エピソード8 温泉
その日の夜、彼女たちが向かったのは、「湯の川」と呼ばれる函館市の郊外の地だった。
何故なら、函館フェリーターミナルで、翼が目ざとく、壁に貼ってあったポスターを見たからだった。
そこには、「北海道三大温泉郷、湯の川温泉へ是非起こし下さい」と書かれてあったらしい。
ロボットとの会話に集中していた美宇は、気づいてなかったが、翼はそれを見て、
「行ってみよう!」
と、いつもの気まぐれが発動していた。
仕方がないので、運転者の翼に任せて行ってみたが。
「ああ。やっぱこんな感じか」
美宇が思った通りの風景が広がっていた。
瓦礫、崩れた外壁を持つビル、屋根が崩れた温泉宿など。
まともに機能しているとは思えないし、人がいない以上、管理などされていないだろう。
しかし、行こうと言い出した当の本人の翼は、
「何かもったいないから、探索してみよう」
と言い出していた。
気まぐれな彼女に振り回される形で、湯の川温泉を探索し始めると。
この温泉自体は、海に近いところに複数のホテルや温泉旅館があり、歴史も古い。
翼がポスターで見た「北海道三大温泉郷」とは、他に
建物のうち、いくつかを探索したが、崩れている建物を除き、中に入れる建物もほとんどが浴槽に「お湯」が張ってなかった。当然と言えば、当然だろう。
だが、そのうちの一つ。
「見て、美宇。蛇口からお湯が出るよ!」
ご大層に、キャンプ用に使うランタンに火を灯し、翼は探索を開始したと思ったら、温泉宿の一つ、古い和風旅館で、お湯が張っていない浴槽の脇にある蛇口をひねっていた。
そこから、勢いよく水が出てきていた。
「マジか。水道なんて、とっくに死んでると思ってたけど」
早速、浴槽に栓をして、お湯を張り、二人は浴槽にお湯が貯まるのを待ち、その後、タイミングを見計らって、服を脱いでお湯に浸かった。
「おー。気持ちいいー」
「そうだなー」
「いつ以来だろうね。こんな風にお湯に浸かるなんて」
「覚えてない」
それくらい二人は、あの教会の地下室に、幽閉され、たまに水浴びが許される程度だった。
二人は、そのまましばらくずっとお湯に浸かる。電気がないので、真っ暗な空間に、ほんのりとランタンが灯る灯り、そして壊れた窓から見える満天の星空が綺麗に見えた。
風呂上り後。
真っ暗な古い旅館内を歩き回る、元気な翼が声を上げた。
「ねえ、美宇。もう面倒だから今夜はここに泊まろう?」
「えっ。マジでか。この旅館、古いし、暗いし、何だか怖いような」
尻込みする美宇に、翼は、「怖がりだなー」とバカにするようにケタケタと笑い声を上げていたが。
翼に半ば強引に、階段を上って、2階の一室に連れていかれると。
そこには、畳があり、押し入れには布団が置いてあった。
暗い室内で、ランタンを照らし、それらから寝床を準備する。
すると、
「おー。布団だ! ふかふかで気持ちいいー!」
仰向けに寝転んだまま、翼が満面の笑みを浮かべていた。
「あまりはしゃぐな。それと、やっぱ怖いぞ」
周りは、シンと静まり帰り、物音一つ聞こえないし、広い室内にも宿内にも人気がまったくない。
それこそ、廃墟のような建物に寝るという恐怖心の方が、美宇は勝っているようだった。
ところが。
「すぴー」
見ると、翼はもう寝息を立てて眠っていた。
「マジか。早すぎるだろ」
当初、函館のどこかでキャンプをしようと計画していた、美宇の目論見は早くも崩れ去っていた。
仕方がないから、彼女も翼の隣の布団で、横になる。
仰向けになると、天井の板の木目が見下ろすように視界に入った。
和風の畳の匂いと、思ったより清潔な布団。
それらに包まれ、彼女もまた目を閉じて、眠りにつくことになった。
彼女は、夢を見た。
大勢の人間が逃げ惑い、ある者は銃で撃たれて、地面に倒れ、ある者は巨大な戦車の下敷きになったり、崩れたビルに潰されていた。
それは、文字通りの「戦争」の情景だった。
そんな中、美宇は誰かに手を引かれて必死で逃げていた。だが、彼女はその風景を「見たような」記憶があるものの、それが「誰か」覚えていなかった。
また、翼自身が、この夢には一切出てこなかった。
それは何を暗示しているのだろうか。
過去に経験した記憶の断片なのだろうか。それとも単に恐怖心から来る幻影か。
そんなことはわからないまま、彼女が次に目覚めた時。
薄っすらと目に涙を浮かべていることに気づいていた。
辺りは、すっかり明るくなっており、気の早い夏の太陽が昇っていた。北海道の夏は午前3時台から明るくなるところもあるくらい、他の日本の地域に比べて早いが、これは緯度が高いことが影響している。
翼の姿は、隣の布団にはすでになかった。
(珍しい)
いつもは、寝坊することが多い、翼が早くも起きていることに、美宇は驚かされていた。
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