〈7〉 ②
放課後、帰路につく歩の後ろを、雪野さんがついてきました。
誘ったわけではありません。あの日から雪野さんはなにくれとなく歩に構うのです。先生にそう頼まれたから、という理由もあるでしょう。なによりも彼女は歩の秘密を知りたがっていたのです。
歩は下校ルートの大通りを外れて細道へと抜けます。ぱっと雪野さんが期待に顔を綻ばせました。
川から吹き付ける風が煙草の臭いを強く孕んでいました。
案の定、コンビニの脇では、足首まであるスカートの裾を乱して高校生たちがたむろしています。
その中に、ヒロムとリナの姿がありました。
「あら、歩ちゃん」
早々に気づいたリナが立ち上がり、手を振ります。咥え煙草が風に合せて赤く熾っていました。
「久し振りね。今日はお友達も一緒なの?」
ついてきたがったくせに、雪野さんは歩の背に隠れるように身を縮めます。
リナにも雪野にも構わず、歩はランドセルを下ろして蓋を開けます。ステッカーが剥がされていることに気づいたのか、リナの表情が曇りました。
「わたしが誰の子か、知ってるよね」
雑談に興じていた他の高校生たちが口を噤みます。歩の一挙手一投足に注意を払っているのがわかりました。
歩はランドセルから父の名刺を取り出します。
リナがローファーの底で煙草をねじ消しました。けれど歩はリナではなく、高校生たちを従えて座っているヒロムの前に立ちます。
「もう、ヒロムさんたちとは遊べません」
「ああ?」とドスを利かせた威嚇をしながらも、ヒロムは歩が差し出す名刺に手を伸ばそうとはしません。
「もう二度と、わたしにかかわらないでください」
「歩ちゃん」リナの硬い声とともに、肩を抱かれます。「どうしてそんな寂しいこというの? わたしたち、お友達でしょう?」
「違うでしょう?」歩は火傷の痕がうずく手で、リナの手を剥がします。「お友達だと思っていないから、わたしがさなえちゃんのバイクに乗ったことを怒ったんでしょう」
「あれは、さなえが悪いのよ」
「わたしが、さなえちゃんを選んだの」
「わたしたちといたほうが楽しいわ」
「友達なら、どっちがいいとか選ばせない」
ふん、とリナが鼻を鳴らしました。歩の背後から後退り、ヒロムの傍らへと戻って行きます。
「で?」とヒロムは歩の背後、立ち尽くす雪野さんを一瞥します。「そのガキはなんだ? 自分の
「わたしはもう、ヒロムさんたちとは遊ばない。さなえちゃんにも、かかわらないで」
「さなえも?」
「そう。もし、さなえちゃんが自分からヒロムさんたちのところに行くならいいけど、ヒロムさんたちがさなえちゃんに会いに行ったり、さなえちゃんになにかしたら、わたしのお父さんが黙ってないから」
「ガキの喧嘩に親を出すってか?」
「これは喧嘩じゃなくて、警告」
「偉そうに親の威借りてんじゃねぇよ、ガキが!」
ヒステリックな怒声にも歩は怯みません。煙草の火を握った歩を叱りつけた福留に比べれば、耳障りな虚勢だとすぐにわかります。
「わたしとさなえちゃんはもう遊べないけど」歩は雪野さんを振り返ります。「あの子が、みんなと遊びたいんだって」
「へえ」とヒロムが獰猛な笑みを浮かべました。「それは、平田社長のお墨付きか?」
「うん」と肯きました。
それは歩の父が、歩とさなえがレディースとの関係を断とうとしているということを知っている、という意味です。これ以上ふたりにかかわることが、歩の父の意に背くという明確な表明でした。その代償として雪野さんを差し出すことに、父が同意しているということなのです。
「ただのガキに用はねぇなぁ」
歩が平田忍という男の子供だから仲間に入れていたのだという告白でした。いざとなれば歩を人質に父から金を引き出そうとでも考えていたのかも知れません。
「おもちゃがほしいのかと思って」
「おもちゃ、ねぇ」
ヒロムはやおら立ち上がると、歩の手から名刺をつまみあげました。「ふうん」と鼻息を吹きかけて、名刺越しに雪野さんを検分するようです。
「なんかあったら、社長に連絡していいんだな?」
「もともとヒロムさんたちのチームは、お父さんのものなんでしょう?」
ニッとヒロムは頬を引きつらせて笑います。
ヒロムが率いるレディースに父が直接関わっている確証はありませんでした。福留に対する彼女たちの態度で見当をつけたに過ぎません。けれどどうやら、歩の父はヒロムたちにとっても「社長のようなもの」であるようでした。
歩は無防備に背を向けて、口を開けたままだったランドセルの前にしゃがみます。
目の前で雪野さんのスカートの裾が揺れていました。女の子らしい淡い色合いのフリルがあしらわれています。
「じゃあね」リナが目を眇めます。
「じゃあね」と歩もにっこりと笑い返します。
ランドセルを背負い直して、「さようなら」とヒロムと彼女を取り囲む高校生たちに手を振ります。煙草の紫煙が答えました。「またね」はもう二度とありません。
歩は踵を返します。雪野さんも慌てた様子で身を翻し、けれどリナの腕に赤いランドセルをつかまれて足を止めてしまいます。
「由代さん……」
嗚咽混じりの声に、歩は顔だけで振り向きます。
「連れて行ってって言ったから、連れてきたの。帰りまでは、知らない」
雪野さんがなにかを叫びました。聞き取れません。ただ泣き出しただけなのかもしれません。
歩は立ち止まることもなくコンビニを後にします。初めて歩を受け入れてくれた集団を捨て去ります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます