邪神の教え布教します ~人族、魔族、亜人、いかなる種族でも構いません。狂信、暴力、強欲、加虐性淫乱 etc、条件付きですが何者も受け入れます~ 

陽乃唯正

第一章 布教開始

第1話 経典との出会い


――この役立たず!

――ゴミ、カス、蛆虫!

――誰がお前を!


 二年。訳も分からない世界に大の大人が転移させられ、奴隷のような扱いを受けた期間である。二年の間に受けた暴力は彼の心身を蝕み、体には日常の生活に影響が出るほどの傷を負った。


 暴力と共に吐かれた罵詈雑言はこの世のあらゆる負の言葉が込められており、彼の精神は通常であれば崩壊してもおかしくない状態であった。


 しかし、過酷な生活を強いられ、誰かに頼る事もできない中で人間を止めずに済んだのは一つの本に出会ったからである。


【デモゴルゴ経典】


 今は亡き邪神族が信仰したデモゴルゴ教。デモゴルゴの教えを伝える古の経典である。


 〜〜〜


 邪神族がこの世を去ってから数千年。デモゴルゴの教えは神族、魔族、人族全ての知性ある存在から忘れられようとしている。通常であればこのままこの世から忘れ去られる存在だったはずであった……。


 しかし、因果は巡り、その古の経典は彼の元へやってくる。


 異世界に迷い込み、過酷な環境でこの経典を読み続ける事だけが彼の心の支えだったのだ。

 しかし、過酷な環境も今日この日で大きく転機を迎える。


 朝日が昇り、壁の隙間から僅かに陽が差し込む。彼は固い床から起き上がり、薄い毛布を放り投げると、まだ誰もいない外に向かって歩き始める。


「ハックション!」


 北部より吹く風は今日も冷たい。男の名前はアルフレド=シュミット。タチアナ王国北部のフヨッドという集落で奴隷のような生活をしている。年中、風が吹いている村で、綿の上着だけで過ごすにはやや厳しい村だ。


 風でバラバラとなびく髪をかき上げると、キッとキューティクルが破壊され、こげ茶の髪の毛がちぎれる。散髪も錆びた鉈で適当に切っているだけだ、当然と言えば当然である。


 栄養状態もあまり良いとは言えない。痩せこけ、ひょろりと長い手足、痣だらけの身体は上背こそあるが、枯れ木のように脆そうである。


 最近は目の回りが少し窪んできており、また一つ、健康の不安要素が増えている。年齢が若く、何とか生き延びているが、この先、同様の生活は続けるのは難しいだろ。


 痛む足を引きずりながら、沼地近くの水辺に向かっているのは自分の生活水を汲みに向っているわけではない。彼の主人の為に水を運んでいるのだ。雇い主の名前はグル。言いつけを守らなければ、容赦なく殴る糞野郎である。


 寒さを耐えている張り詰めた肌は、傷を負うと鞭で打たれたような痛みを伴う。今日もグルの機嫌を損なわないようにしなくてはならない。アルフレドは以前殴られ、頬がさけたことを思い出し身震いをすると、水辺へとノロノロと駆け降りる。


 負け犬のような生活を続け、はや二年。しかし、今日でそんな生活も終わる。今日は彼にとって特別な日になるのだ。準備は万端、後はグルに事を気取られないよういつもの生活を演じるだけである。


「んっ?」


 いつもと違う光景に戸惑いながら、運悪く見つけてしまったものへゆっくりと近づく。昨晩の寒さは特に厳しく、朝方はよく冷え込んだ。辺りにはうっすらと霜柱も立っている。まだ外は暗く、空の薄紫色の明かりを頼りにアルフレドは足を進める。


「……人か?」


 逃亡奴隷であろうか? 時々、離れた村から農奴が逃げ出してくることはある。しかし、フヨッドにたどり着くころには飢えと寒さにより大体が死に絶えている。倒れている者の近くに立つと、草むらに寝ている者が女だと気づく。


「おい!」


 反応はない。今度は女の肩口を軽く押しながらもう一度ゆすってみる。


「おいっ! 生きてるか?」


「うっ。うーん? ここは? そうか、着いたんだっけ」


 女は手を上げ、まるで温かいベッドから起き上がったかのような仕草で伸びをし、ゆっくりと地面より起き上がる。


(着いた? 極寒のフヨッドに野宿をしに来たのか?)


 女は服についた枯草を手で払うと、洋服の皺を軽く伸ばすような仕草を見せる。紫紺のボブの髪に、垂れ下がった目。全体的に丸い顔のパーツは愛くるしさを誘うが、両目に深く刻まれているクマが存在感をはなっている。女は薄手のカーディガンにロングスカート。フードに何かの獣耳をつけた白衣を身に着けている。


 何事もなかったかのように起き上がった女は、戸惑う私の顔を見ると、首を傾げ、そのまま下から私の事を覗き込んだ。


「君、名前は?」


「な、名前? アルフレド=シュミットだ。お前は?」


「アルフレド? ふーん。そうなんだ。でも、私が知りたいのはもう一つの名前。あなたもう一つ名前があるでしょ?」


「――ッ!」


 私の驚いた顔を見ると女は満足そうな表情を浮かべる。まさに、してやったりという表情である。女は再び顔を傾けると、驚き戸惑っている私のことを覗き込んだ。

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