〈5〉
〈5〉 ①
さなえやヒロムやリナは、母に求められていた通りの「テレビを視なくとも付き合える友達」でした。
歩は下校ルートを大通り沿いから、一本入ったコンビニ前を通るものに変えました。週に二度か三度は、誰かがいました。ヒロムやリナの同級生や仲間を紹介してもらったこともありました。
コンビニ脇のお喋りは大抵、川からの風に吹かれてなお煙草の臭いに包まれていました。歩のために缶ジュースや菓子を買ってくれた友人たちの手には、缶ビールや刺激臭のする透明な液体が入ったビニル袋がありました。
年上の友人たちはどんどんと増え、コンビニ脇には毎日、歩の知る誰かがいるようになりました。
学校での退屈な時間が終れば友人たちと有意義なお喋りができる。それが歩にとって日々の楽しみとなっていきます。
けれど、好いことは長くは続かないものなのです。母が常々そう警告してくれているように。
授業が終り、ランドセルに荷物を詰め、あとは各係からの報告をし合って解散、という段になり、すっと手を挙げた女の子がいました。一年生からずっと同じクラスであり、歩の家庭を「そういうおウチ」と称した雪野さんでした。
彼女は真っ直ぐに正面を向いたまま「せんせぇ」と立ち上がります。
「由代さんが、最近ずっと、下校ルートとは違う道から帰っているのは、どうしてですか?」
一拍、歩は自分が名指しされたことが理解できませんでした。なぜ彼女は歩の事情を「どうしてですか?」と先生に問うのでしょう。歩のことは歩に訊けばいいのです。それが告げ口だとは思い至りませんでした。
先生は歩に「本当に下校ルートから外れて帰ってるんか?」と訊き、そのくせ歩の答えを待つことなく雪野さんに「先生から直接聞いておきます」と返答し「教えてくれて、ありがとう」と付け加えました。
クラスが解散すると、先生は歩だけを職員室に呼び出しました。早く帰りたい歩はランドセルを背負ったまま、先生の前に立ちます。
職員室はクラブ活動へ向かう生徒や歩のように呼び出されてふて腐れている子、ひっきりなしに鳴る電話などでざわついていました。
軋むスチール椅子に座った先生は眼前に立つ歩を数秒見上げてから、「寄り道してんのか?」と切り出します。
「お母さんの仕事場に帰るのが寄り道なら、寄り道してから帰っています」
「ん?」と首を傾げて、先生は名簿を手に取りました。それぞれの家庭事情が書かれている黒いノートです。
「お母さんが、ひとりで留守番をさせてくれないので、毎日お母さんの仕事場に行って、お母さんの仕事が終るのを待って、一緒に帰っています」
先生は歩の特記事項に目を落としたまま口を開きます。
「下校ルートを外れたのは、お母さんと関係あるんか?」
「そっちのほうがお母さんの仕事場に近道だからです」
「そうか……」先生は名簿を閉ざしてから、噛みしめるように「そうか」と繰り返します。「事情はわかった。けど、下校ルートはみんなが一番安全に帰れる道や。道沿いに暮らしてる人たちが見守ってくれてるんや。遠回りになるかもしれんけど、下校ルートを通らへんか? なにかあってからや遅いやろ?」
早く帰りたくて、「はい」と素直に肯きます。下校ルートも見守りも、どうでもよいことでした。
歩むにとって大切なのは、年上の友達と会える、という一点なのです。
「よっしゃ」と満足そうに力強く頷いた先生に、歩は「もう帰っていいですか」と冷淡に問います。
それなのに先生は、なにを思ったのかおもむろに立ち上がります。
「ほな、先生と一緒に下校ルートを確認しながら帰ろか」
は? と剣呑な声が出そうになり、慌てて俯きます。
先生と一緒では、コンビニに立ち寄れません。だからといって、ここで逃げ出しては、歩が下校ルートを正す気がないことがばれてしまいます。
心の底から、先生を疎ましく思います。それを押し隠して、踵を返します。
「そのステッカー」と先生が目を瞬かせました。「どないしてん」
歩のランドセルの側面に貼った、リナからもらった紫色のものです。桜と藤の花が咲き乱れるそれを、歩は少し誇らしくランドセルを揺らして見せつけます。
「友達にもらったの」
綺麗でしょう、と続けた歩に、先生は渋い顔をしました。
「友達って……どんな友達や?」
「どんなって……?」
友達の種類を、歩はそれほどたくさん知りません。テレビを視なくては話せない友達、お金を払って一緒にいる友達、これらは友達とは言えないのです。
歩の知る友達は、コンビニの脇で川から吹く風にさらされながら他愛のない話題で笑い合う、年上の彼女たちでした。歩の手を引き、抱き締めてくれる優しい友人たちでした。
「ドコで会うた友達や?」先生は引き下がりません。「そのステッカー、なんて言うてくれた?」
「お父さんの仕事場とか、お母さんの仕事場とか……」
先生は素早く名簿を開けて、再び歩の情報を確認したようです。あー、だの、うーん、だのと唸ってから、また名簿をパクンと閉ざします。
「由代、お父さんおったんやな」
なにを言っているのだろう、と歩は不快感に顔を歪めます。父は存在するに決まっています。死別したり別居したり所在不明になっていたりしているだけで、どんな子にも父親は必ず存在するのです。
「お父さんの紹介で出逢った人たちか? ホンマに友達か? お金盗られたりしてへんか?」
「お金が必要な相手は、友達じゃありません」
「うん、まあ、そうやな」先生は少し困ったように視線泳がせます。「その友達はお姉さんお兄さんか? もっと同級生の友達と遊んだらどうや?」
歩に友達がいないことなど、先生は知っているはずなのです。何人かでグループになって、と指示が出ると歩は決まって余ります。他でもない先生が、歩をどこかのグループに「入れたってくれや」と頼むのです。それに。
「テレビを視ないとろくに話せない人たちと、わざわざ自分のレベルを下げてまで友達にならないといけないのですか?」
さっと先生の顔から表情が消えました。
「由代」声も威嚇的に低められています。「いまのはアカンな。友達を馬鹿にしたらアカン」
歩は黙って先生を睨みます。
「なあ」先生がいくぶん雰囲気を緩めました。「そのステッカー貼ってへんと、友達でいられんて言われたか?」
「言われてない」
リナの穏やかな微笑みと優しい手を思い出します。彼女は、母ですら「気持ち悪い」とはね付けた歩を、抱き締めてくれました。友達になったから、ステッカーをくれたのです。ランドセルに貼ったのは歩であり、歩の意志でした。
「そのステッカー、剥がさへんか? 貼ってへんでも友達は友達やろ?」
「剥がさない」
「そのステッカー、暴走族のステッカーやろ」
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