エピソード25 知床と過去

 2月下旬。


 彼女たちは、斜里町にある「天に続く道」から一路、知床へと向かっていた。


 知床の名前の由来は、アイヌ語の「シㇼ・エトㇰ」(地の果て)と言われており、日本国内でも最も秘境感が残るこの地は、当然ながら冬季は閉鎖される。


 真冬にはマイナス20度、30度は当たり前で、雪と氷に閉ざされる閉鎖的な大地だ。

 そもそもこの知床半島には、「知床横断道路」と呼ばれる国道334号が走っているが、それ以外に主要な道が何もない。


 まさに秘境と呼べる土地で、広大な森林には、ヒグマはもちろん、様々な動植物が生息する、まさに「動物天国」でもある。


 その知床の玄関口にウトロと呼ばれる小さな漁港がある。もちろん、外海とつながるそこにも人の気配は微塵もなかったが、ちょうど道の駅があり、「知床観光センター」という施設が建っている。


 彼女たちは、その道の駅に着いて、休憩がてらその知床観光センターに入った。


 中は、当然無人で、電気も通っていなかった。


 だが、

(なんだ、この映像は……)

 頭の中に直接、映像が入って来るように美宇は感じていた。


 そして頭痛を覚える。

 頭を抑えてうずくまる美宇に、翼は、

「どうしたの、美宇。大丈夫?」

 心配そうに声をかけるが、彼女はその映像を注視することに力を注いでいた。


 見えてきたのは、かつての知床だった。


 大勢の観光客が船に乗って、知床半島を巡る遊覧ツアーに参加している。ある者は喜び、ある者はヒグマの姿に驚き、しかしながら全員が楽しそうだった。

 いつかはわからないが、スマホなどを持っているから、そう遠い昔ではないらしい。


(これは、かつての知床の記憶か。何故、私だけ)

 頭痛を抱えながら、隣の翼を見るが、彼女には何の異変もないようだった。


(よくわからんが、何故私にだけ映像が見える)

 やがて映像は薄っすらと消えて行った。


「翼」

「なに? ちょっと休む?」


「お前には見えてなかったのか?」

「何が?」


「いや、いい」

 促されるまま、美宇は施設内にあるベンチに座って、背もたれに体を預ける。


 正直言って、名状しがたい不気味な現象で、記憶を奪われた上に、体というか脳を操作されたような感覚だった。


 そして、何故、美宇にだけ見えるのか、また何故過去の記憶が見えるのか、全てが謎だった。


(少なくともこの知床は、かつては観光で栄えていた、か)

 彼女の記憶では、過去にここ知床に来たことはなかった。


 北海道はとてつもなく広いので、同じ北海道でも、居住地以外はほとんど行ったことがない人間が多数存在する。


 つまり、己の居住地で一般生活が済んでしまえば、余程の旅行好き以外は、わざわざ知床まで来ないし、札幌や函館から見れば、それこそ知床は「地の果て」で、むしろ青森県の方が近いくらいなのだ。


 そして、そこから離れて、バイクに向かおうとした美宇は、窓の外に人影を見て、戦慄した。


(銃を持ってる。ヤバい)

 咄嗟にベンチから滑るようにしゃがみ、翼に手を伸ばし、強引に彼女もしゃがませた。


「なになに」

 驚く彼女だが、


「いいから黙って伏せろ」

 美宇に言われるまま、翼も伏せていた。


 次の瞬間、


―パーン―


 窓ガラスが割れていた。そして銃撃。

 さらに、


「逃げろ!」

 美宇の叫びに、翼ももちろん足を動かした。

 建物の奥へと避難したのだ。


 刹那。


―ドン!―


 建物が揺れていた。

 週榴弾が投げ込まれ、先程まで美宇が座っていたベンチが吹き飛んでいた。


 幸いなことに、彼女たちは建物の奥にある衝立ついたての後ろに隠れた。そこに運良く使い古した冷蔵庫があり、つまりは給湯室だったのだが、爆発による影響は少なかったので、助かった。


 遠くから声が聞こえてくる。

「女を始末しました」

 それだけで、すぐに足音は去って行った。


(良かった。相手が慎重じゃなくて)

 美宇には、相手は適当に銃撃して手榴弾を投げるという、およそ軍人には似つかわしくない、がさつさを感じた。


 つまり、使命感ではなく、誰かに「やらされている」ような感じで、それゆえに忠誠心も使命感もないのだろう。


 その証拠に、死体の確認すらしていない。


 杜撰にも程があるが、そのお陰で、彼女たちは助かっていた。

 もっとも、この「敵」が何者であるか、わからず終いだったが。

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