シーズン2 秋

エピソード11 神威古潭

 札幌から旭川までは、北海道という大きな大地の距離上では「近い」部類に入る。


 札幌からは、高速道路か国道12号を使い、ひたすら真っ直ぐ進むこと、135キロ。

 時間にして、2時間程度で着く。


 途中、江別、岩見沢、美唄びばい奈井江ないえ砂川すながわ滝川たきかわ深川ふかがわなどの街を通過するが、いずれも街自体が「死んで」おり、人の気配は全くなかった。


 代わりにいたのは、「動物」たちだった。


 人の手が入らなくなった土地には、野生の動物たちが「帰って」くる。つまり、人によって、避けられていた土地が、動物たちの物に帰ったのだ。


 野生のキタキツネ、熊、鹿、エゾリスなど。北海道にはかつて多くの野生動物が繁殖していた。


 かつて、この地に多く住んでいたアイヌたちは、この動物を大事にし、動物と共に生きてきたという歴史がある。


 道中、バイクを運転しながら、翼が何気なく呟いていた。

「しかし、北海道って、変わった地名が多いよね。なんとか別とか、なんとか内という地名が多い気がする」

 それを聞いて、すぐに気づいたのは、北海道出身の美宇だった。


「ああ。それは、元々アイヌ語だからだ」

「アイヌ語?」


「そうだ。〇〇別、〇○内は、共に『川』とか『沢』を意味するアイヌ語だ」

「そうなんだ。詳しいね」


「北海道出身なら、みんな知ってる」

「ふーん」


 旅は続く。

 やがて、道路標識に見えてくるのは、神居カムイ古潭コタンという地名。


 翼が不意にバイクを停めた。

「どうした? トラブルか?」

 美宇が驚いて尋ねるが、当の本人は、何事もなかったかのように爽やかな笑顔を見せ、


「カムイコタン? なんか面白そう。行ってみよう」

 と言い出した。


 呆れて溜め息を突く美宇が、

「はあ。まあ、いいけど。時間もあるし」

 腕時計を見ると、時刻は昼時の13時頃。


 この腕時計は、彼女が札幌のスーパーでたまたま見つけて、気に入ってつけている。デジタル表記でなく、アナログな針の時計だが、電源自体が死んでいるこの世界では、割と貴重で、かつ「使える」ものだったからだ。


 もっとも、この時刻自体が合っているかどうかを、正確に確かめる手段すら、この世界では消えていたが。


 早速向かうと。


 そこは、中央に大きな川が流れ、その上に吊橋がかかっているだけの地形だった。


 奇妙なことに、駐車場には真新しい、スズキのジムニーが置かれてあるのが、美宇は少しだけ気になっていた。


 そのそばに案内板があった。


「神威古潭。なになに」

 翼が読んでいく。同時に美宇も字面に目を走らせる。


 それによると、この地は、元々交通の難所で、昔は船でしか通れなかったという。そんな激流のこの地を通る時、あらゆる物に「神」が宿ると信じていたアイヌ民族は、神(カムイ)に祈りを捧げてここを通ったという。

 一説には、このカムイは、通行人を苦しめる「ニッネ・カムイ(魔神)」だと言われている。


「へえ。魔神ねえ。面白そう」

 などと呑気な声を上げ、翼はバイクを降りて、走ってえ吊橋に向かった。仕方がないので、美宇も後を追う。


 吊橋の下を流れるのは、北海道を代表する川、石狩川だ。

 その河口は、石狩湾新港に近いから、相当な距離がある、上流に当たる。


 そして、その橋を越えた先には、古ぼけた蒸気機関車と、駅舎があった。


 その駅舎に入ろうとして、翼は足を止めた。

 美宇が追い付いてきて、彼女の肩を軽く叩く。異変に気付いたのだ。


「どうした、翼?」

「……誰かいる」

 いつもは闊達で明るい翼が、珍しく真剣な表情をしていたから、相棒の彼女はすぐに気づいた。


 そして、この旅で初めて本気で「驚いた」と言っていい。

 何しろ、この「死んだ」世界と言える、北海道で、自分たち以外の「人」に出逢うのは、初めてだったからだ。


 美宇の中にも躊躇いの気持ちが湧き上がるが、それ以上に、「好奇心」が勝った。

 彼女は、翼の前に出て、意を決して慎重に、ゆっくりと扉を開けた。


 その木造の古い駅舎の中は、ちょっとした休憩室のようになっており、木造の長い椅子とテーブルが置かれてあった。


 そして、その長椅子に人がいた。

 いや、正確には横たわっていた。


「し、死んでるの?」

 翼が、美宇の背中に隠れるようにして、恐る恐る聞いていた。普段は、快活で、猪突猛進気味の彼女だが、実は臆病なところもあることを、美宇はわかってきていたから、慎重に近づきつつ、様子を伺う。


 だが、懸念した事態ではないことに、すぐに気づいた。息の音が聞こえてきたからだ。

「いや、寝てるだけだ」

 そう。その人は、寝ていた。


 身長150~155センチくらい。年齢は30代くらいだろうか。よれよれのシャツを着て、カーディガンのような物を羽織り、下は動きやすいジーンズを履いていた。眼鏡をかけていたが、その眼鏡がずり落ちそうになっており、だらしなく開けた口からはよだれが零れ、腕はだらりと下がっていた。セミロングの髪の、そこそこ綺麗な女性だった。


 彼女たちは、「人」と出逢った。

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