エピソード7 函館

 彼女は、頭の中で考察していた。


 矛盾と疑問をはらんだこの世界の謎について。


(仮に戦争が起こったとしても、納得がいかない事態が起こっている。それは北海道から人がほとんど完全に「消えている」ことだ)


 美宇の頭の中には、かつて図書館で学んだ本の知識が多数入っていた。同世代に比べ、頭の回転が速い彼女は、さらに頭を巡らせる。


(過去の歴史を見る限り、戦争が起こったからと言って、人がその土地から完全に「消える」ことはあり得ない。病気やケガで「動けない」、あるいは愛着のある土地だから「動きたくない」。そう言った人間は必ず一定数存在する)


 だが、この現状はどうだ。

 彼女が思うような事態ではなく、ほぼ完全に「人」がいなくなっており、事実、札幌からここまで彼女たちは、人間の姿を一人も見ていない。


(だとしたら、考えられるのは『強制移住』か。だが、一体何のために? 放射能汚染か? だが、見たところ、札幌やその他の地域が汚染されているようには思えない)


 彼女が見て来た風景は、「自然のまま」の姿が多く、むしろ人がいなくなったことで、破壊された自然が復旧しているようにすら見えていた。


 美宇の考察、思索は尽きないが、運転者の声で我に返った。


「ほら、美宇! 見えてきたよ! 多分、函館だ!」

 翼の声が大きく響く。


 見ると、前方のはるか彼方に、こんもりと海に浮かぶように、見える山の形が目に入った。


 その山の名を「函館山」と言う。かつてはこの山の山頂から眺める景色が「日本三大夜景」の一つに数えられていた。


 だが、予想通りだった。


 夕刻近くになり、函館市街地に入った彼女たちだったが、札幌や道中の街と同じく、人の気配はまるでなかった。


 まさに「もぬけの殻」状態の、「入れ物」だけが残っている、死んだ街。


「フェリーターミナルに行ってくれ」

「ラジャー」

 美宇が手に持った地図で道を伝える。翼が向かったのは、フェリーターミナルだった。


 函館のフェリーターミナル、つまり津軽海峡フェリー 函館ターミナルは、函館市の北西、七重浜ななえはま近くにあり、北斗市との境界近くにある。


 そこに行き、駐車場にバイクを停める。


 もちろん、ここにも瓦礫と廃墟が連なり、無人の車が多数放置されていた。


 フェリーターミナルの建物は、ガラス張りの5階建ての、「箱」のような建物なのだが、比較的、損傷は少ないようで、建物入口は崩れていなかった。


 中に入る自動ドアが機能していなかったため、手で開けて中に入る。

 薄暗い。


 夕方ということもあったが、電気が来ていないためか、内部は薄暗く、不気味だった。


 人がいない、フェリーターミナルは、無機質で物静かを通り越して、異様な雰囲気を作り出していた。


 そんな中、元気な翼がカウンターに歩いて行く。


 電光掲示板があり、本来なら、そこに船の発着時間や便名が表示されるのだろう。もちろん、何も映っていなかった。


 そして、当然のように、人などいないと思われるその空間に。

「こんにちは。何かご用でしょうか?」

 人工的な、機械音声が響き渡った。


「ビックリしたー!」

 慌てて後ずさっていたのは翼だ。

 追いついてきた美宇が、それを見て、冷静な言葉を発する。


「人じゃないな。アンドロイドか」

 その機械の見た目は、一般的に想像するような「人造人間」、「アンドロイド」のような人型のロボットとは少し違っていた。


 確かに、見た目だけは確かに「人型」だったが、全体的に体高が低い。人間で言えば小学生くらいしかなかった。おまけに色は全体的に白く、髪の毛に当たる頭部はツルツルで、小さな目のようなセンサーがあり、黄色く光っており、小さな両腕があり、下は足ではなく、両足の下に「車輪」がついていた。


 奇妙なロボットと言っていい。

「なるほど。不気味の谷現象か」

「不気味の谷?」


「ああ。お前は知らないだろうけどな」

 美宇は持っていた知識を、翼に披露する。


 不気味の谷現象、とは概念的には「外見的写実に主眼を置いて描写された人間の像(立体像、平面像、電影の像などで、動作も対象とする)を、実際の人間(ヒト)が目にするときに、写実の精度が高まっていく先のかなり高度な、ある一点において、好感とは逆の違和感・恐怖感・嫌悪感・薄気味悪さといった負の要素が観察者の感情に強く唐突に現れるという」ことになるが。


