エピソード30 アイヌコタン

 開陽台を出発した後、しばらくまたその辺りをぶらぶらして、キャンプをしながら過ごしているうちに、いつの間にか5月末になっていた。

 最近、翼はなかなかこの辺りから移動したがらないが、この道東あたりの雄大な景色が気に入ったのかもしれない、と美宇は内心、思っていた。


 そんなある朝早く、美宇は翼のうるさい声で起こされていた。


「えー! めっちゃ早い!」

「なんだ、うるさいな」

 テントから這い出て、不機嫌な表情の美宇が、薄暗い中、出ると。


 すでに東の空が白んできていた。時刻は3時50分。

 緯度が高い北海道では、6月頃になるとこの「日の出」が異様に速いのだ。


 それこそ東京あたりだと4時半くらいにならないと明るくならないが、北海道では3時台後半には明るくなる。

 そのことに、翼は驚いていた。


「なんだ、翼。朝っぱらから」

「美宇。おはよう。すごいね、北海道。なんでこんなに日が昇るの早いの?」

 朝から元気な声を上げる翼に起こされた形の美宇は、もう二度寝を諦めていた。


「そりゃ、緯度が高いからだ」

「緯度? そっか。多分、私はやっぱり北海道の産まれじゃないね。こんな早い朝日なんて見たことないもん」


「まあ、そりゃそうだが、逆に冬は東京よりはるかに早く日が落ちるぞ」

「早いってどれくらい?」


「確か根室あたりだと15時台に暗くなる」

「早っ!」


 緯度の違いによる、太陽の登り方、沈み方をいちいち翼にレクチャーする気はなかった美宇だったが、


「いい加減、そろそろ移動しよう」

 という提案を出した。


「うーん。この景色と別れるのは寂しいけど、仕方がないか」

 と、尚も物欲しそうに地平線の彼方を見つめる翼に、美宇は、


(やっぱりここの風景が気に入ったのか)

 と納得するのだった。


 久しぶりのバイク移動だった。


 向かった場所は、周囲にある「湖」だったが。


 摩周ましゅう湖、屈斜路くっしゃろ湖、そして阿寒あかん湖。


 北海道を代表する観光地でもあり、「霧の摩周湖」と呼ばれるくらい、霧が多い摩周湖。

 実際、美宇と翼が訪れた時も霧に包まれていた。


 しかし、そんな一大観光地の摩周湖や、大きな湖の屈斜路湖を見ても、翼はあまり驚かなかったし、感動もしていないようだった。


(飽きてきたのか?)

 と、北海道に飽きてきたと邪推した美宇は、少し寂しく思っていたが。


 阿寒湖。


 ここの湖畔に来た時、翼は妙にテンションが上がっていたことに、美宇は気付いた。


「おー、あれ、何だ!」

 彼女がバイクを降りて、走って向かった先には、粗末にも見える茅葺かやぶきの、歴史的な家が数件建っていた。


「ああ、あれか。アイヌの集落、アイヌコタンだ」

 アイヌコタン。


 そのまま「アイヌの村」を指すが、昔はそれこそ北海道中に、アイヌのコタンが点在していた。

 ここ阿寒湖にもコタンがあり、それが今や観光客向けの「阿寒湖アイヌコタン」となっており、昔の集落を再現した、チセと呼ばれるアイヌ式の家や、土産物店などがずらりと並んでいた。


 そんな説明を美宇が、翼にしながらアイヌコタンを一通り回る。


 中でも、翼が土産物店に入って気に入って、入手したのは、木彫りの熊の絵柄が描かれたキーホルダーだった。

 それをバイクの鍵につけるという。


「お前。また熊か。襲われるからやめとけ。縁起でもない」

 と美宇は不服そうだったが、翼は、


「いいんだもーん。熊除けのお守りになるかもしれないじゃない」

 と、聞くつもりはないようだった。


 そんな中、阿寒湖の湖畔に行き、湖畔の桟橋、というよりボードウォークのようになっている場所に行った時だった。


「あははは、受ける!」

 突然、翼が笑い出した。


「なんだなんだ?」

 美宇が驚いて尋ねると、


「タバコの吸い殻、投げたらあかん!」

 だって。


 彼女が指さした先には、そう書かれた灰皿が置かれてあった。


「そりゃ、投げたらダメだろうけど、ダジャレか。親父ギャグか。関西人か」

 と彼女はツボに入ったように笑っていたが、


「ああ、投げるってのは、北海道弁で『捨てる』って意味だ。実際に放り投げるわけじゃない」

 美宇に指摘され、


「そうなの!?」

 と大袈裟に驚いていた。


(しかし、あれから映像が出ることはないな。あれは何だったんだ)

 知床で不意に、頭の中に映像が流れるような体験をした美宇が、あれ以来、全くその体験をすることがなくなったことに、得体の知れない不気味さを感じていた。


 旅は続く。

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