悩んでいる間もニタニタと様子を伺うばかりで、特に何も言ってこない。時間に迫られ、意を決して自分がしようとしていることをマリアナに伝えることにした。
「私の名前は佐伯寅之助。こことは違う別の世界で生活していた。何がきっかけかは分からないが、気付いた時にはこのアルフレド=シュミットという人物になっていた。寅之助の記憶は朧気ではあるがまだ存在する。しかし、この話は長くなる。ここでは話すことは控える。とりあえず、二年の歳月をこの肉体で過ごし、人間の尊厳などない生活を強いられてきた。今日、私は主人を殺し、自由を勝ち取る。そのために時間がないんだ。できれば邪魔をしないでくれ」
「ふーん。それでアルフレドは主人を殺した後は、佐伯寅之助として生活をするの? アルフレド=シュミットとして新しい生を過ごすの?」
「私に特に秀でた能力はない。しかし、思い切りの良さと、物事を割り切ることは得意だ。それにデモゴルゴ教には……いや、それはいい。
とにかく、何の因果か分からないが、私はこの青年になってしまった。元に戻ることもできないのであればアルフレド=シュミットとしてやれることをやりたいようにする。まぁこんな肉体だ。グルを殺した後も長くは生きられないだろうがな」
私はそこら中擦り切れた肌、枯れ枝のような腕、引きずる足をマリアナに見せながら自嘲気味に笑みを浮かべる。そんな私をマリアナは目をそらすことなく凝視すると、こちらの目を覗きながら表情を変えずにただ一言呟いた。
「手伝う」
「はっ?」
「えっ? 聞こえなかった? それ、手伝うよ?」
確かに出会ったときに、手伝うとかなんとか言っていたが正気だろうか? 何を手伝うというのか?
「グルを殺すのを手伝ってくれるというのか?」
「それはアルフレドが最初に越えなくてはならない試練。私が殺害の手伝いをするのはデモゴルゴ様も望まないはず。だから私はその後にアルフレドが言った思いを実現するために手伝うよ」
「その後に言った言葉?」
「やれることをやりたいようにするって言ったでしょ」
「ああ、確かに。しかし、何のために? マリアナに何のメリットがあるんだ?」
「メリット? おかしなこと言うんだね。私が手伝いたいって言ってるんだから、それ以外の何ものでもないでしょ?」
「……そうだな」
マリアナの考えていることは正直理解できない。しかし、グルを殺すという目的を邪魔されないということが分かりとりあえず安心する。事が済み全てが終わった後に合流するというマリアナを残し、俺は水汲みの桶を持つとマリアナとファーに踵を返し、来た道を帰り始めた。
※※※
「遅い」
グルはベッドから降りようとせずに腰を掛けたままアルフレッドを待っていた。いつもより帰りが遅いアルフレドに対し、怒りが抑えられないようだ。
「遅い!!」
怒りが限界を超えたようだ。憑依している人間の身体が一部元に戻ってしまっている。黒ずんだ体にピンと細長く尖った耳。耳は太い血管が脈打ち、鉤のある長い尻尾を不機嫌そうに左右に揺らす。
勇者と魔王の戦い以降、人間の体に憑依しなくては生きられない体となったインプだが、グルは生命力が強いのか人間の体にインプの特徴が色濃く出ている。
(まさか逃げたのか?)
アルフレドがここに来て十五年。言葉を知らないアルフレドを共有物として村で飼っていた。しかし、二年ほど前にアルフレドが急に言葉をしゃべり始めた。村の他の者は呂律の回らない喋り方を笑ったり、言葉が分かるようになり便利になると言っていたが、村で唯一、グルにだけには笑える話ではなかったのだ。
アルフレドが最初に口にした言葉は『邪神のみを信じなくてはならない』である。これこそ、デモゴルゴ教第一節なのだ。グルは聞き間違いと信じたかった。しかし、インプの中で一番耳が利くグルである、自分の聞いた言葉を否定するわけにはいかなかった。
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