 早い話が、「人間は、ロボットの外見や動きが人間に限りなく近くなればなるほど、ロボットへの親愛度が高まるが、類似度があるレベルになると逆に不気味に感じる」という話だ。


 しかし、実はこれには続きがあり「しかし、類似度がさらに高まると親愛度は最大になる」と言われている。


 だが、今はともかく、このロボットが、意図的に「人間に近くないよう」に設計されたことだけは、美宇も翼もわかったのだった。

 恐らく、観光案内用に使われているロボットだろうと推測した。人間がいなくなっても、律儀に動いているらしい。


「本州に渡りたい。フェリーはあるか?」

 美宇が鋭い視線を向けて、ロボットに質問する。


「ございます」

「マジか!」

 これほど喜びを表現するとは思っていなかった翼が、いつもと違う態度の相棒に驚きの目を向ける。


「じゃあ、それに乗りたい」

「ございますが、動きません」


「何故だ?」

「運航するに当たり、必要な人員がございません」

 途端に溜め息を突く美宇は、ロボットにさらに畳みかける。


「どういうことだ? いつから就航していない?」

 ロボット相手に立て続けに、2つの質問をする彼女に、しかしロボットは的確に答える。


「この北海道には、現在、人間がほとんどおりません。最後に就航したのは、1年ほど前になりますが、大勢の人間が競い合うようにして乗っておりました」

 ここで、美宇は、己の考察に再び入る。


(つまり、1年前に、戦争か天変地異かわからないが、北海道に何かが発生した。そして、慌てた人間が一斉に出ていったということか)


 一方で、翼は呑気というか、能天気というか、ロボットの白い顔を指で何回も突っついていた。

「おやめ下さい」

 と、機械的な音声を発するロボットに対し、


「あはは。おもしろーい!」

 彼女は面白がって遊んでいた。


「やめろ」

 美宇に止められ、渋々ながらも指を引っ込める翼。


「お前は観光案内のロボットか?」

 再び美宇が尋ねる。


「はい。このフェリーターミナルの案内と、函館の観光案内を兼ねております」

「では、聞くが。青函トンネルはまだ使えるか?」

 もちろん、美宇が意図したのは、それを使って、地下トンネルから本州に渡ることだ。


「理論的には使えると思います」

「理論的には?」

 ロボットにしては、はっきり言わない、その物言いに、美宇はどこか納得がいかないように顔をしかめていた。


「はい。1年前、その青函トンネルが封鎖されたという情報が入り、以降、立ち入り禁止となっています」

 ロボットは、さらに説明を加えた。


 つまり、1年前の何らかの事件が発生した後、人々がこぞってこの函館フェリーターミナルから青森を目指した。


 ところが、それ以外のもっと速く移動できる手段でもある、鉄道。つまり、青函トンネルを使ったルートは、封鎖され、使えなくなっていたという。

 そのために、人々がこのフェリーターミナルに殺到した、というのが真実らしい。


「飛行機はどうだ? 函館空港があるだろ?」

「飛行機は、飛行管制令によって、発着禁止となっています」


「飛行管制令? 何だ、それは?」

 聞きなれない言葉に美宇が反応する。


「政府によって、非常事態とみなされ、飛行機の発着は、民間機に限って禁止となりました。その発令はまだ生きています」

 つまり、何らかの原因で、飛行機を飛ばすこと自体が不可能になったということらしい。


 仕方がない。

 どの道、飛行機があったとしても、操縦する技術もないし、人もいない以上、今から函館空港に向かっても無意味だ。


 念の為に、美宇はロボットに、

「1年前に、北海道で何が起こった?」

 と尋ねていたが、回答は予想通り、


「私は、観光案内ロボットですので、その情報をデータベースに有しておりません」

 という回答だった。


 美宇は、

「わかった。じゃあ、とりあえず何とかしてみる」

 ロボットには言葉を濁す形で、そう告げると、


「お役に立てず、申し訳ございません」

 律儀にもロボットは、そう発するのだった。


 一方、立ち去るにあたり、無邪気な翼は、ロボットに対し、手を振っていた。


(明日、行ってみるか)

 もちろん、美宇はロボットの言葉を信じなかったわけではないが、自分の目で「青函トンネル」を確かめたいと思うのだった。


 その日は、初のテント泊となる予定だった。

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