〈5〉 ②

 初耳でした。暴走族といえば夜中にうるさいエンジン音を響かせている人たちです。

 確かにさなえのバイクは派手な色が塗られていました。でも、その辺りのおばさんたちが乗っているような、スクーターです。歩が想像する暴走族はもっと大きなバイクに乗るものです。ヒロムもリナもバイクに乗っているところを見たことがありません。

「由代も、暴走族やと思われるんやで? 他人の金盗ったり、暴力を振るったり、迷惑かけても平気な人間やと思われるんやで?」

 頬が痺れていくのを感じました。本気で腹が立つと血の気が引くのだと、歩は知ります。

「先生が、わたしの友達を馬鹿にするのはいいんですか?」

「馬鹿にはしてへん。けど、暴走族はそういう集まりや」

「わたしの友達を知らないのに」

「今は由代を仲間に入れるためにネコ被ってるかもしれへんけど、そのうち煙草とかシンナーを勧められるんやで。おまえ、酒勧められてへんか?」

「じゃあ、わたしのお父さんとも、仲良くできないね」歩は顎を上げて、鼻を鳴らします。「わたしのお父さんは煙草を吸うし、お酒だって飲むけど、わたしには勧めてこない。煙草とかお酒とかがダメなら、お父さんだってダメでしょう。なんで友達だけダメなの?」

 先生はしばらく黙ったあと、無表情で「そうか」と呻きました。

「由代は、友達を信じたいんやな」

 信じたいわけではありません。煙草もシンナーも、お酒にだって興味があります。けれどそれが悪いものだと知っています。勧めてこない友人たちの優しさも理解しています。

 それ以上に、他ならぬ歩が、拒めるのです。無理強いされたことなどありません。それでも彼女たちの誘いを、自分で判断して拒めると確信しています。そして彼女たちは、そんな歩を尊重してくれるのです。

「先生が、わたしを信じていないだけじゃない」

 歩は今度こそ、職員室を後にします。慌ただしく先生がついてくるのを背中で感じます。振り返ることも立ち止まることもせず、歩はぐんぐん校舎を抜けて校門を目指します。

 校門を出たところに雪野さんが居ました。赤いランドセルを背負って、手持ち無沙汰にガードレールに凭れています。

「おお」と先生が明るい声を上げました。「雪野はどないしてん」

「由代さんと帰ろうと思って」

 待ってました、と雪野さんは朗らかな笑みを作りました。どこから見ても偽物の顔です。それなのに先生は「そうか」と嬉しそうに歩の背を叩きました。

「良かったな。由代、友達が待っててくれたで」

 歩は答えませんでした。雪野さんに目もくれず大股で歩き続けます。先生が立ち止まる気配がしました。どうやら先生と一緒に帰るという最悪の展開は避けられそうです。その代り「雪野、頼むで」と勝手な言葉が聞こえました。

 ガタガタとランドセルを鳴らして雪野さんが追いつきます。

「ねえ」と目を輝かせた雪野さんは、歩の顔に鼻先を近づけます。「先生に怒られた?」

は? と遠慮のない声が漏れました。

「なに、言ってるの?」

「だって悪いことしてたんでしょ?」

「……してないよ」

「え」と雪野さんは心底驚いた顔をしました。「悪いことするために、下校ルートから外れたんじゃないの?」

 知らず、歩の足は止まっていました。まじまじと雪野さんの顔を見詰めます。悪意の欠片も感じられません。純粋な好奇心だけが宿っています。

 得体の知れない生き物が、そこにいました。思えば雪野さんは、歩の行動の理由を先生に問うていました。こうして歩に直接訊くこともできたのに、わざわざクラス全員の前で歩をあげつらったのです。

 不気味なクラスメイトから、後退ります。すかさず雪野さんが歩の腕を捕らえました。

「ねえ、なにしてたの? わたしも一緒に連れて行ってよ。どこに行ってるの?」

 ぱぱっ、と軽快なクラクションが響きました。

 ふたりともがビクッと体を震わせます。ガードレールを挟んだすぐ隣に、白いセドリックが停まりました。父の車でした。

 歩はガードレールを跳び越えて助手席の扉を開けます。ハンドルを握っているのは福留でした。構わず乗り込みます。

「坊ちゃん。お友達はいいんですか?」

「友達じゃない!」

 歩の叫びに虚を突かれたのか、福留は「あ、はい」とまるで歩の父に応じるような返答をします。

 セドリックが急発進します。

 ランドセルを背負ったままシートによじ登っていた歩はバランスを崩し、ダッシュボードに肩をぶつけます。遅れて福留の手が伸ばされました。歩が助手席に座り直すのを手伝ってくれます。そのまま彼は歩の頭を撫でました。

「なんかありました? すごい顔してますよ」

 友達を馬鹿にされたのです。誰も歩を信じてくれなかったのです。

 歩は助手席の上で膝を抱えます。乾いて粉を吹いた膝です。汚れたスニーカの踵が助手席に食い込みます。

「さなえちゃんに、会いたい」

「野分、ですか?」

 はあ、と曖昧に頷いて、福留はハンドルを切りました。どこかに行く途中だったのか、それとも用事を済ませて来たところだったのか、福留は語りません。

 白いセドリックは歩の知らない道を走ります。歩の学校とも母の高校とも、父の仕事場とも違う方角です。

 歩は膝の間に顔を埋めていました。顔を上げると汚い言葉で周囲のあらゆる人を罵ってしまいそうでした。


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