第43話 邂逅

 ヴァシジの胸の中に溢れ出るのは、憎悪、悲嘆、驚嘆。そして激しい怒りである。祝詞から伝わる言葉を理解はできない。しかし、アルフレドの発する言葉はイメージとなってヴァシジの心へと直接伝わってくる。


 初めての意志伝達手段に戸惑いながらもそのイメージは明確であり、鮮明である。それ故にヴァシジの感情はかき回され、爆発し、理性を失っていた。


(ヒテイスルナ! ココロニハイッテクルナ!!)


 アルフレドの祝詞は瑞穂の国は終わり、神教の終わりを告げていた。その上で神教の想いを引き継いだ新たな神とデモゴルゴの教えに従えと言う。


 傍若無人以外の何物でもなかった。


 耳障りな祝詞を真正面から否定するべく、ヴァシジは森を駆け抜けアルフレドの元へと向かう。


(――!)


 ヴァシジの視界にかつての紫紺我衆の姿が目に写る。しかもその両手には刀が握られ、こちらを従わせようとする意志を感じる。ヴァシジは自身の加護の力を使い、侍の攻撃を躱すとその先にいる悪意に向けてさらにスピードを上げる。


(オマエタチノホコリトハ、ソノテイドノモノダッタカ!)


 ヴァシジは声にならない声をあげるとその剛腕を大きく振り上げた。護衛の一人が奇妙な術を使いヴァシジの全身を拘束する。しかし、そのようなものに屈っしはしない。この激情のこもった拳を受け止められる者などいないのだ。


 ヴァシジの右腕から奇妙な音がすると拘束されていた鉤紐がはち切れて目の前の異教の主にその腕が届いた。


(死――)


 ヴァシジの剛腕が奇妙な大男を叩きつぶす瞬間、その胸元から目も眩むような閃光がはしる。ヴァシジは瞬きすることなく一瞬で視界を奪われ、紅に輝く光がヴァシジの全身を突き抜ける。


(コレ……ハ?)


 ヴァシジは間もなくして全身の自由を奪われると、その意識だけが明確になってゆく。周囲は眩い光から徐々に見慣れた景色へと変わってゆく。


 背の高い樹々、遥か高みからの膨大な水量を誇る滝壺。かつての狩猟場としていた水辺にいるのは唯一の血を分けた母親だ。


 ヴァシジは母に手を伸ばし駆けだす。しかし、母に近づくことはできない。かつての懐かしい景色と共に母の姿は闇の中へと消えてゆく。


(――!)


 全身に駆け抜ける悪寒と共に再びヴァシジが目を開ける。その先には辺り一面を金色に染めた大地が広がっている。収穫期寸前の稲穂は首を垂れ、誰しもが豊作であると一目瞭然だ。ヴァシジは金色の大地を一望できる小高い丘へと座っている。


 傍らには一人の女性。蜜柑色に染まった美しい髪を後ろで束ね、風が吹くと束ねられた髪が風になびく。


「――ッ!」


 女はヴァシジに微笑みを向ける。この女が何ものか分からない。何を言っているかも分からない。しかし、この人物の目を細める姿はヴァシジを心の底から安心させてくれる。女の腕がヴァシジの太い腕に触れる。ヴァシジは思い出す、この女性は炎に焼かれて――


 ヴァシジが思わず目を瞑ると再び場面が変わる。目の前に天井よりいくつにもつながれた鎖。不揃いの鎖はその内の数本が不気味に揺れている。


 とてつもない広い空間のようである。近くで焚かれる二つの篝火がヴァシジの周囲を照らすが、その照らす先に終わりは見えない。


「忘れたのか?」


 ヴァシジの耳に声が響く、このような開けた空間では、このようにくぐもった声は聞こえるはずがない。しかし、ヴァシジの頭に直接響く声は明確にその意志をヴァシジへと伝えてくる。


「二人だ……忘れたのか?」


 忘れるはずがない。母と恩人。奪われた命の瞬間を自分は目の前で見ている。


「森で隠れて何をやっているのだ? 行動を起こさないのか?」


 声を荒げるようなことは無いが、声の主ははっきりとヴァシジを非難している。自分の心に土足で入ってくる何者かに怒りが湧き上がる。拳に力を込め相手が現れた瞬間に剛腕を叩きつけようといつでも動けるよう準備する。


(きっかけ? 森で不快な儀式を行う、異教の教祖か!?)


 ヴァシジは自分の置かれている状況を思い出す。森で降る雨。神への祈り。そんな神聖な時間を汚す異教の教祖。


 かつての同朋を懐柔し、祈りを捧げる神を歪め、それでいて同じ道を歩むと妄言を吐く者と共に歩めるか! ヴァシジは全てを振り払うように咆哮を上げると、改めて自分の立ち位置をハッキリとさせる。


「愚か者。お前が逆らおうとする者がどのような者か今一度理解するが良い」


 ――次の瞬間。ヴァシジの全身に走る鈍い痛み。頭の先から尻の先までに体内にマグマが駆け抜けるような痛みだ。


 四肢の自由は奪われ全身が痺れている。指先に僅かに力を入れるだけで全身の神経に痛みが伝わり気を失いかける。今までに感じたことない痛み、意志で乗り越えられるような痛みではない。


 何とか視線だけを漂わせてみれば、身体にはモズの早贄のように鉄柱が貫通し、自身の身体はオブジェのように固定されている。さらには無数の杭が腿、腹、胸、首と挿され、ピン止めされている。


 自分が何故生きているのか理解ができない。無限に続く痛みは本能に訴えかけてくる痛みだ。既に先ほどまでの気概は粉砕され、ヴァシジは屈したことのない膝を初めてつくことになる。


 ――こ、殺し


 ヴァシジは何者か分からない者に懇願する。解放して欲しい、この苦しみから救って欲しい。


 本能に近いヴァシジの感情が動くと、今まで他の感情に囚われて見えていなかった心の原風景が再びくっきりと浮かび上がってくる。二人を失った時に感じた感情。矜持や情け、恩義などではない。あの時に感じていたのは


 ――怒りだ。


「そうだ。あの時の怒りを忘れるな。そしてこの者を利用し、あの時感じた怒りをぶつけるのだ。もうすぐ待ち人にも出会えるだろう。それまではこの者を支えるのだ」


 ヴァシジの身体から痛みが消え、再び切り替わる場面。最初に見た無数の鎖が吊るされる薄気味悪い部屋。


 しかし、先ほどの目の前にいなかった何者かが今度ははっきりと視界に入る。無数の鎖で繋がれた者がヴァシジを見降ろしている、しかし、ヴァシジの目に入ってくるのは腕の先と足のみである。


 ひび割れた皮膚に無数の傷。腕からは青い血が滴り落ちている。上半身より上は光の加減でヴァシジより確認できない。逆らうことのできない圧力は感じるがその先がどのような姿かは想像もつかない。しかし、ヴァシジは確信を抱く。


 この者こそ【神】なのだと。

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