エピソード12 河北という女
恐る恐る、しかし慎重に美宇は、対象物とも言える「彼女」を観察した後。
おもむろに翼に告げた。
「いいか。起こすぞ」
と。
コクリと頷く翼。
美宇が身長に、彼女の体を揺り動かす。
しかし、相手は起きる気配がない。仕方がないので、少し強めに揺すりながらも、
「あの。すみません」
耳元で声をかける。
「うーん」
寝言のような声が聞こえてきた。
何とも可愛らしい、アニメ声のような甲高い声だったが。
次の瞬間。
「うわっ! ビックリした!」
対象物が目を覚ました瞬間、跳び起きていた。
逆に、美宇の方も驚いて後ずさってしまう。
二人が目を合わせ、互いを認識すると。
「すみません」
と言う、美宇に対し、彼女は、
「ああ、よかった。人だったんだ。てっきりヒグマかと思って焦ったわ。っていうか、ヒグマだったら死んでるか」
などと、口走りながら彼女は、ズレた眼鏡を直し、零れたよだれを袖で拭いて体を起こした。
「あの……」
言いかけた翼を制したのは、彼女の方だった。
見ると活発そうなところが、どこか翼に似ている雰囲気が感じられるが、翼よりは、まだ冷静なようにも見える。
「ああ。私? 私は河北。北海道大学で助教授をしているの。動物学者ね」
聞いてもいないのに、自己紹介されていた。
一方、美宇は翼も含めて、今までの経緯を軽く説明していた。
すると、さすがに相手は驚いていた。
「この非常時に北海道をわざわざ旅してたの? ご苦労なことだね」
「いや、それはあなたもでしょう。そもそもこの非常時にこんなところで何やってるんですか?」
美宇のもっともな質問に、彼女は胸を張って答えた。
「何って、研究に決まってるじゃない」
「研究ですか?」
「ええ。この北海道は、ただでさえ動物の宝庫。それが、この崩壊でさらに野生動物の動きが活発になった。これは研究者としては、研究冥利に尽きるのよ。このチャンスを逃さない手はない!」
河北と呼ばれる女は、拳を握って力説していたが、美宇は内心、
(変わってる。いや、研究者なんて大体、変わってるか)
と思っていた。
「あの」
ここで、今まで黙っていた翼が近づいてきた。
彼女は、どうやら聞きたいことがあるらしい。と、美宇は咄嗟に悟った。
「何かしら?」
「北海道に人がいなくなった理由、わかりますか?」
ある意味、美宇でも予想がついた質問だったし、彼女も知りたかった。だが、
「知らないわ」
河北は素っ気なかった。
「いや、知らないって……」
突っ込みそうになる美宇に代って、彼女自身が続けた。
「私はずっと研究してたからね。いわゆるフィールドワークって奴。何日もキャンプして、現地で動物を追っていた。そしたら、いつの間にか人がいなくなってたの」
「……」
彼女たちは無言になっていた。
翼はこう思っていた。
(この人、真面目なんだなあ)
と。
だが、美宇は逆のことを考えた。
(この人、世間のことに関心がなさすぎる)
と。
つまり、言い換えると、「クソ真面目で、周りのことが見えない」という、研究者にありがちな性格なのだろう。一つのことに集中すると、周りが全く見えない人種が、研究者には多い。恐らく世間のニュースにも全く関心がないのだろう。自分の研究以外には恐ろしく鈍感な人でもある。
どのみち、これでは頼りにならない。
だが、人と出逢ったことで、多少なりとも「希望の光」が見えてきたかもしれない、と美宇は思うのだった。
そこで、尋ねていた。
「自動食糧生産工場がどこにあるか、ご存じないですか?」
「自動食糧生産工場? ああ、なんか聞いたことあるなあ。確か稚内か網走だったと思う」
「いやいや、稚内か網走って、全然違うじゃないですか」
美宇が思わず突っ込んだ通り、稚内は北海道最北の地で、ここから北に約240~250キロ。一方で網走は東に約220キロ程度。
北海道という巨大な大地は、街と街の間が遠いのだ。
「ごめんね。私、最近ほとんどこの辺で研究してたから、他の場所は疎くて」
照れ笑いを浮かべる彼女を見ていると、とても非難する気にもなれなかったので、美宇は、「わかりました」と言ったが。
「でも、そろそろフィールドワークも飽きてきたなあ。一旦、旭川に戻るかな」
彼女がおもむろに呟いた。
「旭川に何かあるんですか?」
「うん。私の寝床」
「寝床?」
奇妙な言い方に、美宇は反応して、突っ込んで聞いてみると。
どうやら彼女、河北は普段はフィールドワークとして、キャンプしながら道内各地を走っているらしいが、旭川に拠点を置いていて、キャンプ以外、つまりフィールドワークをまとめる時などは、そこのホテルを寝床に利用しているらしい。
しかし、そもそもホテルを寝床にしているなら、何故、北海道の異変に気付かなかったのか、と思い、そのことを美宇が尋ねると。
「いや、だって。ちょうどフィールドワークでしばらくずっと、外に出てたから。久々に戻ったら、街から人がいなくなってた」
という答えだった。
良くも悪くも、この人は、のめり込みすぎて、周りが見えない、というか見ようともしない人なのだろう。
ニュースすら見ないのか、それとも彼女たちと同じように記憶を操作されているのか、それすらもわからなかったが。
ただ、旭川に戻る「足」については、美宇は予想がついていた。
「あのジムニーはあなたの物ですね?」
「そう。あれは旭川のディーラーからかっぱらってきたの」
美宇たちも人のことは言えないが、すでに無人の無法地帯と化したこの北海道で、彼女もまた勝手に車をパクっていたのだ。
だからこそあの真新しさなのだろう。新車に近いようにも見えたからだ。
ともかく、彼女たちもひとまず、この河北に従って、旭川に向かうことになった。
彼女のホテルは、旭川中心部からは少し外れた
彼女のジムニーに従って、翼と美宇もバイクで旭川に向かうことになった。
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