エピソード22 流氷と網走

 エサヌカ線を抜け、さらに海沿いを南下する。


 国道238号、ついで国道239号を南下することになるが、左手にはずっと「海」が見えていた。それも2月の真冬の北海道の海だ。


 白く輝いていた。

「ねえ、美宇」

「なんだ?」


「海が真っ白で、なんか固まってるように見えるんだけど」

「そりゃ流氷だからな」


「流氷? あれがそうなの?」

「ああ」

 北海道出身者ではない翼にもわかるように、美宇は説明を加えた。


 流氷とは、元々、北海道よりはるか北にあるオホーツク海の北方、北極圏からやって来るものだ。


 通常、2月上旬から見られることが多い流氷。

 これは、オホーツク海北岸付近で寒風により海水が凍っては流されを繰り返し、東樺太からふと海流に乗って北海道へ南下してくるという。オホーツク海は北半球における流氷の南限でもある。


 つまり、日本においては、オホーツク海は、「北にある、気候が厳しい大地」というイメージが強いが、実際には緯度で言えば、北海道は世界的にはそれほど高くなく、オホーツク海沿岸などの北海道周辺の海域は、世界で最も低緯度の流氷が見られる場所なのだ。


「ふーん。初めて見たけど、真っ白なんだね」

「まあ、凍ってるからな」


「じゃあ、乗ってもいい?」

「やめとけ。死ぬぞ」


「なんで?」

「プロでもない奴が、不用意に凍った流氷の上に立つのはオススメしない。いつ崩れて海に転落するとも限らないからな。落ちたら、マイナス何十度という海水だ。低体温症で死ぬ」

 死、という言葉を聞いた翼は、慌てて、


「じゃ、じゃあやめとくよ」

 とだけ言っていたが、途中、紋別辺りでバイクを停めて、デジカメで写真を撮り始めた。


 冬の北海道は長い。まだあと数か月は雪と氷に閉ざされる。


 そんな中、彼女たちは道中、壁と天井がある建物の中にテントを張ったりしながら、徐々に南下。


 途中、外海とつながる紋別港に寄るが、もちろん人などいなかったし、この流氷では出航すらできないだろう。


 サロマ湖を見ながら、網走あばしりに入る。

 極寒の北の僻地にある、網走刑務所で有名な、ここ網走。


 2人は、同じように網走港に行き、人がいないことを確認した後、とりあえずその網走刑務所、正確には博物館網走監獄へと向かったのだが。


 網走の歴史は、刑務所と共にある。1881年(明治14年)に「監獄則」の改正を行って徒刑、流刑、懲役刑12年以上の者を拘禁する集治監しゅうちかんを北海道に設置し、囚人を労働力として使役させて北海道の防衛と開拓を進める政策を執ったのが始まりとされる。また、刑を終えた後は北海道に住み着いてくれれば良いという考えもあったらしい。


 1890年(明治23年)、中央道路の開削工事を行うため、釧路集治監から網走に囚徒を大移動させて、釧路集治監網走分監(後に網走監獄、網走刑務所と改称)を開設。発足時の囚人数は1392人でその3割以上が無期懲役であり、ほかの囚人も刑期12年以上の重罪人だった。

 中央道路工事は、1891年(明治24年)のわずか1年間で、網走から北見峠まで約160kmが開通しており、完成した時には226kmが開通した。過酷な労働条件による怪我や栄養失調が続出し、死者は200人以上となったという。しかも、民間人や外国人などによる、いわゆる「タコ部屋労働」は大正、昭和になっても続いたという。


 その後、現在は収容分類級B(再犯者・暴力団構成員で執行刑期10年以下)の受刑者の短期収容を目的とする刑事施設となった。


 そこで2人は意外な物を見ることになる。


 博物館網走監獄は、旧網走刑務所を改装して博物館化したものだが、「五翼放射状平屋舎房」と呼ばれる、中央から5本の道が伸びる、刑務所の監獄(牢屋)が並ぶその廊下。そこには、

「しょ、食糧だ……」

「やった! メシだ、メシだ!」

 何と目の前には、ベルトコンベアーによって運ばれる無数の「食糧」があった。


 それは、自動生産によって、製造されている「おにぎり」や「食パン」が主体の食糧であり、場所によっては、「弁当」のような物も作られていた。


 喜び勇んで、それを手にした彼女たちだったが。


―ピィーーッ!―


 刹那、冷たい空気を破るように、笛の音が鳴った。


 振り返ると、そこには厳めしい格好、表情の軍人風の男が立っていた。


 年の頃は、40代くらい。深い皺を持つ、年齢より年上に見える男で、軍服のようなカーキ色の上下の服を着て、頭には警帽のような帽子をかぶり、手には警棒が握られていた。笛は男が首からぶら下げている紐についており、今しがた男が笛を吹いたのだった。


「貴様ら、何者だ?」


 問われて、慌てて食糧を落とす翼に対し、美宇が代わりに答えていた。


「申し訳ありません。怪しい者ではないので、事情を説明させて下さい」

 こうして、網走刑務所で、彼女たちは、三度みたび、人と出逢った。

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